第220回 どうしてこんな話になる


 童話を書いてみようかなどとふいに思い立ったのだ。童話である。メルヒェーンである。
 しかしまあ書けばよいというものでもなかろう。日頃いい加減な文章を書き散らしている私がいうのもあれだが、書くからにはやはりそれなりのものを仕上げなければならぬわけだ。
 言語活動というのは連綿と続く歴史の中にあり、ひとり存在するものではない。古きをたずねて新しきを知る。うんこ地震というやつである。本当は温故知新である。伝統を継承したうえに新しき文学の地平は拓かれるのである。
 さて、ではどうすれば素晴らしい童話素晴らしいメルヒェーンができるか考察してみよう。
 まずは主人公である。人間を主人公とする童話もあるにはあるが、しかし童話の本道は人間以外のものを主人公にすることだろう。そうやってさまざまなものに感情移入できる情操豊かな子供を育むのだ。では何を主人公とすべきか。何がよいのだろう。世の中には機関車を主人公とするような童話もあるが、そういう物質文明に毒されたものはいけない。自然へ回帰するのだ。では植物か。
「ぼく、気狂い茄子くん。みんなはぼくのことを頭が悪いって馬鹿にするんだ。くすん」
 いやいや。そんなことでは夢もメルヒェーンもあったものではない。そんな植物ではいかんのだ。
「ぼく、マンドラゴラくん。ぼくを引っこ抜く奴は死んじゃうぞ。犬を用意しとけ」
 こういうのもあまりよくないかも知れぬ。駄目だ。植物は駄目だ。そんな葉っぱ野郎を主人公にしようとしたのがいけなかった。だいいち植物は動かないから話が進展しにくいじゃないか。そりゃ中には動く植物だっているだろうが、しかし、
「ぼく、トリフィドくん。全人類が失明したおかげでぼくの天下なんだ。襲っちゃうぞお」
 ほら。動いてもやはり駄目じゃないか。植物などは、あっちへぽい、だ。べー、だ。
 やはり動物だよ。何しろ動物だ。動く物と書いて動物。そりゃもう、動くうごく。なにしろ動く。かのイソップだってたいてい動物を主人公にしているではないか。先人に倣うのだ。そういえば「醜い家鴨の子」というのがあるな。醜いと思われているものが実は美しいという価値転倒、コペルニクス的転回、センス・オブ・ワンダー、そういうのもいいかもしれない。どぶ鼠みたいに美しくなりたい。これだよ。リンダリンダ。
「ぼく、ヘビトンボくん。気持ち悪いよ。噛みつくよ」
 いかんいかんいかん。忘れていたが、私はヘビトンボのやつが大嫌いだったのだ。そんなものを主人公にして最後まで書き上げる自信はない。しかもヘビトンボは白鳥にはならぬ。いつまでたっても気持ち悪いままではないか。カタルシスがない。
 あまりに変化球を狙い過ぎた。ここはひとつオートバックスに行こう。間違えた、オーソドックスだ。わははははいやこれ面白いっすようえださん。そんなことはどうでもよい。
 やはり、熊がよいだろう。女子の人の好む縫いぐるみだって定番商品は熊である。テディベアにミーシャにプーさんだ。これはいいよ。これはイーヨー。そんなこともどうでもよい。
 熊が主人公で、そう、この熊はいろんなことに不思議を感じてしまうのだ。「どうしてお空はあんなに青いのかな」「どうしてぼくはここにいるんだろう」いいぞ。これこそ豊かなイマジネイションを育む童話の神髄だ。メルヒェーンだ。
 この熊は不思議に思うことがあると、森の長老に訊ねにゆくのだ。森の長老はそんな熊にやさしく教えてくれる。いいぞ。まとまってきた。
 ちょっとは教訓的にしたほうがよいかもしれない。あっ、そうか。熊さんは森の長老に聞いたことを自慢げに友達に教えることにしよう。で、そこで恥を掻いてしまう。よしよし。「知ったかぶりはいけません」そういう教訓を織り込むことができるじゃないか。
 よし、この線でいこう。書くぞ。
 さらさらさらさら。さらさら。さらさらさら。
 できた。

「森の熊さん」 作:中村キース
 人里離れた森の中に熊さんが住んでいました。
 この熊さんにはちょっとした癖がありました。熊さんはいろんなことに興味をもって、「これはいったいどういうことなんだろう」とついつい考えてしまうのです。
 どうして空はあんなに青いんだろう。
 どうして雨が降る前は森の木々がざわざわざわめくのかな。
 熊さんがそう考えはじめるともういけません。気になって気になって仕方がないのです。そんな時、熊さんは森の奥に住む長老に逢いにゆくのでした。もじゃもじゃの髭を生やした長老はそんな熊さんの不思議にやさしくやさしく答えてくれるのです。
 今日も熊さんはぼんやり空を眺めながらついこんなことを考えてしまいました。
「どうして空は空という名前なんだろう。どうして山は山という名前なんだろう」
 一度気になると頭の中はそればかりになってしまいます。「難しくってよくわかんないや」熊さんはうーん、と頭を抱えてしまいました。「あっ。そうだ。訊きにいこう」
 熊さんは長老に逢いにゆくことにして、とっとことっとこ森の奥へ歩いていきました。
「もしもし。もし」
「おや、誰だろうね」
「ご隠居。いるかい」
「おお、誰かと思ったら熊さんかい。そんなとこでもしもし言ってねえで、まあお入んなさい」
「へえ。じゃ、ちょこっと。……さっそくだけど、ねえ、ご隠居。どうして鶴は鶴っていうんだい」
「何だ、そんなことも知らぬのか。無学な奴だねえ」
「へっ。うるさいやい。やい、ご隠居。実はご隠居も知らねえんだろ」
「そんなことはない。鶴はどうして鶴というか、だね。ええと。その。……そう。昔むかしのこと。東海の浜辺の松ヶ枝に雄の鶴が一羽、つーっと飛んできた」
「ほうほう」
「と、すぐに今度は雌の鶴が一羽、るーっと飛んできた」
「ほうほう」
「だから、鶴は鶴というんじゃ」
「あっ。なるほど。つーっと飛んできて、るーっと飛んできた、それで、つ、る、か」
「そうじゃ」
「なるほどなあ。流石はご隠居。ありがとよっ」
「おやおや。えらい勢いで帰っちまったよ。いったい何なんだろうねえ」
 熊さんはとっとことっとこ道を引き返しました。「へっへっへっ。なるほどなあ、つーるー、で鶴か。こりゃひとつ誰かに教えて自慢しなきゃな」
 と、そこへ働きものの蜜蜂さんがやってきました。
「おっ。いいところへカモがやってきやがった。おいっ。ハチっ。ハチ公っ」
「おや、熊さんじゃねえか。どうしたい」
「あのな、ハチ。おめえ、鶴はどうして鶴というか知ってるか」
「知らねえよ、そんなこと。熊さん、おいらは忙しいんだ」
「そんなこと言わねえで、まあ聞きな」
「しょうがねえなあ」
「鶴は何で鶴というか。そう。昔むかしのこと。東海の浜辺の松ヶ枝に雄の鶴が一羽、つるーっと飛んできた」
「ふむ」
「と、すぐに今度は雌の鶴が一羽」
「……」
「雌の鶴が一羽……」
「……」
「雌の鶴が、その……」
「おい、熊さん。おいらは忙しいんだから時間を取らせねえでくれよ。雌の鶴がどうしたんだい」
「……その。黙って飛んできた」
 教訓:みなさんは偉そうに知ったかぶりをしてはいけませんよ。

 いかーん。どうしてこんな話になってしまうのだっ。


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1999/04/21
文責:keith中村
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