第266回 ららら


 今年はいつまでたっても暑くって大変だったが、ここへきていきなり冷え込んだ。つい先頃までシャツを腕まくりしていたものだが、今や朝夕など上着は欠かせない。
 こういう気候ではなんといっても健康に気を遣わなくてはならない。ついつい窓を開けっぱなしで眠り込んでしまったり、臍を出したまま寝てしまったりということをやるとたちどころに風邪をひいてしまう。
 くれぐれも気をつけなければならぬと思っていたのに、さっそく体調を崩してしまった。鼻風邪というのか咽喉や鼻へくるやつだ。体温は平熱なのに、やたらに咳いてしまうし、鼻もつまる。
 余談だが「鼻つまみ者」という言葉、あれは間違っているのではあるまいか。「鼻つまみ者」は「周囲にいる人が思わず鼻をつまんでしまう臭いをはなっていそうな嫌われ者」という意味だろうが、それならむしろ「鼻つままれ者」の方が適しているのではなかろうか。鼻つままれ者。マーマレードにも似ている。と、ちょっとだけ思ったが、よく考えるとちっとも似ていない。鼻つマーマレード者。苦し過ぎる。
 鼻がつまるとどうも言葉が明瞭でなくなる。ふがふがした声になってしまうのだ。
 近ごろはアナウンサーでさえ鼻濁音をきちんと発音できない、と嘆く老人がいる。私も日頃は鼻濁音を使いこなせない。とくに大阪では「が」を強く発音するので、たとえば「蛾がいる」と言うと、「蛾」など一音節の語を延ばして発音する傾向にある大阪弁も手伝って「があがあ、おる」などともはや何語かよくわからない叫び声になってしまうのであった。何だそりゃ。そういえば西洋の古い教会なんかではガーゴイルという空想の怪物の像が狛犬然として据えてあったりするが、あれと関係あるのか。いや、ない。
 それはさておき、ともかくそんな私なのに、鼻づまりになったことで鼻濁音を発音できるようになってしまった。鼻濁音も鼻濁音、そりゃもう大変な鼻濁音なのだった。今や私は鼻濁音の大家である。鼻濁音の権化である。鼻濁音オブ・ザ・イヤーである。鼻濁音奉行である。カリスマ鼻濁音である。そろそろくどい。
 しかしまあ物には限度というものがある。じっさいのところ鼻からちっとも息が抜けないので、鼻濁音を通り越してふがふが言ってしまうのだ。超鼻濁音、英語でいうところのスーパー・ビダクオンZである。
 こうなるともう何を喋ってもむにゃむにゃという音になってしまい、かなり情けない。昔から色っぽいものは「目病み女に風邪引き男」だというが、たとえ風邪を引いていても鼻がつまっておれば色っぽいというよりはむしろ馬鹿っぽい。
 がはごほと咳をしていると、人から大丈夫かと訊かれる。「はい、大丈夫です」と答えたつもりが、
「はい。らいじょうぶれす」
 と、かなりな発音になってしまうのも、いかがなものか。ちっとも大丈夫そうじゃないじゃないか。レゲエはジャマイカじゃないか。
 そもそもダ行というのは日本語の音の中ではかなり強いものである。勢いがある。ところが鼻がつまるとそれがラ行になる。正確にはナ行とラ行の間くらいの音なのだろうが、表記するにはラ行とせざるをえないような音になってしまうのだ。ラ行というのは薬で呂律が怪しくなっている状態をラリると表すことからも判るように、いかにもあやふやで間の抜けた音なのである。力強かったダ行が、いきなり馬鹿のラ行へ転落するのであった。
 これがいかに困った事態であるかというと、たとえばこういう名前の人がいる。
「段田男」
 いかにも男という名前である。ますらをぶり、名前である。玄海灘である。
 だが、鼻づまりの私が発音すると、この人がこうなってしまう。
「らんららん」
 これはちょっとどうしたことか。これでは、たをやめぶり、ではないか。賀茂真淵破れたり。まるでメルヒェーンではないか。お花畑でスキップだ。わたし、赤頭巾ちゃんよ、うふふふ。そういうあれだ。段田男、血迷ったか。
 だがしかし、問題はこれで終わりではない。なんとなれば、段田男は段田男ひとりあるものではないからだ。段田男もやはり世界のなかで世界と関り合うことで段田男たるものなのだ。つまり、段田男はさまざまな文脈に現れる危険性を孕んでいるのである。こういうことを言いたくなったとしよう。
「段田男、団地に出現」
 もちろん、私だってこのようなテキストが一般的であるとは思っちゃいない。これが広く人口に膾炙するような言い回しではないことくらい承知している。だが、長い人生のうちにはそういうことを言わなければならない局面がないとは限らないだろう。あるいは、チンパンジーが出鱈目に叩いたタイプライターに偶然このテキストが現れる可能性もゼロとは言えぬのではなかろうか。まあ、チンパンジーのことはこの際置いておこう。しかし、こういう趣旨の発言をせねばならないときに、運悪く鼻がつまっていたとしたら。それは明日あなたの身に降りかかるかもしれないのだ。
「らんららん、ランチに出現」
 こうなるとコミュニケイション・ブレイクダウンである。頓智かなぞなぞか、と誤解されてしまうのだ。
 また、こういうこともある。
「段田男対ダイバダッタ」
 だが悲しいことに、この言葉も
「らんららん対らいばらった」
 などと虚しく空に消えてゆくのであった。
 こんな事態に陥ったとしよう。
「段田男がどんどん童心に戻る時代」
 そんな時代があるのか、という議論はひとまず擱いておこうではないか。問題はそういうことではないのだ。
「らんららんが、ろんろん、ろーしんにもろる、じらい」
 あるいは、
「この秋、段田男がダースベイダーに大変身」
 だったらどうか。
 いや、もう止そう。もう充分だよ、ジャック。完璧な人間などいやしないのさ、ベティ。おしまいにしよう。レッツ・コール・イット。
 なんだかよく判らないことになってしまったが、ともかく鼻づまりがいかに恐ろしいかということを感じ取っていただければそれだけで私は幸せである。
 それにしても、これほどまでに段田男について真剣に考えたことは私にとって初めての経験である。
 段田男。おまえはどうして段田男なのら。


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1999/10/20
文責:keith中村
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