第244回 いちばん可哀想なのは誰


 さて、そんなわけで本日からが本当の意味での一九九九年七の月であるわけだが、今月に入って以来警察は厳戒体制を敷いているらしい。といっても予言を信じているということではなく、予言に乗じて起こりうるテロや暴動に対してのことなのだそうだ。恐怖の大王を騙ってテロ行動を始める過激派が発生するかもしれない。あるいは狂信的な集団が危険な行動に出るかもしれない。個人でも「終末の時だからもう俺はどうなってもよいのだ」と考えた人間が無差別の犯罪に走るかもしれない。もしかしたら血迷った五島勉が「わしのあそこはアンゴルモア」などと奇妙なことを口走りながら素っ裸で走りまわるかもしれない。それで警察は戦々兢々としているのだった。
 などという前書きとはまったく関係ないのだが、いちばん可哀想な文士は誰だろうという疑問が脳裡をよぎったのである。もちろん可哀想という言葉はたいへん広い意味で使えるので、どのような視点で考察するかにもよるのだが、たとえば三島由紀夫はなかなか可哀想ではなかったかと思う。彼の死に方である。ご承知のように三島由紀夫は市ヶ谷の駐屯地で切腹して自決した。刃物は痛いのだ。髭剃りをしていて、うっかり皮膚を削いでしまうことがある。最近横滑りしても大丈夫な剃刀が宣伝されているが、横滑りではなく力が入り過ぎてじゃくっと皮膚をえぐってしまうやつだ。あれは痛い。削れた傷口にじわあと血液やリンパが滲み、それと同時にひり、ひり、ひり、という痛みが襲う。「ふわ。ふわ。ふわ。ふわ」などと意味不明の叫び声をあげてしまうのだ。あるいは書類などを揃えて丁合するときもそうだ。「この書類を丁合してちょうあい」などと頼まれ紙をとんとんと揃えているとき、つー、と紙の端で手を切ってしまうことがあるが、これもなかなか痛い。刃物どころか紙でもこのざまなのである。なのに三島は真剣でかっさばいたのである。それはもう想像を絶する痛さだったに違いない。「ぶが」とか「あが」とか「ひげ」とかそんな音が自然に咽喉の奥からしぼり出されるだろう。だが、三島には美学がある。死に臨んで「ぶひ」とか「どび」などという声をあげるわけにもいかない。それは必死に堪えたことだろう。なかなか可哀想ではないか。
 梶井基次郎もまた可哀想だ。梶井基次郎といえばあれだ。結核だ。檸檬だ。透けるごとくに美しい頽廃だ。おまけに夭折だ。もう文学かぶれの若き女子の人を惹きつける魅力にみちみちている。「ああ。基さま」などと憧れた女子の人は古来枚挙に暇がないだろう。だが基次郎の栄光はそこまでなのである。ふとした折にたとえば図書館で出逢った「梶井基次郎−その人と作品」などという解説書。そこに掲載された梶井基次郎の写真を見て彼女は失望するのだ。「基さまって、なんか結構ゴリラ」あるいは「こんなの基さまじゃない。これはユダヤの陰謀よ」どっちにしてもかなり可哀想というほかはないだろう。
 菊池寛は麻雀が大好きで日本麻雀連盟だったかの初代会長としても有名である。きっと彼は麻雀をしていて同一牌が四枚集まると声高らかに叫んだに違いない。「よっしゃあ。菊池槓」ことによるとその直後こう叫んだかもしれない。「嶺上開花。裏ドラ乗り乗りー」仲間内では彼は陰口を言われていたはずだ。「なんだよ。菊池の野郎。槓ばっかりしやがって。馬鹿」
 横光利一もそうだ。彼が麻雀を嗜んだかどうかは知らないが、したとすればきっとこういった筈だ。「ようし。横光リーチ」しかもその直後にはこうだ。「きたきたきたっ。即ツモ。裏ドラ乗って跳満。わはははは」やはり陰口を叩かれてしまうのだ。「横光の野郎。タコなリーチばっかりしやがって。感覚だけで打ってる下手糞の癖に、ツキだけはいいんだから」
 と書いてみたがこれはそんなに可哀想でもなかったかな。光瀬龍がロン、ロンと叫んでいたのか、山田詠美がポンばかりするのかは不明である。阿佐田哲也が寝てばかりいたのは有名。話が逸れる逸れる。
 鈴木光司は可哀想な気がする。デビューは新潮でありおそらくあの人のいちばんやりたいのは「楽園」に集約されているのではないかと思うのだが、角川が横から掠めとった。例の山村貞子のシリーズはなんやかんやで四冊も出版された。あくまで私見だが彼はあんまりあれに乗り気ではないのじゃないかな。きっと歴彦が悪いのだ。歴彦が「書けー書けー」と言うのだ。「もっと書けーもっと書けー」と言うのだ。歴彦おそるべし。
 だが私が考えるにもっとも可哀想なのは芥川龍之介ではないか。
 作家の命日にはその作品の名が用いられることがある。三島由紀夫ならば「憂国忌」、太宰治ならば「桜桃忌」、それにこれは作品名ではないが正岡子規なら「糸瓜忌」という具合だ。
 しかるに芥川龍之介の命日はどうか。
「河童忌」
 そりゃあ「河童」は彼の作品の中でも強く人びとの印象の残るもののひとつだろう。しかし、それはないんじゃないか。それじゃあまるで河童の命日ではないか。もっと他にあるだろう。たとえば、「或る阿呆忌」とか。あ、これもまずいな。「侏儒忌」もいかん。「鼻忌」も駄目だ。「芋粥忌」。なんということだ。どれもこれもろくなものではない。可哀想じゃないか、龍之介。
 ということで、いちばん可哀想なのは龍之介と決定したところで、この「何何忌」をいろいろな作家に応用してみたいと思う。
 まず、江戸川乱歩は「白髪忌」。駄洒落になってしまうか。
 中島敦は「山月忌」。駄洒落はよせってば。
 志賀直哉は「きのさ忌」。よせというのに聞いとるのか、貴様。
 松本清張はその唇から「タラコ忌」としよう。
 安部公房は「ちょっと髪型が変忌」
 坂口安吾は「墮落忌」で、壇一雄は「火宅忌」。ちょっと格好いい。
 埴谷雄高は「死霊忌」。かなり迫力がある。
 赤川次郎は「三毛猫忌」。死んでないぞ。
 野坂昭如は「パンチ忌」。だから勝手に死なすなってば。野坂は怒らせると恐いぞ。  


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1999/07/14
文責:keith中村
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