第215回 桜花政策


 露店などで客の振りをし率先して商品を買う人間を桜というが、これはもともと芝居の用語であった。芝居たとえば歌舞伎では「よっ。成田屋」などの掛け声を掛けるのが通例となっているが、無名な役者や不人気な役者はなかなかこの声を貰えない。そこで、そういう役者は「無料で芝居を見せてやるから代わりに掛け声をかけてくれ」と客に持ちかけ声を掛けて貰った。この客を「ただで見る」ことから桜と呼んだのである。確かに花見はただである。それが後世になって「ただで見る」ではなく「主催者側と結託している」の方の意味から先に書いた種類の人間を桜と呼ぶようになったのだ。
 さて、そのように花見は元来無料のものであった。
 ところが、昨日付の新聞に載っていたので御覧になられた方も多いかと思うが、このたび総理府は「公共の場所における花卉観覧に関する細則」の草案を打ち出した。詳細は次の国会で審議される予定でまだ先行きは不明であるが、もしこれが施行されるとどうやら花見好き宴会好きの人間にとっては冬の時代となりそうである。
 というのも、この法案は 大雑把に言って花見を有料化しようという政策なのである。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌に象徴されるように、我々日本人はどうしたことか桜のこととなると著しく冷静さを欠いてしまう。普段それはおとなしいおとなしいたとえば「趣味は煙草の包装紙で城をつくることです」とか「休日には窓の桟の隙間を綿棒で掃除します」というような人がひとたび満開の桜の下で宴会を開くとなると途端に人柄が変わり「ばあ」とか「うひい」とか「ふが」などと胴間声をあげて畜生道に墮ちてしまうことを我々はよく知っている。九八年度経済企画庁の調査では、会社ぐるみで花見をする企業二百五十社としない企業二百五十社を無作為抽出して両者の利益増収率を比較したところ、花見をする企業のそれがしない企業に比較して平均二.八七パーセント下回っていることが明らかになった。花見は日本の生産率をおとしめているのだ。
 そこで今回の政策となったわけだが、これが施行されると「花卉鑑賞税」というものが導入されることになる。簡単にいうと花見をする場合には観覧料を税金として納めてくださいよ、というものであり、我々は花見をする時間に比例した従量制で課税されることになる。徴収した税は旧国鉄の負債補填に充てられる予定である。
 審議で焦点になる議題はいくつかあるが、まずは「いったい何をもって花見をしていると看做すか」という点である。一般に花見の対象となるバラ科サクラ属の落葉樹いわゆる桜の仲間は至る所に存在している。桜並木の下を通過しただけで花見をした、とするのはあまりに横暴であり非道である。今回起草された案ではその点を「バラ科サクラ属の落葉樹の下に五分以上駐留した人間を花卉鑑賞者とみなして課税対象とする」としている。「下」という箇所が曖昧であるが、「バラ科サクラ属の落葉樹の下とは、樹木上方より見おろした場合の樹木の輪郭内のことと規定する」のだそうだ。つまり建物の廂や屋根の下というのと同様、その輪郭を鉛直下方に延長した線よりも内部を「桜の木の下」と定義しているのだ。「五分以上駐留」という点については「じゃあ五分置きに移動すればよいではないか」ということになるが、「移動時間二分未満にて再度樹木下に入った場合は、連続して駐留しているものと看做す」と定義されている。つまり五分経ったからいったん外に出てまた入り直すとか隣りの木の下に移動しようとかいうのはできないのだ。なお、税率は六十分の駐留につき千円、六十分に満たない端数は六十分へ切り上げとなっている。
 また、「花卉鑑賞附帯物使用に関する細則」ではアルコール類を持ち込む場合にはそのアルコール度数に関係なく七百二十ミリリットルごとに一律四百円の課税、カラオケ装置については三十分使用ごとに一律二百円とかなりの重税である。草案では実に多彩な附帯物についての課税が検討されており、他にも課税対象品としてノートパソコン、アコーディオン、テレビのリモコン、コンドーム、矢立、電動ミシン、万年カレンダー、鬼瓦、国防服などが挙げられている。このうち三十分九千円という重税が予定されている鬼瓦については「全国鬼瓦花見連絡協議会」会員から「わしらに死ねということか。お上のやることはあんまりぢゃ」との不平の声があがっているので、今後とも大いに波紋を呼びそうである。
 この政策の狙いは、無自覚で懶惰な花見の悪習を、課税することで少しでも改善しようというものであるが、事情通の中には「施行されると花見客が地下に潜ることになりはしないか」との懸念を表明しているものもある。もしそうなってしまうとこれはかなり由々しき問題と言わざるをえない。なにしろ桜の木の下には屍体がうずまっているのだ。そんなところへ潜り込まれては大変である。
 いや、実際「地下に潜る」と言うのは字義通りではなく、あくまで比喩である。要するに非合法でこっそりおこなわれる花見が増えるかもしれぬという懸念であるが、そうなると花見が暴力団の資金源や悪の温床ということになりかねない。
「ねえ、そこの檀那」「なんだ」「へっへっへっ。実はなかなかいける桜がありやしてね」「ふん。生憎だが私はそんなものに一切興味がないんだ」「まあ、檀那。そう言わずにほらこれが見本なんですがね」「はっ。こっ、これは見事な松前八重寿」「さすが檀那、お目が高い。いかがでげす」「ううむ。よし。連れていってくれ」「檀那。これだけの桜でげすから、少々値も張りますが」「い、いくらだ」「へえ。ぼそぼそぼそ、とこれくらいでげす」「糞。足もと見やがって。かっ、構わん。連れてけ」「へい」
 そうやって闇の花見がはびこることになる。
 しかも、客引きの三下に連れられてたどり着いたはよいが、なんとさきほどの見本とは似ても似つかぬありふれた染井吉野ではないか。ええい、くち惜しや、しくじった。だが非合法であるだけに訴えるわけにもいかず泣き寝入りである。
「騙された。さっきの見本は『桜』であったか」 


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1999/04/09
文責:keith中村
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