第249回 清濁併呑


 日本語の音節は他の多くの国のそれに比べて非常に少ないということがよく言われるが、このために我々の使う言葉は音節の組み合わせの変化に乏しいのでどうしても似たような組み合わせが多くなってしまい、「世の中は澄むと濁るで大違い刷毛に毛があり禿に毛がなし」という狂歌に代表されるように、僅かな違いでまったく別の言葉になってしまう例が多い。
「私は牛の肉が好物です」
 このように言うのは特に何ら差し障りがあるわけではない。だが、注意しないといけないのは、この文がほんのちょっと違うだけでとんでもないことになってしまうという点である。
「私は蛆の肉が好物です」
 これはちょっとかなりなことではないか。何しろ蛆なのだ。蛆なのに好物なのだ。食べるのだ。
 蛆を口に含むのである。前歯の間に挟むと弾力を持った、ぷにゅう、とした歯触りがあるのだ。そのままその感触を楽しむように何度か甘噛みするのだ。ぷにゅ。ぷにゅ。ぷにゅ。ぷにゅ。そして更に力を入れる。
 ぷち。
 歯の圧力を押し返そうとしていた蛆の外皮が小さな音を立てて破れる。勢いを持った上下の歯はそのまま蛆を真っ二つに断ち切る。そして、中から何とも言えない味のどろりとした液体が流れ出すのであった。
 あるいはすでに蛹化した蛆。やや茶色がかったそいつを口に含む。今度は奥歯で噛んでみる。ぐぐぐと力を入れるが、硬質化した蛆の外皮はすでに歯の力では裁断できぬ強度になっている。そのままぐぐぐぐと力を込めつづける。
 ぶち。
 パスカルの原理に従って蛆の内部に発生した抗力としての圧力はついに逃げ場を発見する。蛹化して角質になった蛆のうちそれでもいちばん弱い先端が破れ、蛆の体液はあたかも水鉄砲のような勢いで飛び出し口の中いっぱいに拡散するのであった。
 そして彼は満足げに言うのだ。
「蛆、最高っすー」
 馬鹿者。気持ち悪いことをするでない。
 あるいは、こういう一文はどうだろう。
「あの赤い柵のあるのが僕の家なんだよ」
 やはり何の問題もないテキストである。
 ところがこの文にも危険は潜んでいる。次のように言い間違えたらどうだろう。
「あの赤いザクのあるのが僕の家なんだよ」
 お前の親父はシャアか。ええ、どうなんだ。
 私がこういうことを書けば、そんな言い間違いをするわけがない、などとこれを反駁する人もいるだろうけれど、ベッドのことをベットと発音したり、ギプスのことをギブスと発音したりする人が案外多いことを考えても、充分あり得る話なので注意するにこしたことはないだろう。私の祖母はブロマイドのことをプロマイドというのだぞ。何でも、プロ(の芸能人など)が映っているからなのだそうだ。
 それからこういうのもある。
「あの子はお転婆娘だ」
 お転婆、いいじゃないか。可愛いじゃないか。てへっ、とか笑うのだ、きっと。
 だが、これならどうだろう。
「あの子はお電波娘だ」
 お電波、どういうことだ。恐ろしいじゃないか。げげげっ、とか笑うのだ、間違いなく。くわばら桑原和夫。
 さて、そんななかにあって私が厭だなと思うのはこれである。
「値札祭り」
 どうだ、このわけの判らなさは。「ねぶた」でも「ねぷた」でもない、値札祭りなのだ。あったら厭だぞ。
 とにかく値札の祭りなのだ。あっちの端からこっちの端まで値札だらけなのだ。祭りなのである。祭典なのである。値札の祭典だ。とにかくありとあらゆる値札が一堂に会するのである。もしかしたら、「値札の歴史」などという展覧会も同時開催されるかもしれない。そこには古今のあらゆる値札が展示されているのだ。
「昭和三十年代の値札」「昭和四十年代の値札」「昭和五十年代の名札」「昭和六十年代の名札」「平成。新しい値札の胎動」
 全部同じに見えるじゃないか。
 もちろん新作も発表されるだろう。
「これは凄い。肌に貼ってもかぶれない値札」
 貼らないぞ。
「どうして今までなかったの。スケルトンの値札」
 見えにくいだろ、それ。
「これは便利。特大判値札。縦九十糎横百八十糎」
 不便なんだってば。
 まだまだある。
「怪奇、数字の変わる値札」
「増える値札ちゃん」
「個性派のあなたに。不定形値札」
「百年経ってもとれない値札」
 そして、展示即売会場にあるそれらの値札には、価格を表示する値札がやはり貼付されているのであった。
 メタ値札。
 あるいはマトリョーシカ値札。


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1999/08/06
文責:keith中村
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