第230回 アリストテレスな人


 ともすれば我々は近代以降の科学的発見、科学的事実を物事の本質的で絶対的な真理と捉えていることが多いが、しかしそれはあくまで自然科学的な枠組みの中の相対的真理に過ぎず、事象の絶対的な真理というものではない。では絶対的な真理というのはいったい何かと考えると、そんなものは存在しないわけで、なんとなれば絶対的な真理が何かと考えるのは人間であり、「考える」という精神活動はそれが「考える」という行為である以上何らかの枠に準拠せねばありえぬものだが、枠というのは事象をある範囲に限定するものであるがゆえ、結局複数存在する可能性のひとつに過ぎず、その意味で枠は相対的なものであるのだから、それを以って絶対的で包括的な真理にたどり着くことは不可能だということになる。
 そんなわけで、たとえば進化論あるいはダーウィニズムという思考枠が世間には存在し、我々の多くは大筋においてそういうものなんだろうなと信じているわけだが、アメリカには進化論を公教育の場で禁じている州がいくつもあるらしい。この理由は、いまや世界の宗教が科学になったとはいえ一方で未だにキリスト教的世界観は非常に堅固なものとして存在しており、進化論的世界観というのはその既存のキリスト教的世界観と対立するものであるからで、要するに進化論発表当時のそれへの反撥と同じ精神構造が厳然と存在しつづけているということである。
 ところで、我が国はこの上なく無宗教な国家であるということがよく言われる。和を貴ぶこの国では表立った主義主張の対立というのはほとんど見られず、相反するイデオロギーが難なく併存できるのである。先程の例でいえば、西洋諸国ではキリスト教的世界観と進化論的世界観の狭間で、それらの折り合い妥協点を見出すのに苦悩する人々が少なからず存在することが想像できるが、日本書紀の国造りの神話と進化論の狭間で悩む日本人というのは想像しにくい。我々の多くは本来対立するはずのイデオロギーを、「それはそれ。これはこれ」と簡単に併呑できる性格をもっているのであった。すなわち日本人というのは世界でも稀なアウフヘーベンな人々なのである。
 とはいえ、例外は必ず存在するもので、私の知人に薄田さんという人がいるのだが、この人がアリストテレスな人なのである。
 我々はパスツールな人であるから、通常「湧く」という言葉はあくまで比喩的に用いるのだが、薄田さんは文字通り「湧く」ということを信じている。
「夏になるとボウフラが湧くから厭ねえ」
 というのが薄田さんの発言である。「ボウフラって結局あれは何なの」
「何って、そりゃ、蚊の幼虫でしょ」
「ええっ」
 驚いている。「そうだったの。……じゃあ、蚊って自然発生だったのかあ」
 こういう会話を交わすに至って彼女がアリストテレスな人であることが判明したのであった。
 薄田さんの世界では生命は二種類に大別される。自然発生する生命と、自然発生しない生命である。
 彼女が自然発生説の徒になったのは小学生のとき。学校で微生物の観察という授業があり、その準備で水を張ったバケツを数日放置しておいたのだそうだ。スライドグラスに落した一滴の水。顕微鏡で覗くとそのなかに、微細な世界が蠢いていた。恐らくそのとき教師は「これは自然発生ではない」という趣旨の註釈を加えたはずであった。だが、薄田さんは微細な世界に心を奪われていたのだろう、教師のその言葉が耳に入らなかった。あるいは「これは自然発生である」と歪曲して解釈してしまったのかもしれない。
 白鳥の首フラスコを用いた実験の逸話を知る、自然科学信奉者の私としては、この誤解を解かないわけにはいかぬ。蒙きは啓かねばならないのである。
「ボウフラは自然発生しない。あれは蚊が卵を産み付けることによってのみ発生するのである」
 こう説く私の言葉に彼女は途端に不機嫌になった。「だって、蚊の卵なんか見たことないわよ」
 そりゃそうだろう。私だって見たことない。蚊の卵なんてそりゃ小さい小さあいものだろうから、なかなか見ることはできない。だが、見たことがないから信じないというのは現代では通用しないのだ。原子だって地球が丸いことだって私は見たことがない。無から有は作られぬ、すべての物質にはその元になるものが存在することを私は説いた。
「だって、水の中に発生するなら、水が元になってるかもしれないわよ」
 かなりなことを言う。私はさらに、水の構成要素たる水素と酸素では生物の組織の主要部分をなす蛋白質は作れぬこと、よし、それにかてて加えていくばくかの炭素や窒素があったにせよ、そこからボウフラを形成するようなものすごいエントロピーの減少は確率的にありえぬことを力説したのである。
「わかったわよ」
 不承不承という口ぶりで薄田さんは言った。「でもさ。蚤はどうなの。蚤は自然発生よ」
 勝ち誇った口調でそう言うのだ。人の説明を聞いておるのか。
 薄田さんはミケという呼称をもつ猫を飼育しており、そしてそのミケなる猫にはいくら綺麗にシャンプーをかけてやってもしばらくすると蚤が付くというのだ。
「そりゃ、どっかから拾ってくるんでしょ」
「どっかってどこよ。あなたの周りに蚤なんている。いないでしょ。ほら」
 ほら、じゃないだろ。
「いいですか。じゃあ、綺麗に洗ったミケを密閉した容器に入れて放置するとしましょう。これなら絶対蚤は発生しません」
「んまあっ」薄田さんは憤った。「そんなことしたらミケが死んじゃうでしょ。どういうつもり。この猫殺し」
 シュレディンガーか、私は。
「じゃあさ。ミドリムシはどう。ミドリムシなら自然発生するでしょ、間違いなく。どうだ」
 いや。だから間違ってます、それは。私は多大な脱力感を覚えるのだった。未開の密林に散ったあまたのイエズス会の宣教師たちよ。いま私にはあなたがたの苦労が理解できました。
「よし。百歩讓ってミトコンドリアは自然発生。ね。ね。もう讓れないわよ」
 ええい。ミトコンドリアだろうが、ゴルジ体だろうが、グラナラメラだろうが、せんものはせんのだ。お願いだから讓ってください。悪いようにはしませんから。
「うーん。じゃ、最後の手段。ウィルスは。ほら。ウィルスは自然発生でしょ。でなきゃ、あれはどっから来るの」
 えーと。ほら。それはやはり「GET FREE PICS」とか書いたメールを迂闊に開くからでしょ。
「えっち」ぼそりと薄田さんが言った。
 ……。すみません。


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1999/06/04
文責:keith中村
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