第261回 透けとるん


 近ごろすっかりスケルトンというのが定着した。要は中身が透けて見える製品である。現在の流行の火付け役は間違いなくアイマックであろう。アイマックなんかの場合は中身が見えると言っても当然シールドなんかが施されているわけだから骨組みそのものが見えるわけではないので、スケルトンという言い方は正しくないのかもしれない。正確にはトランスルーセントとか、トランスペアレントとか言うべきだろうし、あるいはもっと古い流行語でシースルーというのもあったが、スケルトンというのが「透ける」に引っ張られていちばん通りがよくなっている。似た言葉にベアボーンという言葉もあるが、これはコンピュータの場合、いわゆる組み立てキットの一種で、CPUだのビデオカードだのという好みの分かれる部品は購買者に任せることにして、ある程度基本的な部品だけをセットにして売り出したものを呼ぶようで、スケルトンとはまったく意味が違いまことにややこしい。ちと話は逸れるが、以前あるコンピュータの雑誌で「ベアボーンとは熊の骨のことであるが、なぜ熊なのかはよく知られていない」と大真面目に書いてあって愕然としたことがある。Bare を bear だと思ったのだろう。
 私は透明なり半透明なりのあの筐体をスケルトンと呼ぶのはややひっかかりがあるのだが、敢えてトランスルーセントなどと呼ぶのもやや衒学的であろうし、ここではスケルトンで通すことにする。スケレトンとかスケリトンの方が原音に近いという意見もあろうが、こらえていただく。
 さて、かつてはスケルトンはいかにもやすっぽい印象を受けるものであった。特に色を付けた半透明の材質は子供のおもちゃによく使われていたことや、粉ジュースをはじめとする駄菓子を連想させることなどが原因だろう。私はアイマックを見ても「あえて安っぽいデザインにしたところがかえって恰好いい」と感じるが、もっと若い世代の人はかつての廉いおもちゃや駄菓子などは知らぬようでむしろ純粋に「お洒落だ」と感じるようだ。ただし、昔もスケルトンであるがゆえに高級感を醸し出す製品もあるにはあった。同世代以上の方ならご記憶かもしれないが、「メタルテープ」なんかはそうだった。TDKだったかが初めてあのカセットテープを売り出したときの枠が透明だったのだ。枠内には共振防止用に金属が埋め込んであり、手に取った感触もずしりと重かった。上書き防止の爪はたしか赤だったと思うがあれも恰好良かった。値段は四十六分用で千二百円だった筈だがいかにも高級品だったのだ。エレキギターでも胴がアクリル製で透明のものはいくつかある。たしか有名なビンテージ物でもあったと思うが、名前を失念してしまった。
 今やアイマックはあからさまに意匠を真似た製品まで出るほどの定番商品であり、コンピュータの分野では各種周辺機器や部品にまでスケルトンが浸透している。しかもこの流行はすでにコンピュータだけに留まらず、各分野の商品へと波及している。
 携帯電話や携帯端末など比較的コンピュータに近い分野の製品はもとより、カメラやラジカセなどにもスケルトンのものが登場した。K1グランプリにもマット・スケルトンという人がいる。関係ないか。いちばんびっくりしたのはこれだ。
「スケルトンのカップラーメン」
 これは私も聞いた話で実物は確認していないのだが、どうやら「カップヌードル」らしい。通常のものとは違い箱に入れられて売っているようで、その中に透明カップのカップヌードルが入っている。いったいどういうつもりだ、日清。そもそも即席ラーメンの乾燥麺というのは見ていてそれほど気持ちのよいものではない。買った人の話では「脳味噌みたい」ということのようだ。湯を注いで脳味噌がふやけてゆくさまを三分間じっと眺めていろ、ということなのだろうか。そんなことをしたらこっちの脳味噌までふやけてしまうではないか。また、買った人によれば「喫水線(とは言わぬか、お湯をここまで注ぐというのを表した線である)が見えにくい」とのこと。
 ところで、スケルトンの流行がもう少し続けば、今後更にいろいろな製品に応用されることになるだろう。「白もの」と呼ばれる電化製品も、すでに白以外にさまざまな色の製品が登場しているわけで、スケルトンが登場するのも時間の問題かもしれない。
「スケルトンの冷蔵庫」
 これはちょっと凄いぞ。奥の方で干からびたキャベツの切れはしやら、戸袋に半年間置きっぱなしで賞味期限の過ぎた蕎麦つゆなんかも丸見えだ。ほら、奥さん、そこの干し海老早く食べちゃわないと。
「スケルトンの洗濯機」
 これもちょっといいかも知れない。何しろ、洗濯物が丸見えなのだ。汚れが落ちてゆくところがよく判る。ほら。シャツも回れば、パンツも回る。回る回るくるくる回る。喜び悲しみくり返し、今日は汚れた猿股たちも生まれ変わって歩きだすよ。くるくるー。
「スケルトンのパンティ」
 あ、これはあるところにはあるな。
「スケルトンの家」
 これはかなり困る。兄弟喧嘩も下着でうろうろする親父までご近所から丸見えである。まさに、「押入れの中の骸骨」である。判りにくい洒落だ。
 分析するに、スケルトンとはかつてのブラックボックスであった各種製品の内部構造を世界に向けて開放するという思想の表出である。すなわちスケルトンの流行とは、エリック・S・レイモンドの「伽藍とバザー」に象徴されるオープンソースの思想がハードウェアにまで波及した結果ではなかろうか。
 などとそれらしい理屈つけてどうする。そんなわけないだろ。


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1999/10/04
文責:keith中村
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