第243回 今日は何の日


 よく理解できないもののひとつに「何何の日」というのがある。
 いや、「何何の日」の中に理解不可能なものが含まれているというべきか。よそではどうだか知らないが、この国に限っていえば、今や一年三百六十五日のほぼすべてが「何何の日」になっているといってもよい。
 こういうのがいつ頃からあるか知らないのだが、私の知る限りこの手のものの起源は、土用の丑の日に鰻を食べよう、というやつであるがこれは源内が鰻屋に頼まれて打ったキャンペーンであったわけだから、「何何の日」が発生当初からイベント性キャンペーン性を帯びていたのは間違いない。
 キャンペーンとして最も成功しているのはもちろん「バレンタイン・デー」であり、今やチョコレートを贈る習慣は土用鰻を食べる習慣以上に定着している。しかし、二匹目の泥鰌を狙った「ホワイト・デー」はあまりぱっとせず、書店出版業界が目論んだ「サン・ジョルディの日」はさらにぱっとしない。
「ホワイト・デー」不調の原因は、何をすべき日なのかというのがきちんと打ち出せていないからで、これはマシュマロ業界が「バレンタイン・デーのお返しにマシュマロを」ということで始まったものではないかと記憶しているのだが、パンティ業界が「いやいや、パンティを贈るのです」と参入してくるわ、キャンディー業界は「違う違う。キャンディーを贈りなさいよ」と宣伝するわ、各種業界が「ホワイト・デーにはこれこれを」と口々に主張するので百家争鳴となってしまった。私が目にした中には高級な塩の宣伝で「ホワイト・デーには塩を贈りましょう」というものまであった。白にちなんで、ということだろうが、それでは上杉謙信になってしまう。
「サン・ジョルディの日」はバレンタイン・デーに倣って聖人を担ぎ出してきたのはよかったが、知名度はまだまだ低い。ホワイト・デーはまだしもバレンタイン・デーのひと月あととして憶えて貰えるが、サン・ジョルディの日がいつなのか知っている人は少ないだろう。私も今調べてやっとわかった。四月二十三日なのだそうだ。
 だいたい、チョコレートならばどんなものを贈られても食べることができるが(ちょっとものすごいことになってしまった手作りは除く)、本というのは贈られても困ってしまう場合があるのだ。
「はい。プレゼント」
「わあっ。ありがとう。開けていいかな。どれどれ。……『張作霖爆殺』」
「えへっ。読んでね」
 こういう場合、我々はどういう態度をとればよいのだろう。私には正直いってわからない。
 これが「張作霖爆発」だったら良かったのかといえばそういう問題でもない気がするし、「爆発メガトン刑事三四郎」だったらそれはそれでやっぱり困ってしまう。
「あなたの知らなかったラスプーチン」
「早わかり遺産相続」
「マタギとして生きる」
「ステーキの焼き加減」
「図説真言密教のほとけ」
 ひたすらに困惑してしまうのである。もちろん、「ラスプーチンの焼き加減」「早わかり真言密教のステーキ」などという本を贈られるよりはいくらかましであろうが、そもそもそんな本はない。
 つまり、私が言うのはこうだ。サン・ジョルディの日への我々の対応はまだまだ未成熟なのである。そしてラスプーチンの焼き加減に関してもまた我々はまだまだ未成熟なのである。
 ところで、日が覚えてもらえないのを回避するため、何何の日のなかには語呂合せをとるものもある。
 十九日を「トークの日」、二十三日を「ふみの日」とするやつである。このふたつはそれぞれNTTと郵政省が打ち出しているものであるが、「今日は十九日だから電話をしよう」とか「今日は二十三日だから手紙を書こう」などと考える人間がそんなにたくさんいるとは思えないので、これらの日のキャンペーンとしての訴求効果には疑問を抱かざるを得ない。にもかかわらず様々な業界が語呂合せで何何の日を制定しているのだ。
 毎月十二日は「豆腐の日」。この日くらいは豆腐を食べましょうということだろう。
 毎月二十六日は「ふろの日」。この日くらいは入浴しようということだ。
 毎月二十二日は「夫婦の日」。この日くらいは媾合しなさいということだ。
 月と日で語呂合せをするものも多い。
 七月十日は「納豆の日」で、この日は納豆を食べなさいということだ。
 八月三日は「蜂蜜の日」で、この日は蜂蜜を食べなさいということ。
 二月二十二日は「にゃんにゃんにゃん」で猫の日。猫を食べる。
 三月四日は「サッシの日」で、もちろん食べるのだ。
 これらは何らかの機関組織業界が制定したものであるが、それ以外に私的なものを決めることだってある。この風潮は例の「この味がいいねと君がいったから」ではじまる三十一文字以降ますますひろく蔓延したもので、それ以前は個人の記念日といえば結婚記念日誕生日それに命日くらいしかなかったところに、多種多様な記念日が発生してしまい、女子の人からの「ねえねえ。今日は何の日だか、わかる。うふふふふ」などという質問に物覚えの悪い男が「ええと。あっははははあ。その、なんだっけなあ。そう、あれだよ、あれ」などとびくびくせねばならなくなってしまったのであった。
 さてわたくしごとではあるが、ついこないだ三十路に突入したと思ったらもうはや本日を以って三十一歳になってしまった。まさに諸行無常狂犬クジョーというやつである。今日という日は、過去にはジュリアス・シーザーなどという大人物を産み出した日であるのに、私などというちょっとどうかしたものまで産み出した日でもある。まさに玉石混淆直接参照というやつである。ジュリアス・シーザーは記念日などという甘っちょろいものではなく自分の生れた月そのものをジュライなどとして「記念月」にしてしまった。大物はやることが違う。まさに大胆不敵キースさん素敵というやつだ。せっかく同日に生まれた私であるから、そこまで大それたものではないが本日を記念日にしたいと思う。
「何もかも やはり駄目だと言われるから 七月十二日は 駄目の記念日」
 この日は、もちろん駄目を食べる日だ。そいうことに決定。ぱくぱくー。


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1999/07/12
文責:keith中村
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