第277回 行徳の俎


 あらゆるものの価値が貨幣へ還元されることが貨幣経済の原理であり、ゆえに具体的な形のあるものとしての生産物と無形のものである労働力とを一定の基準でもって比較することができるようになる。もちろん、この基準というやつはかなり曖昧で、生産物や労働力そのものよりはむしろそこに附帯する情報によって決定されるわけで、問題や混乱を生じることも多い。附帯する情報というのはすなわち、いわゆるところのブランド・イメージであり、それゆえにたとえ生産に必要な原価がおなじであったとしても無名メーカーの時計よりはオメガ、ロレックス等等の方が高くで売れ、作製に費やした時間が同じであっても子供の落書きには商品価値がなく一流画家の抽象画は高値で取り引きされる。あるいは、基準が曖昧なものだから、赤い人たちがいうところの資本家による搾取が発生することになる。
 いずれにせよ、貨幣経済という概念がその大雑把さによって、科学では不可能なエネルギー変換物質変換まで可能にしていることは注目すべきことであろう。貨幣経済においては、貨幣という紙や金属をあらゆる物質やエネルギーに変換することができるのである。
 さて、「体で返す」という言い回しがある。これはものの対価として肉体を提供することであり、「体が資本」といういう言い方もあるように、肉体を使っての返却方法にはさまざまなものがある。
 ひとつめは、人類最古の職業といわれる労働力と同じものを提供するである。もっとも、この場合労働しているのはむしろ男の方じゃないか、という意見もあろうが、それとこれとは話が別である。また、この場合の商品価値はピンからキリまであり、なかにはちょっと商品にするには無理でしょうといった造作の人もいるから注意が必要だ。何が注意なのかはよく知らないが。
 ふたつめは、文字通り「体を切り売り」するものである。かつては売血というのがおこなわれていた。先日も金融業者が負債者に「金がなければ臓器を売れ」と言ったことが大きく報道されたが、臓器にはかなりの商品価値がある。「オルレアンのブティック」から派生した一連の都市伝説(洋服屋の試着室に入ると、床が抜けて誘拐される)にも、臓器を抜き取られるバリエーションが多い。とは言ってもあまねくすべての身体部位に同じ商品価値があるわけではなく、腎臓肝臓などは高価であろうが、たとえば陰茎の先っちょの余った皮などは逆に金を払わないと誰も引き取ってくれない。
 三つめは、そのものずばり労働力としての体である。「ああ、喰った喰った」「ふう。満腹だよ」「さあ、そろそろ行こうか」「うん。……あっ」「どうした」「さ、財布がない」「何っ」「……」「……」漫画やドラマではこういう場面の直後には決まって厨房で皿を洗っているものである。
 ところで、昨日十一日付の産經新聞には、こういう記事があった。

「マグロ漁船に乗れ」 6少年を5ヵ月監禁
 高校生ら少年6人が不良グループに拉致(らち)され、今年4月から9月までの5カ月間にわたって監禁されたうえ、建設現場で強制的に働かされる事件があり、警視庁少年育成課と渋谷、町田の両署は10日までに、職業安定法違反(暴行・脅迫・監禁等による職業紹介)の疑いで、少年2人を含む7人を逮捕した。リーダー格の男ら3人は主に東京・渋谷を拠点とする不良グループ「チーマー」のメンバー。

 括弧書きのチーマーが気になる。「チーマー(不良グループ)」という表記ならば「OS(基本ソフト)」と同様註釈だと判るが、この表記では、もしや執筆した記者はチーマーが一般名詞だと知らないのではなかろうか。やや不安になる。ともかく先を見てみよう。

 調べによると、古味容疑者らは、渋谷で知り合った六人を遠洋漁業のマグロ漁船に乗せて働かせ、金を取ろうと計画。今年四月二日、預かった覚せい剤約四キロをなくしたと偽って六人に因縁をつけ、「なくした覚せい剤は四千万円もする。取引相手の暴力団から(代金の)半分を受け取っている。殺されたくなかったらマグロ漁船に乗って働いて返せ」などとモデルガンをちらつかせながら脅し、目黒区や神奈川県相模原市のマンションなどに監禁した。

「殺されたくなかったらマグロ漁船に乗って働いて返せ」
 ちょっともの凄いことになっている。
 どうすればそのような発想に到るのであろう。記事を見る限り、ただの脅し文句ではなく、かなり本気で遠洋漁業に出させようとしたらしいのだ。
 容疑者は他に、こういう脅迫もしていたらしい。
「覚醒剤をなくしたやつは足の骨が両方折られて逆さの方を向いている」
 これも、ちょっともの凄い状態である。GIジョーとかミクロマンの人形にそういう恰好させて遊んだことがある人もいるだろう。
 記事はこう続く。

 しかし、マグロ漁船に乗せるために必要なパスポート取得に失敗したため、多摩市内の建築会社に紹介し、六人を千葉県浦安市のスーパーの改築現場などで働かせ、給料の大半を奪っていた疑い。
 六人が建築会社で稼いだ三十六万円のうち、三十四万二千円を古味容疑者が奪い、すべて飲食や遊興費に使っていた。

 パスポート取得は何故失敗したのか、建築会社に紹介する際どのように説明したのか、興味は尽きないが残念ながらそれは判らない。しかし、仮に首尾よく少年たちを遠洋漁業に出すのに成功していたとして、パスポート取得手数料ひとりあたり一万円として六万円、これはこの容疑者が必要経費として投資したのだろうし、賃金はやっぱりマグロ漁船が戻るまで支払われないのだろうから、農耕民族型というかなんというか気の長い計画である。
 監禁の手口は次のようなものだったらしい。

 まず、食塩を詰めたビニール袋を「覚せい剤」と偽り、犯行グループの一人にわざと車に置きに行かせるように指示。その後で「なくなっているじゃねーか」と因縁をつけ、拉致して監禁する。

「なくなっているじゃねーか」である。如何にも無軌道な若者らしい発言である。きっと、「おらおらー」とかも言ったに違いない。

 監禁中は常に監視役がおり、食事は監視役がコンビニエンスストアで買ったおにぎりを与えたり、「炊いて食え」と米だけを渡していた。六人は仕方なく、塩をかけて食べていたという。

 この「塩」は、覚醒剤と偽った「食塩」と同じものだったのだろうか。そうだとしたら、ちょっと情けなくて泣けてくる。
 それにしても、この容疑者たち、手口は巧妙で擦れているくせに本質的な部分でかなり馬鹿にも思える。少年たちを浦安の現場で働かせていたというから、まさに「行徳の俎」というところか。


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1999/11/12
文責:keith中村
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