第239回 果たせなかった夢


 さて、こないだおせちを食べたかと思ったのに、早くも一九九九年も押しつまってきた。歳をとると一年が早いというが今年ほど早く年の終わりを迎えるのは生まれてはじめてである。きっとみなさんもそうだろう。
 まあ、そんなわけで七月と相成ったわけであるが、今月は五島勉月間ということで、巷にはさぞやその種の文章が氾濫することであろう。などと言いつつもこの文章だってそのひとつではあるのだけれど。
 ところで、件の「七の月」、ご存じの方も多かろうと思うがこれが今月一日から三十一日までを表すのではないということをいちおう確認しておきたい。
 例の予言者の生きていた時代に使われていた暦は四世紀にシーザーが制定したユリウス暦であった。これは閏年を杓子定規に四年に一度と決めていたため徐々に実際の季節とのずれが生じていった。このままではいかんというので一五八二年ときのローマ教皇グレゴリウス十三世は暦の改革をおこなった。その年の十月四日の翌日を十月十五日としたのだ。それとともに四年に一度は閏年、しかし百年に一度はそれをとばす、でも四百年に一度はやっぱりそれを閏年にするという、コンピュータ屋さんが自前で暦を計算するときにコーディングがやや面倒になってしまうグレゴリオ暦に変更したのである。十六世紀以前のプログラマはそんなこと考えずに四年に一度を閏年にすればよかったのだ。ちなみに私が大昔作ったフリーウェアにはカレンダーを付けていたのだが、これはユリウス暦にも対応させていた。一五八二年の十月を表示させると四日の次にちゃんと十五日になり、それ以前はユリウス暦で計算させるようにしたのだ。もちろん、そんな過去のカレンダーを表示させる必要はないからまったくの自己満足であったのだが。
 話を戻そう。
 そんなわけで、ユリウス暦でいう一九九九年七月は、グレゴリオ暦との差の十日及びそれ以降現代までの四百年間にグレゴリオ暦がとばした閏日三日分を併せて十三日のずれがあるのだ。だから、あの「七の月」とは我々の暦でいうところの「七月十四日から八月十三日」ということになる。巴里祭からはじまり十三日の金曜日で終わっているのがちょっと意味ありげではあるが、まあともかくそういうことだから、いち早く「いよいよ予言の当月になりました」という人がいたら「まあだだよ」と教えてあげよう。
「あの予言者は暦の改革を見越した上で換算して予言していたのではないか」と反論する人があれば、そもそも彼が自分の死後わずか十六年後の暦の改革(これは社会の階級によっては大事件であったはずだ)に関してすら何の予言もできなかったことを指摘してあげよう。
 さて、世界が滅ぶだか何だか知らないが、もし本当にそういうことになったとして私には心残りがふたつだけある。やっておきたかったのにせずに過ごしてしまったことがふたつあるのだ。
 ひとつは「見合い」である。
 あれは一度はやっておきたいものだった。見合いはいいぞ、きっと。
 場所は料亭の座敷なのだ。中庭があって、鹿威しが「かっこん」などとなるのだ。
 仲人(とはまだ呼ばないのかな。媒酌人でもないか。ええと、判らないや、とにかくマッチメーカーというやつだ)が「ま。ま。まままま。ここは若い人たちにお任せして」などと言うのだ。
「ええと。ご趣味は」
「はい。テニスを少々」
「かっこん」
「あなたは」
「はい。読書と音楽鑑賞などを」
「かっこん」
「いやあそれにしてもよい天気ですねえ」
「そうですねえ」
「……」
「……」
「かっこん」
「……」
「……いやはや。ははははは」
「おほほほ」
「かっこん」
 素晴らしいではないか。お見合いは夢とときめきのワンダーランドではないか。一度はしておくべきだった。
 し忘れたもうひとつのことは「ストリップ鑑賞」である。
 学生の頃は何度か仲間内で「ストリップ鑑賞ツアー」(そう。ツアーは物事の本質を隠蔽するのだ)を開催しようかという話が持ち上がっては立ち消え、結局ついぞ行かないままになってしまった。ストリップもいいぞ、きっと。
「学生いちまい」
 目深にかぶった帽子で顔を隠しながら、受け付けの無愛想な中年太りのおばさんにそういうのだ。
 劇場内は薄暗く、無気力と懶惰が漂っているのだ。やがて緞帳があがる。
 もしかしたらはじめに売れない漫才師がでてくるのかもしれない。
 そして、わくわくしながら待っていると、とうとう始まるのだ。
 劇伴が流れはじめる。
 やがて踊り子が舞台に出てくる。
 さっきのおばさんだ。
 なんということだ。ストリップは夢と幻滅のトワイライトゾーンではないか。
 見合いとストリップの共通点はいくつかある。
 まず何だか恥ずかしいこと。ともに女子の人を見にゆくこと。「こないだ、こんなことがあってさ」と人に話すネタにできること。
 男として生を受けたからには一度はやっておくべきだったのだ。残念。
「何だ、そんなこと。これから先にだってできるではないか。もし『七の月』の予言があったとしても七月十三日までにやっておけばよいではないか」
 そう言ってくれる人もあるだろう。ありがとう。ありがとう。
 だが、見合いとストリップの両者にはまだひとつ共通点があるのだ。
「この歳で実行すると『ああ、何だか痛い人』と思われること」
 そんなこっちゃ駄目ーっ。


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1999/07/02
文責:keith中村
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