第28回 一円玉を貼る


 小人閑居して不善を為すという言葉があるが、ダメ人間というものは実に下らないことを思い付く。
 こんなことがあった。
 私の部屋で、鮒田と堀部というふたりの知人とうだうだ時間を殺していたときのこと。ふと、堀部が言った。
「そういえば以前、テレビで額に一円硬貨を貼りつけているのを見た」
 ある番組で、子供たちを被験者に一円硬貨を額に貼りつける実験をしていたのだそうだ。数枚重ねた一円玉が何故かは解らぬが、落下もせずに額に貼りついていたらしい。あたかも一角獣のようであったとのこと。
 ぜんたい、そんなことが可能なのであろうか、との疑問に、やってみようではないかということになった。さっそく三人で財布から一円玉をたくさん取り出す。高額紙幣はなけれど、一円玉ならあまた持ち合わせているのだ。十円玉なら、自動販売機やら券売機のセンサーに弾かれてしまうということでもなければまだしも流通してゆく。しかし、一円玉はよほど積極的に流通させようという意欲を持たねば財布の底に澱のように溜まってゆくのだ。
 おのおのが一円玉を眉間のところに持っていって押しあてる。硬貨はみごとに貼りつく。
 我々は、さっそくこの現象を解明すべく、額に一円玉を貼付させたまま議論に移った。
「たしかに貼りついているな。なぜだろう」
「あのさ。思うんだけど」と鮒田が意見を述べる。「やっぱりこれは、脂、のせいじゃないかな」
「顔の油分である、ということか」
「そうだろうな」
「うん」
 まずは脂のせいということで見解が一致した。
「さて、次は二枚重ねに挑戦しようではないか」
 我々がこれまでに学習してきた物理法則で考えると、これは不可能である。なんとなれば、一円硬貨の主たる材料であるところのアルミニウムは顔面の油脂分を透過させぬわけで、二枚目も油脂分に依存して貼付させることはできぬからだ。
「できるかできぬか、やってみようではないか」
 それで三人とも二枚の一円玉を握り締めての実験とあい成った。ところがこれがなかなかうまくは行かぬ。
 そのまま二枚の硬貨を額に圧し当てたのでは、指を離すや否や一枚が滑り落ちる。
 そこで、まず一枚を顔面の油脂分によって貼付させたまま、天井を仰ぐ。半ば口を開いた白痴的な表情になってしまうが、実験のためであるからそんなことを厭うておる場合ではない。そうしておいて、もう一枚をその上に載せる。そのまま、静かに静かに正面を向く。上手くすればこれで二枚を額に残留させることが可能になるのではないか。我々は炬燵に入ったまま、痴呆的表情で天を仰ぎ、そこからおもむろに頭部を起き上がらせるという作業に没頭した。これがなかなかに難しい。傾斜がある程度になると、二円硬貨は額より剥離して落下してしまう。調べてみると、だいたい六十六.六度すなわちちょうど地球の公転面に対する地軸と同じ角度になると、落下してしまうことがわかった。
「うまくゆかぬなあ」と、言いながらも我々は、その作業に没頭した。部屋に響くは、ただ、ちゃりん、ちゃりんという硬貨の落下音のみである。
 何十回か何百回目かの試行の末、私は顔面を通常の直立歩行しているときの状態まで起き上がらせることに成功した。もちろん、一円玉は額に貼りついたままである。
「おおっ。み、見ろ。見ろ」
 顔の下半分の筋肉だけを使って私はこう言った。眼は自分の額に集中しているから、恐らくかなり間の抜けた寄り眼になっていたかもしれぬ。しかし、その瞬間、声の衝撃でか、一円玉は非情にも剥離してしまった。自分の作業に熱中していたふたりが顔をあげたのは、もう一円玉が机上に落下してしまった後であった。
「ああ。今、確かに。確かに貼りついたのだ」
 しかし、堀部は言う。「そんなことではまだ駄目である。何をしても剥離せぬくらい頑強に貼付できねばならぬ。もっと鍛錬しろ」
「わかった。俺が間違っていた。もっと鍛錬する」
 それで、三人とももっと鍛錬した。継続は力也。ホタテのロックンロールではない。力なりと読む。何百回目かの試行ののち、我々は二枚の一円玉を額に定着させることに成功したのだ。
 成功したからには検証だ。計六枚の硬貨を額に、我々はまた討論を始めた。
「くっついているな、たしかに」
「うん。不思議だけどくっついている」
「なぜだろう」
「なぜだろうね」
「自由に意見を交換しよう」
「あのさ、思うんだけど」と鮒田が口を開く。「摩擦じゃないかな」
 一円玉の表には大きく「1」の字が刻まれている。また裏面には「日本国」だの「一円」だのという文字や、樹木の象徴めいたレリーフもある。これらがうまく噛み合い、そこに生じる摩擦によって定着しているのではないか、というのだ。
「一理あるな。それを仮説その一と命名しよう」
「他には考えられぬか」
「圧力かな、とも思う」と堀部。すなわち、一円硬貨を二枚重ねても、文字やらレリーフやらの間には僅かながら隙間がある。ここに溜まっている空気が外界と比較して薄くなれば、外からの圧力に圧されて落下を免れるのではないのだろうか、という説である。
「なかなか科学的なアプローチである。では、それを仮説その二とする」
「あのさ」私は口を開いた。「思うんだけど、これって……」
 ちょっと躊躇してしまう。「笑うなよ」
 鮒田と堀部は口を揃えて言う。「笑うか笑わないかは、聞いてみないことには解らぬがとにかく言ってみろ」
「……いや。やっぱりやめとく」
 ちょうどそこへ後輩の山口がやってきた。
「こんにちは。……何やってるんですか」
「見て解らんか」
「解りません。何してるんです」
「見て解らん者は聞いても解らん」
「そんなこと言わずに教えてください」
「だから、見ての通りだ。額に一円硬貨を貼付する実験だ」
「ははあ」
「どうだ。凄いことだとは思わないか」
「はあ」
「はあ、ってお前、感動がないね。いったい何で貼りついているんだと思う」
「ああ。それはね」山口は自信ありげに言った。「超伝導でしょ」
「へ」
「超伝導ですよ、それは。間違いなく」
「……間違っているように思うが」
「いいや。違いありません」
「じゃあ、お前もやってみろ」
「実はぼく、超伝導体質ではないもので」
 この山口という奴、工学部の癖に矢鱈と胡散臭いことを言う。
「でも、いい歳した大人が三人も集まって昼間っから一円玉をおでこに載せているというのはどういう了見ですか」
「何を言うとるか。この素晴らしさが解らぬのか」
「どう素晴らしいんです」
「世界の普く全ての人々が、この技術を習得、研鑚すれば、人は財布を携帯するという呪縛から解放されるではないか」
「財布が呪縛なんですか。だいいち、カードの類はどうするんですか」
「そんなものは頬にでも貼ればよい」
 私は口をはさんだ。「あのさ。さっき言いかけたんだけど。仮説その三を提示してもいいかな」
「超伝導という説が提起されたから、次は仮説その四になるな」
「うん。じゃ、仮説その四なんだけど……。笑うなよ」
「言ってみろ」
「ええと」私はいい澱んだ。「これって、もしかしたら……。その。超能力なんじゃないかな」
 暫しの沈黙の後、鮒田がぷっと噴き出した。「わはははは。超能力、か。こりゃおもしろい」
「えへへ。笑うなよ、って言ったろ」私も噴き出した。「わはは」
 それで、四人でたっぷり二分間腹を抱えて笑った。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1997/11/27
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com