第207回 苦手である


 苦手なものはいくつかあるのだ。
 まず、頭にものを乗せている人が苦手だ。
 古典的な笑い話に、「おい、お前。わしの眼鏡を知らんかね」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」というのがあるが、だいたい頭の上に乗せてふさわしいものなどないのではなかろうか。
「おい、お前。わしのズボンはどこだ」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」
「おい、お前。電話帳をどこにやった」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」
「おい、お前。草履がないんだが」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」
「おい、お前。カズシゲはどこに行った」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」
「おい、お前。わしのかつらはどこだ」「あらやだ、あなたってば。頭の上に乗ってますわ」
 ろくなものではない。
 交差点で信号待ちしていると、頭に植木鉢を乗せた人が歩いているのを見かけた、知りあいが言っていたことがある。必死で眼を合せないようにしたそうだ。そりゃそうだ。迂闊に眼を合せたらどうなるかわかったものではない。
「どうかしましたか」
「いや。別に」
「ははあ。あなた、私の頭の上のこれが気になるんですな」
「そ、そんなことは」
「いやいや。隠しても駄目です。気になるでしょ」
「ちっ、違います」
 などと詰め寄られたら失禁してしまいそうだ。
 そういう危険な人は恐ろしい。なにしろ、危険な人は危険なのだ。
 私も一度危険な人を見たことがある。
 横断歩道を渡っていると向こうから歩いてきた人が、襟元に向って何か怒鳴っている。何かな、と思ってきくと、
「こら。おまえ。出てくるな。出てくるな」
 うわあ、危険な人だなあ、と思っているうちに眼が合ってしまった。彼は私をじろりと睨むとまた襟元から胸の方へ向って「ほら。人が見てるから。出てくるな。お前、出てきたらしばく」
 彼はいったい何に向って喋っていたのだろうか。森の小人とか妖精とか南君の恋人とかそういうあれなのだろうか。すれ違ってから恐ろしくてふり返ることができなかったので結局わからず仕舞である。
 それから、ゴキブリが苦手である。
 これにはふたつほど理由がある。
 ひとつ目は小学生の頃。夏に窓を開けていると、ぶうんと黒い昆虫が飛んで部屋に入って来た。咄嗟に「やった。兜虫だ」と思い、手を伸ばしてぐっとつまみ、鼻さきに近付けて見るとそれがぬめぬめしたゴキブリさんだったのだ。「ぎゃっ」と叫んで手を離したのだが、件のゴキブリさんはそのまま私のほうに向ってかさかさかさと迫ってきた。恐ろしかった。泣きました、少し。
 もうひとつは中学生のころ。学校にゆく前に朝食を食べていたのだ。ご飯をがつがつ食べていると、茶碗の底のほうの飯が黒く染まっている。はて、何かなと箸でほじくってみると、丸々太ったゴキブリさんの死骸であった。どうやら炊く前に御飯釜にもぐり込んで逃げ出せなくなりそのまま煮込まれたようだ。「ぎゃっ」と叫んで便所に駆け込んでげえげえ吐いた。あまりの衝撃でその日は学校を休んだ。泣きました、一日中。
 ゴキブリよりもっと苦手なものがある。ヘビトンボさんだ。
 ヘビトンボさんといっても判る人は少ないようなのだが、私の田舎にはいた。たいていは納屋の壁なんかにとまっているのだ。名前のとおり蜻蛉に似ていなくもないのだが、もっと醜悪である。胴が不必要なまでに太くて黄土色をしている。そして鈎になった大きな顎と、無気味にきらきらした透明の翅を持っている。「風の谷のナウシカ」に出てきそうなグロテスクな生物なのだ。そりゃもう気絶しそうなくらい気持ち悪いのだが、なかなか知っている人が少なくてこの気持ち悪さを共有できないのが切ない。
 ジェット・コースターも苦手である。
 いったい何を好きこのんであんな危険で恐ろしいものに搭乗せねばならぬのか。理解不能である。しかし好きな人はほんとうに好きなようで、たとえば私の姉などはかつて遊園地でアルバイトしていたのだが、そこに新たに作られたループ・コースターなる宙空で一回転する危険極まりない乗り物に試運転段階で乗った。私に言わせれば常軌を逸した行動である。それから、知りあいに、遊園地に行けば一日中だってジェット・コースターに乗っていられる、と主張する人がおり、嘘だろうと思って話してみると、ほんとに一日に二十三回乗ったこともあるそうだ。そもそもあんな危険な乗り物が無事故であるのが信じ難い。ジェット・コースターにいくつの部品が使用されているのか知らないが、たとえば五万個あったとする。ひとつの部品の信頼性が仮に九十九.九九九パーセントだったとしても五万個あれば五万乗で信頼性は約六十.六五パーセントにまで低下するのだ。くわばらくわばら。
 最近私が苦手としているのは1941面である。
 何の話かと言うとウィンドウズに標準でついてくる「フリーセル」のことである。しばらく前に思い立ってこれをはじめから順番に解いていっておるのだ。暇な奴だと思うだろうが、その通りである。悪かったな。
 で、快調に進んでいたのだが、1941面にきて詰ってしまった。三日掛かっても解けないのだ。フリーセルというのは必ず解けるという触れ込みの遊びであるから、解けないはずはないのだ。しかし解けないのだ。悔しいのである。
 全部で三万二千面あるらしいのでまだまだ序の口であるのに、行き詰まってしまったのである。
 どうしても解きたいのである。そんなわけで、ここでお願いするのである。どなたか解けたという人、私に教えてほしいのである。お願いするのである。この通りなのである。よろしくなのである。
 あっ。ウィンドウズ環境のあなた、今スタートボタン押しましたね。フリーセル上げようとしてますね。ふっ。甘いぜ。本当に難しいんだから。


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1999/03/15
文責:keith中村
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