第264回 人間トマソン


 ヒッチコックが「めまい」で使ったカメラワークに、遠くから望遠でおさえた被写体に向かってカメラを前進させ、それと同時にレンズを望遠から広角へと連続的に動かすものがある。望遠では遠近感のないつぶれた画になり、広角では逆に遠近感がある画が撮れるわけだから、これをやると被写体が動いているわけでもないのに背景だけがさあっと遠ざかるなんとも不思議な画を作ることができる。とても不安で不吉な画に仕上がるわけで、「めまい」ではこれが高所恐怖症の主人公が眩暈を起こす一人称視線として非常に効果的に使われていた。ブライアン・デ・パルマはヒッチコックを崇拝しているのでよくこの技法を真似ている。スピルバーグもヒッチコックの信奉者であったから、初期にしばしばこの技法を使った。「ジョーズ」でロイ・シャイダーが「また鮫が出た」と聞いて吃驚する場面や、「ポルターガイスト」で家から脱出しようと母親が廊下を走る場面に使われているのはたいへん印象的なので覚えている人もいるのではなかろうか。やがてゼメキスやらあの辺のスピルバーグ一家の連中がこれを多用しはじめてから、かなり普遍的な技法となり、今では不安な状態を表すひとつの定石として、テレビドラマですら時折見掛けるものになった。
 いったいこのカメラワークに名前が付けられているのかどうか知らないのだが、私が学生の頃所属していた映画研究部では「めまいズーム」と呼んでいた。われわれの映画研究部でもこの効果を得たくって試してみたことがあるのだが、なにぶん自主制作であるから予算が取れない。本当はカメラをレールに載せるのだが、そんなものは準備できないから荷物を運搬する手押し車にカメラマンを乗せて後ろから押すことにして、撮影してみた。数日後あがってきたラッシュを見てわれわれは大きく失望した。本来ならば、カメラが近づいて被写体が大きくなると同時に上手にレンズを引いてゆき、被写体の画面上の大きさが絶対変わらぬようにしなければならないのだが、アマチュアであるからそんな器用な技術はない。被写体が大きくなると慌ててレンズを引いて小さくする、するとまたカメラが近づいて大きくなる、慌ててレンズの操作で小さくする、の繰り返しで何ともがくがくした画になってしまったのだ。おまけに手押し車を使っているから画面全体がぐらぐら揺れている。ヒッチコックの「めまい」というよりはむしろ、谷啓の「がちょーん」を連想して悲しくなってしまった。
 さて、「めまいズーム」というのはわれわれの造語であったわけだが、実際にはこういう印象的な技法はそれがはじめて使われたものにちなんで命名される場合が多い。
 同じく撮影の技法で「イントレする」というのがある。テレビ業界でも使われる言葉のようだが、これは櫓を組んで高い位置にカメラを備えて撮影することである。デビッド・ワーク・グリフィスが1916年に撮った「イントレランス」で、この技法が多用されたことからそう呼ぶようで、櫓そのものも「イントレ」と呼ばれる。
「セッシュウする」というのはもっと有名だろう。これは背の低い俳優を高く見せるため踏み台に乗せて撮影することで、サイレント時代の日本人ハリウッド・スター早川雪洲の身長を他の西洋人俳優に揃えるためこの方法が使われたことにちなんでいる。こちらもやはり踏み台そのものを「セッシュウ」と呼んだりする。
「セッシュウする」ことを「アラン・ラッドする」と呼ぶこともあるらしい。アラン・ラッドもやはり背が低かったからというのが理由のようだが、はてアラン・ラッドはそんなに小さかったかな、と疑問に思い調べてみることにした。
 ところが残念なことに、あれこれ調べてみたのだが、どうしてもアラン・ラッドの身長が書かれた資料は見つからない。かわりにこういう記述に行き着いた。
「ノッポさん。百八十三センチメートル」
 ふうむ、と唸ってしまった。なるほど。ノッポさんだけあって、確かにノッポである。私が子供の頃に見ていたのでノッポだという印象を持ったというわけではなく、本当にノッポだったのである。まあ、ノッポさんが百六十センチしかなければ、なんだか詐欺じみているし、これはこれでいいのだろう。
 だが、その次にたどりついた事実に私は愕然とした。
「大木凡人。百八十センチメートル」
 大木凡人である。いわゆるところの凡ちゃんである。平たく言って凡ちゃんである。ありていに言って凡ちゃんである。凡ちゃんなのに、百八十センチもあるのだ。何ということだろう。凡ちゃんは六尺の大男だったのだ。あんな髪型している癖に、六尺もあったのだ。あんな眼鏡掛けている癖に、半鐘泥棒だったのだ。いいのか、凡ちゃんの癖に。これはお茶の間に対する欺瞞ではないのか。背信ではないのか。凡ちゃんはやはり百六十センチ以下の小男でなければいけないのではなかろうか。
 六尺と言えば、羽賀研二と同じだ。ブラッド・ピットと同じだ。レオナルド・ディカプリオとも同じだ。凡ちゃん、もしかして格好いいのか。余談だがディカプリオ、やはり名は体を表す。
 しかも、大仁田厚とも同じだ。K1のアンディ・フグとも同じだ。凡ちゃん、もしかして強いのか。
 大木凡人五十歳、百八十センチ。無意味だ。無駄にでかい。
 そんなわけで、私は凡ちゃんを「動くトマソン」もしくは「人間トマソン」と呼ぶことを提唱したい。そういうことに決定。
 まあ、トマソンってそもそも人間だけどさ。


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1999/10/11
文責:keith中村
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