第236回 一万人目のお客さま


 我々が日々生活しているこの社会には「一万人目のお客さま」という制度がある。
 一万人というのはあくまでひとつの象徴であり、十万人目でも百万人目でも構わないのだが、とにかくそういうあれのことである。
 一万人目のお客さまというのはだいたいこういう仕組みになっている。
 店に入る。
 ぱちぱちぱちぱち。いきなり拍手の音が聞こえてくる。
 何が起こっているのか理解できぬままに立ち尽くしていると、今度は、
「ぽん。ぽん、ぽぽん。ぽん」
 クラッカーという大雑把な名称でいいのかどうか判らぬが、ともかくあの円錐の先端の凧糸をひくと尻から色とりどりの紙テープが飛び出してくるやつだ。
 場合によっては、続いてこうなる。
「ぱん。ぱぱぱぱ。ぱん。ぱん」
 爆竹である。
「ぱんぱかぱーん。ぱぱらぱー。ぷう」
 ファンファーレである。
「おめでとうございます」
 そう言いながら近付いてくるのは推定四十五歳の髭を蓄えた店長だ。店長はあなたの手をとって言う。「あなたは一万人目のお客さまです」
 ずらりと並ぶ店員の拍手がひときわ高くなる。店員の中でいちばん見栄えがする若い女子の人が近付いてきてあなたの首に何かをかける。ハワイはカナカ族発祥の花輪、いわゆるレイである。
 続いてやってくるのは推定四十二歳であるところのやや落ちついた女性、店長の妻である。
「これは当店の向こう半年間のフリーパスです。どうぞお納めください」
 さて、ここで問題になってくるのはレイである。私はかねてから思っていることがある。こうだ。
「花輪を首にかけた人は、かなり頭悪そうに見える」
 如何なものだろう。そんなことはなかろうと思われるかもしれないが、そういうあなたは花輪についてかつてそれほど意識的になったことがないのではあるまいか。
 考えてほしい。レイでもデイジーチェーンでも何でもよいが、あなたはそういった花輪を首にかけて会社へ行くことができるだろうか。近所のスーパーへ鮭の切り身を買いにゆけるだろうか。女子の人を口説けるだろうか。
 できまい。その理由はつまりこうだ。
「花輪をしている人はかなり頭が悪そうだ」
 その上、実は花輪の恐ろしいところは人を馬鹿にみせることだけではないのだ。こういうことも言える。
「花輪をしている人は頭が悪そうなうえ、ご機嫌さんに見える」
 こんな例を考えてみよう。
 あなたはまだ小学生だ。あなたの所属する学級でひとりの児童の給食費が紛失するという事件が勃発する。教師が教壇の上からあなたたちに問いかける。
「さあ、みんな。顔を机の上に伏せてくれ。そして、給食費を盗ったものがいたら正直に手をあげてほしい。先生は誰にも言わないから」
 だが、見ればその教師の首には花輪がぶらさがっているのだ。なんだそれは。そんなお目出度い野郎の言葉に説得力なんかあるもんか。
 あるいはこういう場合。
 密室で発生した殺人事件。容疑者にはすべて完璧な不在証明がある。難航する捜査。最後に探偵はすべての人を集めて言う。
「みなさん。今回の事件では我々は犯人のトリックにかなり翻弄されました。しかし、ひとつの筋道に沿って考えれば犯行が可能な人間はたったひとりしかいなかったのです」
 探偵はぼさぼさの頭をかき上げる。「犯人は」
 彼はひとりの人間を指さした。「……あなたですね」
 厳かな声で告げる探偵。だが、首に花輪がついているのだ。そんなことでは駄目じゃないか。
 しかも、指さされた奴も指さされた奴で、やはり花輪をぶらさげていたりする。ええい、どいつもこいつもご機嫌さんだ。真面目にやれ、馬鹿者ども。
 何だか話が随分逸れた。実は私がほんとうに言いたかったのは花輪の危険性についてなどではないのだ。私が今回主張したいのはこういうことだ。
「一万人目のお客さまを商店だけの特権にせず、積極的に一般家庭、コンシューマへも導入しようではないか」
 もちろん、一般家庭では店と比較して訪う人間の数的規模が小さいだろうから、「千人目のお客さま」でいいだろう。友達が少ない人間や人付き合いの悪い人間なら「百人目のお客さま」でも構わない。もちろん古くから続く旧家素封家の類では通算でやって「一万人目のお客さま」でもよろしい。とにかくこの制度を家庭に持ち込むのである。
「ごめんください」
「ようこそ。ぱん。ぱぱん。ぱぱぱん」
「わっ」
「どん。どん。ひゅるるるるる。ぱぱあん」
「たあっ」
「ぱんぱかぱあん。ぷぷう」
「なっ。なんですか、これは」
「おめでとうございます。あなたは当家の千人目のお客さまです」
「は。はあ」
「はい。これが当家へのフリーチケット半年分です」
 ま、訪ねるだけだからもとから無料なのだが。
 そのうち「千人目のお客さま」制度が定着してくる。
「こないだ山田ん家行ったんだけどさ」
「うん」
「千人目のお客さまになっちゃってよ」
「へえ。よかったじゃん」
「それがさあ、しけてやがんの。飯喰わしてくれたんだけどよ。それが鯖の煮付けと味噌汁だけでやんの」
 次第にサービスが過剰になってゆく。
「ただいま」
「ねえねえねえねえ。あなた。お隣りの田中さんち、今日だったのよ」
「何が」
「千人目のお客さまよ」
「へえ」
「それでね。凄いのよ。生のブラスバンド呼んじゃって、出した料理はグラム二千円の肉のすき焼きよ」
「ほう」
「しかも手土産にはマイセンの陶器渡してたわよ」
「そうかあ。うちも負けてはおられんなあ。うちは今何人目だ」
「ええとね、九八七人よ」
「もうすぐだなあ。よし、こうしよう」
「なあに」
「ポール・モーリア呼んじゃえ。おい、貯金全部降ろせ。定期解約しろ。ポール・モーリアの予約を押さえろ」
「きゃあっ。素敵」
 まあそうやって準備して、蓋を開けてみれば千人目はNHKの集金だったりするのだが。
「ただいま」
「あなた。おかえりなさい。……あらっ。このシャツについてるのは何」
「えっ」
「まっ。口紅じゃない。あーなーたー、どうしたの、これ」
「いや。その」
「正直におっしゃい」
「……それがさ。今日仕事でまわった家の一軒がたまたま千人目でさ。そこの若い未亡人がさ」
「ふむ」
「サービスだってんで、……その、ベッドでだな、あの、ナニを……」
「きいいいいっ」
「だってお前。しかたがないだろ。千人目なんだから」
「きいいいいっ。あなたがその気なら私にも考えがあります」
「何だ」
「うちの千人目には私がサービスしちゃう」
「おいっ」
「九九九人目になったら、お向かいの佐藤さんのご主人にいらっしゃるように電話かけちゃお」
「なっなっなにっ。お前、おかしいおかしいと思ってたらやっぱり佐藤さんに気があったのか」
「ふんっ。何さ」
 かくして、日本の社会構造は混乱を極めるのであった。あった、じゃないだろ。


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1999/06/24
文責:keith中村
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