第276回 雄山毒笹子(おとこやまやぶしめじ)


 黒潮の流れに面した温暖な土地といえば聞えはよけれど、作物もろくに育たぬ痩せた土地で、三方を山に囲繞されておれば、海に漁りして口に糊するほかには手段がない。とは云えど海底の地形が悪いのか、獲れる魚といえば肥料にしかならぬような雑魚ばかり、井原村はそういう貧しい村であった。明治のご一新から大正昭和、やがて戦後となっても、一向に代わり映えせぬ村人の暮し向き、これを大きく変える事態は昭和も三十年代になってようやく訪れた。
 原子力の研究所を誘致する話がもちあがったのである。
 当時六十八歳であった石尾村長は、誘致を熱心に推進したが、まだ戦後間もない上、第五福龍丸事件の衝撃も醒めやらぬ時分であったため、村人の反撥は大きかった。村議会でも推進派反対派真っ二つに割れて侃侃諤諤、「原子力と聞いたらそれだけで反撥する人おますけど、別に何にもおとろしいもんやあらしません、だいいちピカドンとかああいうもんと違うて、平和目的に研究する施設ですよってに」と推進派が説明すれば、「何いうてる、平和目的やろうが何やろうが、事故になったら、それこそ原爆やビキニ実験の二の舞や、村中が放射線で汚染されてしまうやないけ」とこれを反駁する、そやかてあんじょう安全管理をやるいうことやさけ心配は要らへんのとちやいますか、ほんまに安全かどうかそもそも百パーセント確実やいうことなんかあらへんがな、地震でもあったらどないするねん、いやいや古い文献をみてもここ三百年も大地震があったいう記録は見当らへんし、何でも研究所は震度六の地震にでも耐える設計やそうやからべっちょない、議論は蜿蜒と続いたが結局村長が推進派がともども半ば強硬におしきり、研究所が建設されることとなった。最初は頑強に反撥していた村人たちも、何やかやと補償金補助金が出る、村が活性化する、喉元過ぎて熱さを忘れたか、そのうち誰も文句を言わぬようになった。やがて列島改造の時代となり、全国的にゴルフ場が建設されるようになると、この地にも山をひらいてゴルフ場が建設され、その際山中にて多量に自生しているシメジを発見、これに眼をつけた業者が村の特産物として売り出すと、これがなかなか好評ともてはやされる、ここにいたって貧しかった村はようやく殷賑を極めた。
「主任、これどうやるのですか」大学の研究室からこの研究所に移ってきたばかりの宮本が問えば、ああ、この器に入れて反応させるんや、主任の小泉がこう答えれば、直截こんなものの中で反応させても大丈夫なのでしょうかと吃驚している宮本に、阿呆たれお前ら大学なんちう象牙の城でおなごがおまんま喰うときみたいにお上品に処理しとったんやろが、現場ちうのはそないなちんたらしたことやれんのじゃ、よう覚えとけ、そういって小泉は反応物質を乱雑な手つきで扱う。ええか、ここでは昔からずっとこうやって来たんや、郷に入りては郷に従えちうやつや、と言う小泉に宮本は不安を隠しきれない顔である。
 なあ、お母ちゃん、わてなんか体がだるいわ、と綾子が告げると母はその額に手をあて、なんや熱あらへんがな、べっちょないべっちょない、とにこやかに笑う。綾子が曲がりくねった山道から陽に映えて小さく光る研究所を麓に見降ろして、せやけどほんまだるいねん、ホーシャノーのせいちやうかな、と呟けば途端に母は真顔になって、誰がそんなこと言うてん、母の荒い声に驚いた綾子は、センセがいうてはったんや、ホーシャノーいうんはおとろしいもんやて、阿呆いいなさんな、そんなことあらへん、でもお母ちゃん、センセが言うてはったけど、山崎さんとこの赤ちゃんがえらい大きい頭して生まれてきたんもやっぱりホーシャノーなんやて。母はますます厳しい顔になって、綾子ええか、よう聞き、あれは放射能とかそんなんやない、山崎さんとこは昔から蛇ようけ殺してはったんや、納屋から出てきた白蛇まで殺してはるんや、そやからあれは蛇の祟りなんや、放射能ちやうからな、ええか、よそ行ってそんなん言うたらあかしまへんで、お前は知らんやろけどな、お母ちゃんがお前くらいの時代はこの村はそらもう貧しうて貧しうてな、村がここまで豊かになったんは全部あの研究所が来たおかげなんやで、と諭すと、綾子は道端の芒の穂を弄びながら、ふうんと曖昧に頷いた。今日はようけシメジ採れたな、こらきっとおいしいで、と母は再び笑顔になり綾子の手をひいて山を降りていった。杜撰な安全管理が原因で研究所が放射線漏れ事故を起こしたのはそれから半月ほど後のことである。
「せやけどほんまに大丈夫なんかいな」父親に継いで村長をやっている石尾がやや不安気に助役に訊く。「村長、大丈夫ですがな。ちゃんと検査済みです。基準値以下ということが確認できました。何しろ今回の事故では全国的にえらい大袈裟に報道されてしまいましたからな。このままでは村のイメージががた落ちですわ。デモンストレーション言うんですか、プレゼンテーション言うんですか、とにかく村長自ら食べてもらうことで、安全性を訴えんことにはせっかくの村の産業が台無しですわ」「そやな」村長は手につまんだシメジに鼻を近付けて、くんとにおいを嗅いだ。「テレビやなんかもようさん来てますから、村長、ひとつ笑顔を絶やさずにお願いします」
 促されて、石尾は村役場の会議室へ向う。そこに待っているのは関係者並びに、石尾が食する予定の、自然界に存在する数千倍の放射線を発しているシメジ料理である。


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1999/11/11
文責:keith中村
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