第235回 押すと引く


 関東と関西を比較して文化論まがいのこじつけを展開するのは似而非文化人の常套手段であり、私のもっとも嫌うところのものである。蕎麦とうどんがああだ、お好み焼きともんじゃ焼きがこうだ、醤油の濃口と薄口がどうだ、エスカレータで右に立つのか左に立つのか、などなどどうでもよい瑣末な事象を取りあげてあれこれ論じては、概して関東人はこれこれだ、関西人はそれそれだ、などと安っぽい結論を付ける。これほど馬鹿馬鹿しい話もないのだが、またそういった話題が一般に好まれやすいのも悲しむべきことながら事実である。
 この手の話のなかでよく知られているものに、気質に関する以下のような説がある。
 いわく、関東人はあっさりしており、関西人はしつこい。
 これはこの種の擬似科学めいた社会分析ないしは性格分析のうちでは、かろうじて私が首肯できるものである。
 実際この気質ゆえに関東人の行動は自然と後へひいてゆくものになり、関西人では前へ前へ押してゆくものとなる。
 一例を挙げよう。
 鰻をどう捌くかについて考える。ご存じのように、鰻を捌くとき関東ではその背中に包丁を入れるが関西では腹に包丁を入れる。一般にこれは「腹から捌くのは切腹に通じるため武士が多い江戸ではこれを嫌った」とされている。だが、本当にそうだろうか。もしそうなら関東では魚を捌くときいつも背中に包丁を入れるはずだが、じっさいにはそうではない。他の魚はやはり腹から捌くのだ。では何故鰻だけに東西でこのような違いが生じるのか。実はこれには鰻という魚特有の性質が関与している。鰻は他の魚類と違いぬめりがある。ぬるぬるしているのだ。ぬるぬるしているゆえ、包丁を入れにくい。気をつけないと刃先が滑ってしまい怪我をするかもしれない。
 さて、ものごとには何でもはじめがあり、むろん「鰻をはじめて捌いた人間」というのもいたはずだ。ここで歴史上の人物ふたりにご登場ねがおう。
 ひとりは大坂の小料理屋に奉公する料理人、上田民衛門(仮名)である。彼は大坂で鰻をはじめて捌いた人である。上田は初めて目にするその魚に驚いた。
「なんやこれ。ごっついにゅるにゅるしとりまんがな。でんがな」
 驚きながらも捌いてみることにした。滑りやすいから慎重に包丁を入れる。つるり、と包丁の先が滑った。ついと前のめりになる上田。あやうく手を切るところだった。それが上田の怒りに火を点けた。
「おんどら、舐めてけつかるんか。おらおら。いてまうど」
 上田は鰻の頭をぐっと掴んだかと思うとその腹に包丁をぐっと押しこみ、一文字にかっ捌いた。
「はあ。はあ。ふざけやがるから、こうなるんじゃ。阿呆んだら」
 さて、もうひとりは江戸の料理人、新屋官兵衛(仮名)である。彼は江戸ではじめて鰻を捌いた人である。新屋もやはり初めて見る鰻に吃驚する。
「へえ。そうなんだ。にゅるにゅるしてるんだ。ふうん」
 あまり驚いているように聞えないのはこの人の性格によるものだろう。これでも彼なりに驚いているのだった。
 恐るおそる包丁を入れる。つ、と刃先が滑り新屋はおのが手を切りかける。
「へえ。そうなんだ。そんなつもりなんだ。じゃ、こっちにも考えがあるから」
 新屋はそう呟いた。冷静に聞えるが、内面では怒りがたぎっているのである。だいたい新屋という人の「考えがある」は恐ろしい。知らぬうちにこっそりリンクを外されていたり、酒の席で冷たくされたりしかねないのだ。ええと、何の話だっけ。あ、そうそう。新屋はそう呟くと鰻の背中に刃を立て、そのままつう、と引っ張った。
「へえ。そうなんだ。こうやるとうまく切れるんだ。ふうん」
 以上が「鰻はじめて物語」である。さて、お判りいただけたろうか。もう一度おさらいしてみよう。まず上田は鰻に包丁を「ぐっと押しこ」んだ。それに対して新屋は「引っ張った」。
 鰻を腹から切るときのイメージにいちばん近い動詞は「押す」、背中から切るときは「引く」なのである。すなわち上田と新屋はそれぞれの気質にいちばん自然に馴染む行為を無意識にとったのであった。
 少し話を変えよう。
 関西には「はりせん」という道具がある。漢字で書けば「撲り扇」あるいは「張り扇」となるのだろうこの道具をご存じでない方はいないだろう。撲り扇は関西ではかなりポピュラーな道具であり、京阪神間の小学校では図画工作の時間に作ることが教育課程に組み込まれているほどだ。嘘だと思われるかもしれないが、これは正真正銘の事実である。
 撲り扇の使い方は簡単である。まず対象となる人間をひとり定める。場合によっては第三者がこの人間を羽交い締めにして動けなくしておく。あとは助走をつけ、その人間めがけて撲り扇を思いきり叩きつければよい。前進あるのみである。
 ところで、関東にはこういう道具がある。
「ゴム紐」
 これは使い方がやや込み入っている。はじめに対象となる人間にその一端を咥えさせる。それから、もう一端を手にしてどんどん後ろに引いてゆく。そして、そのまま限界まで引きしぼったあと手を放す。
 もう私の言いたいことはお判りだろう。「人をしばく」という同じ用途にして東西ではここまでくっきり「押す」道具と「引く」道具に分かれるのである。
 さらに書き添えるなら、撲り扇には相手に有無をいわさぬ強引さがあるのに対して、ゴム紐は「咥えた端を放さないこと」という暗黙の了解があって初めて成立するものである。ここに「関西のゴリ押し、関東の根回し」という文化的差違を見出すのは私の穿った解釈なのだろうか。
 もちろん、こういった東西比較論を信じるも信じぬもあなた次第ではある。
 最後になったがもうひとつ私の説を裏付ける例に思い当たったので、それを提示して筆を擱くことにする。
 あまり知られていないことだが、関東では引いて開ける扉が圧倒的に多く、関西ではほとんどの扉は押して開けるようになっているのだ。お近くの扉で確認されたし。 


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1999/06/22
文責:keith中村
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