第270回 ダンジラーズ


 問題はだんじりである。
 ご存じでない方のために書いておくと、だんじりとは大阪南部かつての和泉國いわゆるところの泉州一帯にて奉納される秋祭りで曳かれる山車の一種である。全国的には岸和田のそれに知名度があるが、この風習は岸和田のみならずいわゆるところの泉州一帯に存在する。
 多くの祭礼では御霊代の依り代としての神輿や山車の類が用いられ、とりもなおさずこれが文字通り祭礼の枢軸、主要出し物となるわけであり、そもそもが山車という言葉は「出し物」の「だし」が語源と言われているのだが、通常これら神輿あるいは山車の類の速度(v)とその質量(w)には、v=a÷w(aは定数)という関係式が成立すると言われている。すなわち質量が大きくなればなるほどその速度は低下するという反比例の関係があるのだ。片田舎の小さな秋祭りで使用される数人で担げるような小規模の神輿は比較的軽量であるがゆえその速度は速い。「うちの田舎の神輿はとろとろ歩いているぞ」と思われるかもしれないが、ここでいう速度には「わっしょいわっしょい」という掛け声とともに神輿が上下するヴェロシティも含まれていることを念頭に置かれたい。反面大きな山車の代表ともいえる祇園会の山鉾ではその速度は比較的遅い。ところが、だんじりはあろうことかこの法則を無視するかのように猛烈な速度で走るのである。これはいったいどういうことだろう。
 だんじりの速度について述べる前にその歴史について少々説明しておこう。だんじり文化の総本山岸和田でだんじりが始まったのが元禄十六年(一七〇三)というから赤穂義士の討ち入りがあった翌年である。岸和田城城主であった岡部氏が五穀豊穣を祈願してはじめたものと伝えられる。ところで、岸和田城には奇妙な伝説がある。戦国時代岸和田城主と根来衆の間に合戦があった。このとき海中から何千匹もの蛸が上陸し、やがてその蛸の絨毯の中から一匹の大きな蛸が姿を現した。この蛸が根来衆を駆逐して城を守ったというのだ。何とも恰好の悪いものに助けてもらったものだ。大蛸に教えられ、という奴だろうか。麻雀は弱かったに違いない。しかし生越さんなら喜んで受け入れてくれるかもしれない。判りにくいことを書いてしまった。この蛸を祀るため、蛸地藏という地蔵堂が建立された。これは日本一大きい地蔵堂らしいのだが、よりによって蛸である。蛸なのに地藏である。しかもこの地には「蛸地藏もなか」まである。まったく、名物にうまいものなしである。
 さて、だんじりの速度に話を戻そう。だんじりは毎年怪我人死人が出るのは当たり前という喧嘩祭の代表であり、その凄まじい速度には瞠目すべきものがあるのだが、実は成立当時のだんじりは比較的穏やかな速度で練り歩いていたらしい。この穏やかなだんじりは江戸時代を通して奉納されつづけた。ところが事態は急変した。今から数十年前のことらしいのだが、変化は突然に訪れた。だんじりというのはそれぞれの町がひとつづつ出すのでかなりの数が巡行するのだが、その年、とある町のだんじりがどうしたことか猛烈な速度で疾走したのである。おそらくは引き手が酔っぱらって滅茶苦茶をやってしまったのだろう。通常、祭礼というのは伝統を重んじるものであるからこういう勝手な振る舞いは許されるべきものではない。疾走した引き手は厳重に注意されるはずであった。だが、疾走するだんじりは、この地の単純もとへ素朴な人びとに次のような印象を抱かせた。
「なんや知らんが勢いがあって恰好ええやんけ」
 そして、その翌年の秋祭り。なんと今度は各町のだんじりが一斉に疾走しはじめたのであった。
「いてまえ。わがの町も走っちゃれ。そーりゃ、そーりゃ」
 そういう思いであったのだろう。なんとも単純もとへ素朴な土地柄である。
 それにしても恐ろしいことである。というのもだんじりというのは高さ長さともに約四メートルであり、その重量は四トンを越える。これはアフリカ象の成象一頭に匹敵するのだ。だんじり一基を牽引する引き手は多い場合千人にのぼる。要するに手綱をつけたアフリカ象を千人が引っ張りながら全力疾走しているようなものなのである。そーりゃ、そーりゃと叫びながら。しかもただ真直ぐ引っ張るだけではない。なんら減速することなく鋭い角度のカーブへ突っ込んでゆきそのまま曲るのである。当然曲がりそこねて角の家屋に激突するだんじりもある。巡回するコースは毎年決まっており曲りにくい場所も当然決まっているわけで、そういう場所に建っている家屋は毎年損壊の被害に遭う。しかしこれを大損害である、と思ってはいけない。なんとなればこの地には「だんじり保険」という制度があり、だんじりで破損した家屋には保険金がおりる仕組みになっているから心配ないのである。さらに書き添えるなら実はだんじりには昭和三十年代初頭にブレーキをつけることが義務づけられており、現在ではすべてのだんじりはブレーキを備えているのだ。ただし、現実問題としてこのブレーキはほとんど役にたっていないと言ってもよいだろう。それにしてもブレーキを備えた山車というのもちょっとどうかと思う。
 ところで、だんじりを辞書でひくと檀尻、楽車、山車などと宛ててある。しかし、いわゆるところの泉州一帯ではこれらの漢字は一切使われない。もっぱら「地車」と書いて「だんじり」と訓ませている。地車。轟轟と大地を揺るがすだんじりならではの恐ろしい熟字訓である。さらに恐ろしいことは、平仮名も満足に読めぬ幼児ですら、「地車」だけはだんじりと訓めるのであった。
 この地の住民のだんじりにかける熱意は並々ならぬものがあり、秋祭り当日は学校は休校となり勤め人は会社を休む。地方へ移住しているものもこの時だけは何があっても駆けつける。どうしても休暇を取れない勤め人は無断欠勤してでも祭礼に参加する。馘首すら辞さぬ覚悟である。彼らはだんじりのために残りの日を生きているのだ。かくして祭の当日は市内の社会機能は完全に停止する。更には二十万人の住民と二十万人の見物客併せて四十万人もの人出によって交通も完全に麻痺するのである。もうそこにあるのは法治国家日本の姿ではない。
 話は変わって、だんじり流通システムというものもある。だんじりの世話人になると百万円程度を寄進しなければならず、しかしみな進んでこれを喜捨するのであるが、集まった金は新規のだんじり製造に使われる。岸和田のだんじりは泉州だんじり地域の中でももっとも高価で一基あたり五億円ほどもするのである。五億円である。五円を置くのではないのだ。しかしそうやって新たに作っただんじりも数年走らせれば老朽化してしまう。その古くなっただんじりを廉価で引き取る回収業者が存在するのである。業者は回収しただんじりを修理整備したうえで、今度は岸和田周辺のたとえば貝塚市なり和泉市なりへ持っていく。周辺の地域のだんじりは岸和田ほどに有名ではないため予算もそれほど取れない。そこへ中古だんじりとして売りつける仕組みになっているのだ。さらにここで老朽化しただんじりはまた回収して、もっと予算の少ない地域へ売りつける。だんじり転がしである。だんじりだけにそりゃもう転がる転がる。
 文化圏の違う我々にとってだんじりは理解しがたいものである。しかし、現地の住民にとってはそれはそれは興奮させる祭礼であるのだ。あまりに興奮してしまうため、どうしたわけかこの地には六月生まれの人が異常なまでに多い。
 書き忘れていたが、岸和田のだんじりはその六月より十月十日ほど遡った九月十四、十五日に開催されている。


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1999/10/28
文責:keith中村
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