第267回 饒舌であること


 言語による意思疎通というのは今さら言うことでもないがとても難しいことである。「雄弁は銀、沈黙は金」とは言わずと知れたトーマス・カーライルの格言であるが、しかしまた「過ぎたるは及ばざるが如し」と論語に言うように、雄弁も寡黙も程度の問題であり、あまりに過度なのはどちらにしてもよくないものだろう。
 もちろん、のべつ幕なしにべらべら喋っている人や、いつだって貝のように押し黙っている人というのは極端な例で、この社会に生きる以上たいていの人は喋ること黙ることに対して意識的な制禦をおこなっているはずだが、しかしちょっとした場面に出喰わすと、人は過剰に饒舌になる。たとえば狼狽したときがそうだ。
 刑事コロンボのような倒叙ものでも自然に振る舞おうとべらべら喋るうちつい犯人しか知らない事実まで言ってしまって捕まるというものがあるが、じっさい黙っていればよい場合も多いのだ。
 子供のころ、お遣いを頼まれて近所を歩いていると、ある家の主人が屋根に登っていた。私は、何をやっているのだろうと立ちどまってその行為を見あげた。しばらくして、その男がふと下を見た。私と目があった。男は私に言った。
「あのな、ぼく。おっちゃんはアンテナ直してるだけやねん」
 私が黙っていると、
「ほっ、ほんまやで。ここはおっちゃんの家やねん」
 そこへ、ひとりの女性が通りかかった。男はその女性に声をかけた。
「おじょうさん、おじょうさん」
 女性は思わぬ上方から声をかけられて、とまどった返事をした。
「アンテナを直しているのです」
「は、はあ」
 突然そんなことを言われてもかなり困る。女性は曖昧に笑ってその場を去っていった。
「ほんまにアンテナ直してるだけなんです」
 屋根の上の男は縋るように叫んでいた。
 私もその場を去った。
 遣いの帰り道、またその家の前を通ると、男はまだ屋根の上にいた。
「アンテナはどうかなー。こんなもんかなー」
 男は半ば歌うような口調でくり返しそんなことを言っていた。よほど不審な人間と思われるを避けたかったのだろうが、むしろかなり不審だった。
 ついつい過剰に喋ってしまう局面には、他にもこういうのがある。
 小用を済まして手を洗っていると、水が撥ねてズボンの前にかかってしまった。男性諸氏ならいちどは経験のあることだろう。これはかなり困った事態であると言わざるを得ない。たとえば会社で仕事中、小用に立ちこの事態に陥ってしまったとしよう。自分の机に戻ってくると、立ったまま隣席の同僚に話しかける。
「いやあ、つい水が撥ねちゃって。ほら」
 そういいながら腰を突き出してズボンの前を相手に見せるのだ。
 黙ってさっさと座って、乾くのを待てばいいじゃないかと思うのだが、こういう言わずもがなの言い訳をやってしまう人は案外いるものだ。
 中には叮嚀に部署じゅうのみんなに順繰りに言って回る人までいる。女子職員などはあからさまに迷惑顔になるが、気づかない。
「ほらほら。この染みだけどさ」
 ひどい奴になるとその後わざわざ隣の部署にまで出向いてゆく。
「これはただの水なんで心配ありませんから」
 染みは心配ないが、彼の行動は非常に心配である。
 翌日会社に行くと、
「昨日、トイレでさ、水がね」
 まだ言っている。
 こういうのはまったくの逆効果ではないだろうか。残念ながら仇名は「ちびり太郎」に決定である。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1999/10/21
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com