第206回 褒めるということ


 褒めることは難しい。
 褒めると貶すは紙一重ではないか、と思うことがある。
「いやあ。君は凄い。凄いよお。ほんと。いやはや。まったく凄い。こいつぁ凄いっ」
 そんなことを言われたらどうしたらいいのだろう。本心から褒めているのか、それとも馬鹿にしているのか見極めるのが非常に困難である。
 これが、
「ああ。あなたって凄い人。あっはあん。もうどうにでもしてぇん」
 だったらば、「ひゃっほう」と素直に喜べるであろうし、
「うーん。凄いでしゅねー。とーっても偉いでしゅねー。お利口さんでしゅねー」
 ならば、「アッ。オレハイマ馬鹿ニサレテイルノダ」と即座に理解することができるのだが。
 しかし、たとえば女子の人を讃美するのに、
「ああ。ほひー。ほひー。ああ。ええだよ。とってもええだ。おらぁ、こんなええのは初めてだべよ。ほひー。ほひー。気持ちええだ。ああ。ほひー」
 などとはそれがいくら真実の心の叫びであっても言うわけにはいかぬだろう。そもそもそんなことを言われて喜ぶ女子の人がいるとは思えない。いや、どういう状況の話かはご想像におまかせするが。
 サイモン・フィリップスという天才ドラマーがいる。ジェフ・ベックがかつてこの人とセッションしたとき、ベックは彼の卓越したテクニックを評してこう言ったらしい。
「サイモンは天才だ。きっと奴には手が六本と足が四本生えているに違いない。いやあ。あいつはまるで蛸だよ」
 ベックは本当に驚嘆してそう言ったのだろうが、「まるで蛸だよ」というのはちょっとどうかしていると思う。言われてもあんまり嬉しくなさそうだ。
 十五年くらい前に「SFアドベンチャー」という雑誌のコラムで当時の久住編集長が「いい意味で」をつけるとすべての罵言は褒め言葉に転化できると書いていた。
「君は馬鹿だよ。いい意味でね」
 言われたほうはとまどってしまい、怒ることができないだろう、というのだ。
「君はワラジムシみたいな顔だね。いい意味で」
「君は成吉思汗みたいだね。いい意味で」
 しかし、「いい意味で」と附加せねばならぬというのは、もともとその譬えがマイナスの印象を与えるものであるからで、やはりこれはまずいかもしれない。
「俺のどこがワラジムシだというんだ。ええ。言ってみやがれ」
「わたちのとこがチンギスハンあるか。ぱかにすると承知しないあるよ。ぽこぺん」
 喧嘩になったりしてはまずい。
 では、「ある意味で」はどうだろう。初めにプラスの印象を与える譬えをしておき、それに「ある意味で」を附加してやるのだ。
 たとえば、声がでかくて鬱陶しい奴には、
「君は丸谷才一みたいだよ。ある意味で」
 と言ってやるのだ。この場合「丸谷才一」は「国文学と英文学に通暁している碩学」ではなく「声がでかくて喧しい奴」というたとえになる。それと気づかれずに相手を罵ることができるのだ。
 禿げた者には、
「きみはショーン・コネリーみたいだよ。ある意味で」
 ギターのミュートが下手くそな奴には、
「まるでジミー・ペイジだよ。ある意味」
 出しゃばりの嫁さんを持っている奴には、
「君はジョン・レノンそっくりじゃないか。ある意味では」
 背が低い奴には、
「君はまるでグレイだよ。ある意味では」
 この場合、「ある意味」イコール「宇宙人の方のグレイという意味」ということになる。
 つまらない話を数だけは多く書いている雑文書きには、
「赤川次郎みたいだね。ある意味」
 しかし、よく考えると「赤川次郎みたい」はそれ自体が罵言か。
 はっ。しかもこれは天に唾する言葉だ。


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1999/03/11
文責:keith中村
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