第232回 自動化されぬ挨拶


 いうまでもないことだが、挨拶というものはそれが定型化されたものであるがゆえに挨拶として機能する。挨拶が挨拶として機能するためにはそれが自動化された言語である必要があるのだ。
「おはようございます」
 この言葉に意味を求める必要はまったくないが、もしその字義どおりに意味を与えねばならぬというのであれば、「はやい(時間からご苦労様です)」 「はやい(時間から申しわけありません)」といった具合になろう。だが人が「おはようございます」という言葉を発するとき、そこに「早い」の意味を感じることはまずない。例外は、遅く起床した人を揶揄するときに使用される「おそよう」という言葉、これによって初めて「早い」という本来の意味が浮き彫りになるくらいである。だから、本来の意味に立ち返りもっと具体性を持たせようとして、
「午前七時でございます」
 そんなことをいっても挨拶にはならない。それではニュース番組だ。
「卯の刻です」
 こうなるともっと判らなくなってしまう。
「アサー」
 これでは谷岡ヤスジである。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
 自動化したこれらの言葉こそが挨拶たりえるのだ。
 そしてまた、
「最近どう」
 この言葉も同様に意味がないからこそ機能する。
「最近どう」
 こう問う人は、実はなにも問うていないのだ。そこに譬えば、
「最近(の北洋漁業の水揚げ高は)どう」
 という意味はない。
「最近(の太陽の黒点活動の様子は)どう」であるわけもない。
「最近(のリオ・デ・ジャネイロの平均気温は)どう」ならばちょっとどうかしているし、
「最近(のボルガの舟歌は)どう」だったらさっぱり判らない。
 だから、「最近どう」と問われれば、
「まずまずだね」「まあね」
 そのようにやはり意味を持たぬ言葉を返せばそれで済むのだ。それが正しい挨拶というものだ。
 だが、私がどうにも困ってしまう種類の挨拶もある。どうしても本来の意味に立ち返って考えてしまう類の挨拶があるのだ。
 これがそうだ。
「何か変わった動きはありますか」
 もちろん、この言葉を口にする人は、前述の「最近どう」ほどの軽い気持ちでいるはずなのだ。この言葉は「何か動向に変化はありますか」という意味だろうし、そもそも挨拶なのだから意味がなくても機能するのだ。
 しかし、「何か変わった動きは」、こう質問されると私は困ってしまうのだった。
 どう答えればいいのだろう。こんな具合だろうか。
「ええ。電話帳を頭に乗せて踊っています」
 電話帳を頭に乗せて踊るのはかなり「変わった動き」である。むろん相手がそんな返答を期待していないことも私は承知している。だが、ついついそんなふうに答えるべきなのかと思ってしまうのだった。
 あるいは、
「何か変わった動きは」
 もしかしたら期待されているのか。そうか。期待されているのだな。期待されちゃ仕方がない。
 人差し指と親指と小指をつん、と立てて「しゃきーん、しゃきーん、しゃきーん」などと叫びながら腕を振り回し、「ぼんばばあ」と言いながら見得を切る。
 そういう変わった動きをしなきゃならない、と考えてしまうのだった。
「何か変わった動きは」
「ええ。ほら。ほらほら。これです。ひょっとこー。ひょっとこー。うひうひー。ひょっとこー。ぷっぷくぷう」
 多分私は間違っているのだろう。そんなことをしても相手が「なるほど。変わった動きだ」と納得してくれる可能性は万にひとつもない。
「何か変わった動きは」
「見て、見て。いきますよ。くねくねー。くねっくねったら、くねくねー。にょろにょろりんでごわすー。ほーい、ごっつぁんでい」
 たしかにかなり変わっている。だが、そういうものでもないのだろう。
 更には困るのは、この言葉は挨拶のみに使われるものではないという点だ。
 テレビドラマを観ているとする。刑事ものだ。犯人と目星をつけた男のアパートの前に若手刑事が張り込んでいる。そこへやってきた先輩刑事が訊くのだった。
「何か変わった動きは」
 若手刑事は元気よく答える。「はいっ」
 観ている私は想像してしまう。そうか。犯人は変わった動きをしているのだな。
 いったいどんな動きだ。
「鼻の穴からうどんを垂らしながら、反復横跳びをしている」
 なるほど。それはものすごく変わった動きだ。
 あるいは、こういうことか。
「七福神の柄のトレーナーを着て、舌を出しながら両手をひらひらさせている」
 すごい。変わりすぎている。
「鉄棒の上に立ちあがり、『微妙なお年頃なのヨー』と叫びながらカメルーンの国旗を振り回している」
 もう誰にも真似できないほどの変わった動きだ。
「烏帽子を被り、こけしを結わえつけた釣竿をぐるぐる回しながら、タップを踏んでいる」
 恐るべし、犯人。
「変わった動き」それによって我々の悟性は試される。それは現代社会のひとつの試金石といっても過言ではなかろう。


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1999/06/15
文責:keith中村
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