第216回 征服するのだ


「子供の夢を大切に」などという言い回しがあるけれど、その子供の夢というのはたいてい愚にもつかぬものであることが多く、たとえば小学校の卒業文集なるものに「将来の夢」などという題材で作文を書かされた経験を持つ人はたくさんあろうが、そこに描かれる夢はことごとくろくでもないものであったりする。たとえば小生が小学生であった頃をふり返って思い出すと、往時の同級生であった山下某の夢は「チーズケーキを腹いっぱい食べる」ということであった。今どこで何をしておるか消息がつかめぬ人間なのだが、もしやどこかで「ジョセフィーヌ、今夜は勘弁してくれ」などとチーズ三昧に耽っておるのかもしれぬが、そうでないかもしれぬ。この「何々を腹いっぱい食べる」というのは子供が比較的よく夢想するものであって、高田某なる同窓の輩は「ミルメイクを腹いっぱい食べる」という夢を描いておったが、このミルメイクというのは当時給食に出された添え物にて粉末のコーヒーと砂糖が小袋に包装されているものであり、それを牛乳壜に投じて撹拌することしばし、アラ不思議即席コーヒー牛乳のできあがり、そういう製品であり甘いもの即ち美味いものなどという粗野な味覚を有しておる小学生連中にはたいそう評判がよいものであったのだが、ごくまれにこれは女子の人である場合がほとんどだったのだが「あたし、いらない」などと自分のミルメイクの所有権を放棄するものが発生するとそのミルメイクの新規の所有権を巡って争奪戦が繰り広げられ盛大にじゃんけんが展開される運びとなりその栄光の勝利者となりし洟垂れ小僧はたかだか百八十ミリリットルの牛乳にふた袋分のミルメイクを投下して、今から思えばあんなただひたすらだらだらと甘いだけのどうしようもない液体となってしまった飲み物を「うひょーうまいじょー」などとうすら馬鹿の声を張りあげて嚥下しておったわけだが、高田某の「ミルメイクを腹いっぱい食べる」というのはどう考えても何かが間違っておるような気がこれは実は当時からしていた。
 だがしかし子供の夢というのはかようにあさましい食欲を満たすものだけではなく、将来なりたいもの、生計とて就業したい職種をあげる例もある。小生が小学生であった頃には男子にはプロ野球選手、女子の人には保母さんがいちばんの花形であったが、他にはたとえば小林某なる同級生はパイロットになりたい、太田某は船乗りないしは水夫、そして中島某は登山家になりてモンブランの頂きをきわめたいなどと各人壮大な夢を描いておったのであり、しかし子供の頃の夢なるものはそうそう簡単に叶うべきものにやあらず、小林某は結局とある万年筆メーカー、太田某はまた別の万年筆メーカー、中島某はさらに別の万年筆メーカーに就職したと仄聞する。これを聞いて小生は夢は少しずれた形で実現しやすい、という教訓を得たものである。
 さて、子供の夢には生計としたい職業と似ているがやや視点がずれたものもあり、たとえば女子の人であれば「可愛いお嫁さん」などと他愛もない愛らしいものであるわけだが、これが男子となれば「世界征服」などといきなりかなり頭の悪い思想になってしまうのはどういうことか、たいていそういう阿呆の言葉を吐くのはへっぽこの屁こき野郎とかうすのろのうすらとんかちであることが多く、大変遺憾なことであるがあなたもかつてはそういうたわごとを抜かした表六玉であったのだね、きっと。
 自慢ではないが小生は小学生の頃であってもそういう昼行燈の寝言は言わなかった。というのも、考えてみればすぐ判るが世界征服というのは労多くて実り少ないまことに大儀な徒労であるわけで、たとえば仮に世界征服がほんとうに実現できたとして、さてまず何をすればよいか、というとやはり被征服者たる世界人類に対してその旨告知をせねばならん筈だが、では放送局を接収して「世界のみなさん、こんばんわ。今日から世界は私が征服しました。そこんとこよろしくー」などと放送をすればこれはもう折角見ていた番組が中断されたことに対する抗議の電話がじゃかすか鳴りだして、さらにはもし折悪しくそれが阪神タイガースの試合の最中であったなら、ただで済むはずもなく、なんとなれば阪神ファンというのはサンダース大佐の人形を「これはバースや」と意味の通らぬことをさけびながら道頓堀川に突き落すような野蛮人であるので、それと同様簀巻にして道頓堀川へ投げ込まれそのまま藻屑となり果てる可能性がとても高い。よし、世界征服の告知が上首尾に終わり、世界人類にそれが認知されたとしても、たとえば道を歩いていると近寄ってきた中年の、かつては女子の人であった人から「ちょっとちょっと征服者はん。あんたいったいどういうつもりなん。あんたが征服しても何も変わらへんがな。消費税なくすとか、環境にやさしくなるとか、何かしたらどないやのん。これやったら、ノックさんの方がなんぼかましやわ。ええ。どう思てはるん、征服者はん」などと詰め寄られてしまってもごもごごにょごにょと口ごもってしまうというのも世界征服者としてはあまりに情けないことで、如何ともしがたい。ならば世界征服などという暴挙には出ず日々へらへらと鼓腹撃壌。そっちのほうが魅力的ではなかろうか、と。小生はかように考えるのだった。
 まあいずれにせよ洟たれの小学生の考えることであるから、とやかく言っても始まらぬのだが、さて話は変わる。小生の勤務する会社にも社内報というものがあり、本日配布されたそれは新年度特別号などと銘打って役員連中の座談会などという退屈極まりないものが掲載されており、その末尾に「役員紹介」として各役員の顔写真入り紹介欄、各役員の年齢血液型趣味等まことにどうでもよい情報が列挙されていたのだがその中に「子供の頃の夢」という項目があった。これをつらつら眺めるに小生は愕然としてしまった。というのもそこに掲載された計十五人のうち、実に六人が世界征服ないしはそれに類することを子供の頃の夢としてあげておったのだ。中でも湊川某という取締役などは「神様になること」などとちょっとかなりな夢を書いており、この人は「これまでの人生でいちばん嬉しかったこと」という欄には「逆上がりができたこと」と書いておる。しかも好きな言葉には相田みつをの引用である。湊川某五十八歳乙女座。小生はこの人が神様や世界征服者でなくてよかったと胸をなでおろしたのであった。胸をなで下ろしつつ社内報巻末を見るとそこには新入社員紹介欄があり、掲載されている今田某君という新入社員はこれまた登場した「子供の頃の夢」という欄に「世界征服をしてバナナを腹いっぱい食べること」と書いておった。
 小生、これではいかんのではないか、とやや眩暈がしてきたところだ。このままでは日本は駄目だ。いや、少なくとも小生の勤務する会社は駄目だ。


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1999/04/13
文責:keith中村
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