第26回 寝言


 天は二物を与えずという。「完璧な奴はいないさ」というのは「お熱いのがお好き」にあった科白だ。才色兼備、文武両道という言葉もあれど、実のところどんな人間だって欠点乃至は負の要素というものを持ち合わせているものである。
「あんな奴どうせ足が臭いに決まっているさ」とか「きっと臭い屁をこくに違いない」とかいうのは、優れた容姿と秀でた頭脳を持ち性格だっていいという完璧な人間に対して、器の小さい人間が羨望とやっかみから負け惜しみとして吐く言葉の定番である。においに話を持ち込むというのが小児的であるが、たいていの場合こういうことをいう人間のほうがよっぽど足や屁が臭いというのも世の常である。
 だが人間の瑕瑾というのは、臭いなどという部分にやあらず、ほんとうはもっと別の面に表出するのである。
 眠っている人は自分を制禦できぬ。実はそういうときにこそ欠点が発現する。たとえば鼾がうるさいとか、歯ぎしりをする、涎を垂れる、夢遊病で歩きまわる、などがそうだ。
 あるいは、それは寝言に現れる。私は考えるのであるが、もしかしたら、ぽつりぽつりと呟く寝言がいちいち怖いという奴もいるかもしれない。いや、この広い世の中、きっといるに違いない。いる。いるったらいるのである。
 クラブの合宿、あるいは社内旅行で同室になった人間が、「寝言が怖い」奴である可能性だってある。
 夜中にふと眼が醒める。隣りの蒲団から規則正しい吐息に聞こえる。突然そいつが寝言に言う。
「……おまえの影はゆらめいて消える……」
 あなたが吃驚して見ると、薄明のなか、そいつはこっちを向いているのだ。そしてまたぽつりと、
「……ぽっくり、ぽっくり。血を流す桜の樹。春はまだ遠いなあ……」
 あなたはがば、と起き上がり、そいつを叩き起こす。
 頬をぺしぺしと叩いて「おい、こら。こらこら。起きろ。起きろってば」
「ん。ううう。ふあ。な、何だよお」
「おまえ、今なんて言った」
「むう。なにい。何だよお」
「何か言ったろ」
「何があ。あああ。ふああ。今何時だよ。え、三時過ぎい。なんだって起こすんだよお」
「俺の影がなんだって。なんで桜が血を流すんだよお。こら、説明しろって」
「何を言ってんだよお。寝ぼけんなよお」
 そいつは何も覚えていない。寝言だからである。しまいにはあなたが寝ぼけたことにされてしまう。
 これは怖い。理不尽な怖さである。
 あなたの恋人も、寝言が怖い人かも知れぬ。
 本願叶って初めて同衾した夜。彼女はすやすやと寝息をたてている。あなたは幸せな気分で窓からさしこむ月明かりに浮かぶ彼女の寝顔を見ている。と、そのとき。
「……ベルゼブブの名のもと、あたしの子宮に蠢く無数の子鬼……」
 な、何だ。あなたは思う。と、また、
「……おまえは狂うた舞を舞え。足がもげるまで……。三年踊りてそして死ね。くっくっくっくっ」
 仰天して彼女を揺り起こす。「おい。おいおい。起きろ。おい、ちょっと」
「んんん。ふあ。なあに。どうしたの」
「今何て言った」
「んん。何があ」
「ベルゼブブって何さ」
「むにゃむにゃ。何言ってるのお。ふああ」
「なんで三年踊るんだよお。おい。何だそれ。わけがわかんないじゃんかよお」
「ううん。むにゃ。眠いよお」
 それからも同衾のたびに彼女は怖い寝言を呟く。いちいち怖いことをいうのである。
「……鬼は這うもの這いずるもの。おまえは喰われて藪の中……」
「……どうして私を殺したの。ここはとても寒いところ。あなたにも味わってほしいのよ……」
「……十字架に架けられた新井薫子。断頭台ではクロムウェルが、がちょーん……」
 これでは彼女との仲は早晩終ってしまうに違いない。
 あるいは母親が、寝言が怖い人だったら。
 三歳のあなたは母に抱かれて眠っている。夜中にふと眼醒めると、母親がぽつりというのだ。
「……おまえはほんとは雨蛙。それが証拠に臍がない……」
「……山に捨てよか、とって喰おうか。それとも売ろうか、曲馬団に……」
「……剃刀かみそり。持ちて叫べよ。レッドスネーク、カモン……」
 泣き出してしまうだろう。
 このように、寝言が怖いというのは怖い。
 いやもしかしたら、あなた自身、怖い寝言を呟いてるかもしれぬから気をつけねばならぬ。いちど家族や恋人に確かめてご覧なさい。


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1997/11/24
文責:keith中村
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