第21回 受け身形


 私も日本語の乱れを憂うもののひとりである。といっても最近の若者の言葉遣いに苦言を呈するなどという年寄りじみたことを書こうとしているわけではない。最近の若者がしっかり日本語を話せないのも無理からぬこと。実は彼らは日本人ではない。それが証拠に髪の毛が金色ではないか。ゆえに彼らの日本語を憂うことはないのだ。これからは笑顔で「日本語お上手ですね」といってあげようではないか。実際彼らは私の知り合いのファラーさん(スーダン出身二十七歳)よりはよっぽど上手く日本語を操る。ファラーさんは来日後三年を経過しているにもかかわらず、いまだに「こんにちは」と「日本語スコシだけ」と「特盛と玉子、お新香も」しか喋れぬのである。
 おっと、いきなり話題を少々転換せねばらならなくなった。私は日本語入力に「WXG」というIMEを使っている。DOSの時代にあったフリーウェアのWXPというFEPの頃から、お気に入りなのである。このIMEは親切にも、宛字だのら抜き表現だのを指摘する機能があるのだが(たった今「宛字」と使ったらそれが「当て字」であるとのご指摘をいただいた)、一段落最後の「喋れぬ」に「ら抜き表現」との警告が出た。ちょっと待て。「喋る」は「喋れる」でいいのではないか。ああ、今また指摘しやがった。五段動詞だぞ、「喋る」は。ついでにあれこれ試してみると「着れる」「食べれる」は警告するのに何故か「見れる」は警告しない。いったいどういう了見だ。片手落ちではないのか。と書いたら「差別語」って警告が出てきた。嘘です。
 閑話休題。ら抜き表現はよいのだ。よい、といっても容認するという意味ではない。気にはなるが、もう歯止めが効かぬところまできてしまっているから仕方がないのだ。他に歯止めが効かぬのは「ほんのさわり」と「がたいがいい」か。
 私の提言は「受け身表現」を正しく使おうということなのである。
 遅刻しそうになって慌てて家を出たら、いきなり前方からきた自転車にぶつかった。駅にたどり着くとまさに電車は出ていったところで一本待たなきゃならない。ようやく到着した次の電車に乗り込んだ途端、鞄を家に忘れてきたことに気がついた。改札では切符が見つからず、仕方がないので清算しようとしたら、どこに落としたか、財布がない。駅員に泣き付いて改札を通してもらい、会社への道を急いでいると、空飛ぶ円盤に拉致されてアブダクションを施されてしまった。
 こういった体験は誰しもおありだと思うが、これを何と形容なさるか。
「いや、散々な目にあった。ほんと、踏んだり蹴ったりだ」
 間違っている。この場合、踏んだり、蹴ったりしたのはあなたではないではないか。
 あなたは実は「踏まれたり蹴られたり」したのだ。よろしいか。ゆえにあなたは、
「いや、散々な目にあった。ほんと、踏まれたり蹴られたりだ」
というべきなのだ。くれぐれも主客を顛倒してはならない。
「昔の武士の侍が馬から落ちて落馬して女の婦人に笑われて腹を切って切腹した」などという文がある。こういう用法をなんというのか知らぬ。今の今まで「疊語」だと思っていたのだが、念のため辞書をひくと疊語というのは「我々」とか「段々」のことだと書いてあった。このように少しでも少々疑問に訝しんだことの事象は、辞書にあたって正しい正確さを期するところが私の素晴らしくも素晴らしいところなのであるが、自慢を誇ることはよそう。とにかく同じ語を重ねてしまうという誤用は、「第一回目」をはじめあちこちにちらほらと散見されるのである。英語では、これを再帰用法などといって、'He was grinning a grin' とか 'I've been living a life' などは文法に適っているようであるが、日本語ではまずい。だいいち、語感がもたつく。
 だがご安心あれ。受け身表現の覇王になれば、この問題も解決しようというものだ。
 さて、あなたが会話の中で「たとえば日光猿軍団に代表されるような、芸をする猿」のことを表現したくなったとする。なんと言えばよいか。
「猿回しの猿」
 なんとなく気持悪くはないだろうか。こんなときこそ受け身表現である。
「回され猿」
 回され猿。なんと的確にして簡潔であり洗練された表現であることか。
 マイケル・ジャクソンが猿を飼っていたことは有名である。飼っていたなどと言うとマイケルは、「バブルス君はお友達だったんだ。バブルス、フォーエバー」と怒るかもしれない。たとえ動物園に売っぱらったいう噂があるとしてもだ。いずれにせよ、バブルス君が世界中でもっとも有名なサルの一匹であることは間違いない。つまり、
「バブルス君は知られ猿である」
 という表現が成り立つ。
「2001年宇宙の旅」はご覧になったろうか。私は最初の十五分だけ観てあとは熟睡してしまったのだが、その私でも観ている初めのほうで、モノリスに触った猿が道具を覚え、道具を知らぬ猿との闘いに勝つ場面がある。負けた猿は、
「征服され猿」
である。
 このように素晴らしい受け身形だが、しかし問題点がふたつほどある。ひとつは「肯定なのか否定なのか判然としない」ということ、もうひとつは猿にしか適用できぬということである。まあ、いずれも些細な瑕瑾ではあるから気にしなくてもよろしい。


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1997/11/15
文責:keith中村
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