第245回 形見の問題


 などと言っていると、「本当の七の月」に入って以来、大阪でたびたび地震がある。まあ関東の人間にしてみれば日常茶飯事のような小さな地震なのであるが、日本でもっとも地震が少ないとされている京阪神間から一歩も出たことがない私にはそれでも結構ひやりとする。日頃地震に馴れていないので、小さな搖れでもびくびくしてしまうのだ。確かに四年前には超弩級のやつに見舞われたが、だからといって小さな地震がへっちゃらになるというものでもない。譬えて言えばあれだ。四トン車の免許を持っているから一輪車に乗れるとは限らないのと同じである。十人分の尿より一人分の大便のほうが破壊力があるのと同じである。
 さて、それにしても気になるのが映画やドラマで時おり見掛ける登場人物の死に際の問題である。
 ドラマツルギーにおいては、脇役は比較的あっさりと死に、物語の重要な鍵を握る人物は死に際して末期の言葉を残すことになる。こういう言葉は推理小説においてはもちろんダイイング・メッセージとして常套的に登場するものであるが、そういった種類の物語でなくとも頻繁に見掛けるものでもある。
 もっともよく知られているのは、親がその死に臨んで子供に出生の秘密を明かすというものである。
「実はな。今まで隠していたが、お前はうちの子ではないのじゃ」
 言われた方はたいてい「えっ」と驚くことになっており、多くは「がああん」というピアノの低音部の不協和音が効果音として重ねられる。
「じゃあ……。いったい」
 言われた人間、これは主人公であることがほとんどなのだが、は先を促す。
 この先はいくつかの変種があり、たとえば「うっ。ごほごほ。そ、それは。うがっ」と大事なところで死んでしまうのもあれば、主人公が実は捨て子であったことを明し、「これがお前が捨てられていたときに一緒に置かれていたものだ」と言って何らかの品物をとり出すものもある。
 あまり見かけないのはこういうものである。
「実はお前はお向かいの山田さんちの息子なのじゃ」
 こういうのもあまりない。
「お前は木の股から取れたのじゃ」
 もっと見掛けないのもある。
「お前はわしが合成したホムンクルスなのじゃ」
 こういうものは貴種流離譚を物語原形の主要部分として持つ我々日本人には特に親しみやすいものであるのだろうけれど、いずれにせよ、この手の言葉はせっかくそれまで機嫌よく暮らしていた主人公の生活を混乱させるものである。
 私がここで問題にしたいのは今書いた例で言うなら「捨てられていたときに一緒に置かれていたもの」である。あるいはもっと拡大して死にゆく人間の形見の品としてもよいだろう。明らかにこういう品物には相応しいものとそうでないものが存在する。
 よく見掛けるのはペンダントなりロザリオなりの装飾品の類である。女性の写真が入ったロケットで、その女性が実の母親であるというのもありがちな設定である。こういう品物は小さいながらもその意匠を凝らすことで印象深いものにすることができるし、主人公がその後手軽に携帯することができるという点からも形見に相応しいものである。
 だが、たとえば次のものが形見であったばあいはどうだろう。
「『根性』と書かれた通天閣の模型、そしてその横には万年カレンダー」
 ちょっといただけないのではないか。このいただけなさはいったい何に起因するのであろうか。
 通天閣だからいけないのだろうか。しかし、これが東京タワーなら良かったというものでもなかろうし、エッフェル塔であっても事態は何ら変わりないだろう。
 では原因は「根性」か。もし「友情」だったらどうだろう。あるいは「思ひ出」ならば。やはり大差はないだろう。ならばもっと大胆に仮定してみよう。もしそこに書かれた文字が「猿股」だったらどうか。「漁師」だったらば。駄目だだめだ。所詮は通天閣なのである。どんな文字を持ってきても駄目なのだ。「びりけんさん」でもやっぱり駄目だろう。
 ということはいただけないのは万年カレンダーだろうか。かわりに温度計がついていればよかったのか。しかも摂氏華氏併記の温度計である。駄目だ。温度が判ったからといってどうなるものでもないだろう。ではかわりに筆立てがついておればいかがであろう。いや、やはりいただけないだろう。何といってもそういう筆立てにはペンに混じって耳かきがささっていることが多いのだ。耳かきならまだよい。逆さにして振ってみると輪ゴムやゼムクリップがばらばらと出てくるのだ。一緒になんかもわもわになった埃みたいなものまで出てくるのだ。そんなものが形見でいいわけないじゃないか。
 ここからわかることは、観光地土産的なものは形見としては似つかわしくないということである。ペナントもいけない。竹光もいけない。どうやって削ったらよいのか判らぬ巨大な鉛筆などもってのほかである。
 次の品物も形見としては失格だろう。
「ボトルのなかに入った精巧な船の模型」
「煙草の包装紙で作られた城」
 すなわち過度にマニアックな品物もいけないということだ。
 他にも、たとえば「般若心経がちまちま書かれた米粒」も同様にいただけない。だいいち、すぐに失くしそうじゃないか。「一万個の空き罐を利用して作成された遠目にみるとモナリザに見える壁画」どうやって運搬しろというのだ。
 あるいは日用品もまずい。形見が「釘抜き」だったらどうすればよいのだろう。「鼻毛抜き」だったら。「亀の子だわし」だったら。
「ごほっ。ごほっ。これがお前が捨てられていたときに一緒に置いてあった亀の子だわしじゃ。うぐっ。ばたっ」
「はっ。と、父さんっ」
 主人公の安寧な生活はひとつの亀の子だわしによって騒擾されてしまうのであった。
 しかし、主人公はやがてそこにひとつのメッセージを見出す。
「亀の子だわしのように生きよ」
 そして彼はひとつ成長するのだった。これぞビルドゥングスロマンなり。
 って、どんな生き方だよ、それは。 


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1999/07/18
文責:keith中村
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