第214回 ミスター・ロンリー


 いったい絶対音感がない人間にとって歌というのは歌いだしが勝負であり、まあこれが伴奏にあわせて歌うということであれば私とて音痴というわけではないので正しいキイにて詠唱することも無闇と難しいものでもないが、しかしこれが無伴奏のアカペラ、というと聞こえはよいがつまりは鼻唄に口ずさむような場合には初めに書いたように歌いだしが全てを決定することになる。あるいはかつてジュリー・アンドリュースというミュージカルの人がおったがこの人は五オクターブを越える音域を出せるので七色の声などと喧伝されており、たとえばそういう人であるなら出鱈目なキイで歌いはじめても楽々と歌い終えることができようが、しかし私は非常に音域が狭い人間であるので見切り発車で歌いはじめると高くなるところで「きい」などと声がひっくりかえってしまったり低いところで「ぐえ」などと喉がひしゃげてしまったりする。かかる問題を打開するためにはひとつの楽曲の最高音が自分の出せる最高音を下回りかつ楽曲の最低音が自身の最低音を上回っているという条件が必要となりかくの如き条件を満足させるには何をおいてもまず最適な音程で歌いださねばならぬ。
 目下のところ私の目標は「ミスター・ロンリー」という米国の古の流行歌をこの条件を満たした上で歌いきるということである。
「ロンリー」と始まるこの曲のAメロと呼ばれる部分では、同じような旋律が何度か音程を低下しつつ繰り返されるので、やや低い声で歌いだしてしまうと「ノーバデー」のあたりで「ぐえ」などと喉がひしゃげてしまうことになる。かかる患難を回避するには今度はやや高い声にて朗詠することになるがそうしていると、サビに移る直前の難関、「オブマイオーオーン」に突き当たるのだ。この箇所のはじめの「オー」とあとの「オー」はきっかり一オクターブの開きがあるのでAメロの「ぐえ」を未然に回避すべく高い声で歌っていると、そこから更にオクターブ上の音を要求されることになり「きい」などと声がひっくり返ってしまう羽目に陥る。そこで慎重に最前よりやや低い声で歌うと、今度はなかなかよろしい、というので調子に乗っているとこの楽曲は二番に至って半音上に転調しやがる。転調しくさるのである。一番では機嫌よく歌えた「オーオーン」であるが、二番の「メーエール」でまた喉が「きい」となってしまう。ああ危ないところだつたねえ。さうだつたねえ。ぢやあもつと低い声で歌つて見やうよ。さうだねえ。「ぐえ」
 そんなわけで絶対音感のない私はこの歌を低く歌いだして「ぐえ」、高い歌いだしで「きい」、さきほどの低いやつよりやや高く始めてまた「ぐえ」、さきほどの高い歌いだしよりやや低めてまた「きい」などということをくり返しながら、だんだんと適正なる音程の野郎を両側から追い詰めて突き止める、プログラム技法で言うところの二分検索の手法で歌うことになる。風呂場で。湯に漬かりながら。
 今日、歌うこと七回にしてとうとう理想の音程に辿りついた私はその音程でもって三度気持ちよく歌い終えて、では風呂を出ようかなと扉の把手に手をかけたのであるが、これが開かない。扉の把手というやつはご存じのとおり右なり左なりに何十度か回転させてのち引くあるいは押すという動作を連結させれば開放できる性質を有しておるのだが、どうしたことかまず把手が回らないのである。回せども回せどもびくともせぬ。ぢつと手を見る。ああこれはいつたいどうしたことでせう。「ミスター・ロンリー」などという楽曲を嬉しそうに歌っていたらほんとうにミスター・ロンリーになってしまった。風呂場にひとりぼっちである。こんなことならいっそ「五人の力士」という歌でも歌っておけばよかったか。「五人の力士が五人の力士が猿股穿けばすぐに仲良くなるよチャールストン」もっともそもそもそんな歌はないし、この狭い風呂場に五人の力士が忽然と現れたりすれば今度は圧死しかねない。圧死が雁之助だす。阿呆なことを考えている場合ではない。何とかせねばならぬ。せねばならぬのぢや。閉じ込められたとはいえここは集合住宅いわゆるマンションなる建造物であるからして数多くの住人が生活しておるわけであり、助けを求めればされば与えられんにやぶさかではないだろうが助けを求める叫び声を上げようとして私ははたと途方にくれてしまった。いったい何と叫べばよいのだ。
「助けてくれ」
 そんな率直な願望を口にしてよいものか。率直な願望をそのまま言語化するのは子供のやることではあるまいか。いわく「お腹が空いた」「おしっこしたい」「プレステ欲しい」あるいは野蛮人の所業である。「石を投げるぞ」「一発やりてえ」洗練された現代人であるところの私が子供や野蛮人と同様願望を率直に言語化するのはよくないのではなかろうか。もっと高度で婉曲な言語活動でないといけないのではないか。目的は救出さるることではあるが、そのためにはとにかく人を呼べばよい。人の注意をひけばよいのだ。ならばたとえば、
「あ、一億円落ちてる」
「あっ。進藤さんが裸でいるぞ」
 そういう表現の方がのぞましくはないか。もっとも裸でいるのは阿呆然と風呂場に閉じ込められているこの私か。あるいは、
「わあ、楽しいなあ。楽しいなあ。風呂場に閉じ込められるのって楽しいなあ。君の猫をくれたら代ってあげてもいいよ」
 というトム・ソウヤー方式がよいのか。もしくは奇を衒って、
「わーれーわーれーはーバールーターンーせーじんでーあるー」
 がよいのか、いやいやいやそんな危ないことを叫んでいるやつのところに誰がきてくれるもんか、などとひとり悶々と考えながら把手をぐっと引くと「かち」という音がし、そして把手の野郎はあっさり回転しくさった。
 はあ。つまり。その。施錠してあったのだ。この把手は押しこむと鍵がかかる仕組みになっておったのだ。六年もこの部屋に住んでいてそんなことちっとも知らなかった。現代社会は陥穽だらけである。
 何分か何十分かぶりに風呂場から脱出、奇蹟の生還を遂げた私は外界であるところの室内を見わたした。ああ、ご覧、世界は美しい。ああ、生きてるって素晴らしい。
 そして涙を流しながら私は「五人の力士」を歌った。五回。裸で。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1999/04/06
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com