第219回 気になってしょうがない


 どうでもよいことがついつい気になって仕方がないということが私には間々あり、たとえば今私が喇叭飲みしているこの烏龍茶、胴のところに「空容器は投げすてないようご協力ください」と書いてあるのだが、これが罐飲料なら歩きながら飲み干してそこいらにぽい、などと投げ棄てる図が容易に想像でき、なるほど投げ棄ててはいかんよなあと納得できるがしかし、現在飲んでいるこれは二リットルもあるペットボトルであるわけで、私も室内だからこそこういうものを喇叭飲みしているだけでまさかこれを道を行き行き飲もうとは思わぬので、ぽい、などと投げ棄てる図はたいへん想像しにくく、頭に浮ぶは屈強の大男が「どらあ」とか「うらあ」などと謎めいた叫び声を挙げながらペットボトルを遠投している有様、ひとたびそういう像が頭にできあがってしまうとこれはもう大変で、払拭しても払拭しても頭のなかの大男は去ってくれず、今もそいつは十四本めのペットボトルを「うわりゃあ」と投げ棄てたところである。
 あるいは、大阪府の公報誌が手元にあるのだが、これをぱらぱらめくっていると「出前講座」なる文言が眼に入り、興味をひかれて読んでみると「大好評を博している出前講座。今月の予定は以下の通り」としてその出前講座なるものがいつどこで開催されるか書かれており、「第二三五回出前講座四月二十四日西区公民館」ということは過去二百三十四回にも及んでこの出前講座は開催されておるということになり、だがいくら読んでも出前講座というものの具体的な説明がないゆえその実体は杳として知れず気になって気になってしょうがない。まさか「岡持はこう持つのが腕に余計な負担をかけないこつです」とか「「三十分以上遅れたらまずは謝りましょう」とかいった具合に出前の極意を伝授する講座であろうはずはなく、むしろ出張研修的な意味合いの催しなのだろうけれど、ではいったい何の講座なのかという部分は薮の中であり、「次はあなたの町にお邪魔します」だの「ちょっとした集会に出前講座を是非ご活用ください」だの「八人以上で個別訪問引き受けます」だのと書かれているところを読めばますますどういうものか判らなくなって途方に暮れてしまい、出前講座の実体はいったい誰に問えばはっきりするのだろうとひとり頭を悩ませ、「インターネット上の掲示板ででも質問を投げかけてみようかな」などとふと思い付くのだがしかしその後を想像して私はさらに困ってしまうのだ。
「出前講座というものはいったい何ですか」
 そういう質問を投げかけるとする。もしかしたら反応がないかもしれぬ。反応がないならまだよいのだ。いきなり「ああ、あれは素晴らしいものです」などという感想が寄せられたりしたら「ああ。素晴らしいとかそういうあれはよいから正体を教えてくれよ」と輪をかけてやきもきいらいらしてしまうこと必定で、そこに「僕はあの丸いところが好きなんです」などということを書かれた日には「えっ。何。出前講座って丸いものなの」と私の混乱は高まり、そこへ「出前講座はわたしの知恵袋です」なんていう意見が出るともういけない。「何。出前講座は知恵袋なの。へっ。そうなの」などということになり、「小さいボクにも安心だい」なんて言われると「出前講座は安心なの。どういうことそれ」そして私の混乱などよそにさまざまな人が出前講座について書き込みを始めるかも知れぬ。「角がちょっととがっているところが難点ですよね」「出前講座は私の生甲斐」「ぼくは緑の出前講座が大好きです」「気持ちいいよね」「やっぱ風呂あがりがいちばんでしょう」「アメリカではアンチ出前講座がはやりつつあるらしい」「くねくねしてるんです」「ポンチ絵みたいだね」各人が勝手放題にそんなことを言いはじめたらどうすればよいのか、私にはもう出前講座が何であるのかを確かめる術はないのだろうか、と悲嘆にくれることになってしまうのであった。
 出前講座はもうよい。そんな奴は知らん。気にしたら負けである。出前講座の思う壷である。そんなわけで私は広報誌を「どらあ」と投げ棄て代わりに眼の前にあった「ジョンソン・エンド・ジョンソン綿棒120本入り」を見ているのだが、この箱には何と綿棒が百二十本も入っているのだ。綿棒ばかりが百二十本もつまっているのだ。どこをとっても綿棒なのだ。で、箱の裏を見ると「耳へのやさしさは、正しい使い方から」として綿棒の使用上の注意が書かれており、ここには「綿球から1.5cmの部分をお持ちください」などとあるので、綿棒のあのふわふわのことを「綿球」というのだなあということを半ば感動を持って知ることができるのだが、綿球という語はなんと一発で漢字へ変換できてしまったのでもしかしたら知らぬは私ばかりものすごく有名な単語だったのかもしれぬ。綿球。それにしても綿棒の正しい使用法としてはその綿球から一.五センチの部分を持つのだということなどこれまでちっとも知らなかった私は綿棒を出鱈目に使っていたということになり、これまでの綿棒人生をやや恥じ入りつつも、「わははは。これからの私は違うのだ。綿棒を正しく用いる人間に生まれ変わるのだ。このふわふわは綿球と言います」との意志を新たにし、ではその正しい使用方法に沿って綿球から一.五センチの部分をつまもうとしたのであるがここではたと困ってしまった。綿球のいったいどこから一.五センチだというのか、綿球は綿棒の端についておるのだが、その先端から一.五センチというのと、軸と綿球の接線から一.五センチというのとではまるっきり持つ部分が違ってくるし、綿棒というのはその両端に綿球なるものがついておる構造をしているわけだが、もしかしたら反対側の綿球から一.五センチの部分を持って耳へ挿入をばするのが正道なのかもしれぬのだ。この使用方法の欄はそう思って読むと非常に曖昧な表現が多く、その次には「お子様だけでのご使用は、おやめください」などとあるが何故そうなのかは書かれていない。お子様だけでご使用するといったいどういう不都合があるのか。「おい」「なんだ」「しっ。声がでかいよ」「わりいわりい」「実はな。へっへっへっ。これだけどさ」「おおっ。綿棒じゃないか」「しっ。だから声がでかいんだよ」「わりい。でもいいのか。俺たち子供だけで綿棒なんか使っても」「たまにはいいだろ。うひひひひひ」「ああ。何て立派な綿球なんだ」そういうことなのか、しかし、それで何の問題があるのか、もしやこの糞餓鬼たちは綿棒をば出前講座に使用するのか、なるほどそういうことか、悪い奴だ、だいいち私が知らなかった綿球という単語をさらりと使っているところが腹立たしい。
「万一、異常を感じる場合は、専門医にご相談ください」という文もまたたいそう曖昧なものであり、「専門医」というのは何の専門医なのだろうかと考えてしまうが、やはり綿棒の専門医なのだろうかそれともああそういうことか、なるほど、お前実は綿球の専門医だな、白状しろこん畜生、へっへっへっ、そうじゃござんせんあっしは本当は出前講座の専門医でがんすよ、出た、出前講座。このように私はどうでもいいことがついつい気になってしまうのであり、この性格を何とかしたいと思うのだが、いったいどうすればよいのか教えて欲しい。綿球。


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1999/04/20
文責:keith中村
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