第205回 君と今夜


 翻訳という行為は恣意的なもので、たとえば‘walk’という語は「歩く」と訳しても「歩行する」と訳してもよいし、場合によっては「ゆく」とすることだってあるだろう。しかし翻訳の中には原語と日本語が一対一に対応しているものもあり、たとえば絵画音楽映画文学などの原題と邦題の関係がそうである。
 ‘Farewell To Arms’は「さよなら兵器」とか「銃剣との訣別」とかでも意味は通じるがしかしこれは「武器よさらば」ということになっている。‘The Wizard of Oz’は「オズの魔法使」であり、‘Forbidden Planet’は「禁断の惑星」である。そういうことになっているのだ。
 まあこのようにほぼ原意に忠実に訳している例はよいのだが、中には原題からかなり外れた邦題というのもある。
‘A Hard Day's Night’はビートルズの曲であり映画にもなったが、これの邦題は「ビートルズがやってくる ヤア! ヤア! ヤア!」である。‘Bonny and Clide’が「俺たちに明日はない」となる。こうなると、翻訳というよりは題名のつけ直しというべきだろう。
 原題と乖離した題名をつけるという習慣は日本だけのものか、海外にも多く見られるのかは判らないが、ところでいったいこういうことはいつからおこなわれていたのだろう。鎖国時代には海外からの文化の流入が極端に制限されていたから恐らく明治以降の風潮だろう。そういえば鎖国以前に輸入されていた「イソップ物語」は「伊曾保物語」と音をそのまま宛てている。明治以降となればやりはじめた人物の見当がだいたいつく。
「レ・ミゼラブル」を「噫無常」、「シラノ・ド・ベルジュラック」を「白野辧十郎」、「モンテクリスト伯」を「巌窟王」と訳した黒岩涙香あたりがはじまりではなかろうか。
 ところで最近では映画の原題をほぼそのまま片仮名にしたものを邦題とすることが多いようである。‘The Exorcist’を「エクソシスト」、‘Alien’を「エイリアン」、このあたりまではよかった。
「ステイン・アライブ」というのがあったが、「ステイン」とは何かと思ったら‘Stayin' Alive’をそのまま音にしたものであった。「ゼイリブ」も‘They Live’そのままである。まあ、この辺まではまだ許そう。
「ダンス・ウィズ・ウルブス」は原題から複数形のsを残し、三単現のsだけを中途半端にとったものである。かと思えば三単現のsも健在にしたままの「リバー・ランズ・スルー・イット」というのもある。これはもうちょっと何とかならないものだろうか。「川は流れる」とかそういうのでもよかったのではあるまいか。
 八〇年代の音楽には「今夜は」とか「君は」という接頭辞をつけた題名がちらほら見られた。原題の頭にそのままつけた例では、「今夜はビート・イット」「君はビリー・ジーン」、原題からかけ離れたものでは「君は完璧さ」「今夜はエンジェル」などがある。映画の世界ではスピルバーグの「激突!」があたったため、続篇でも何でもない映画を「続・激突! カージャック」とした例があるが、「今夜は」「君は」も二匹目の泥鰌というかあやかるというかそんな意図があったのだろう。それに「今夜は」「君は」をつければ何となく雰囲気がよくなるという効用もありそうだ。ちょっと試してみよう。
「君はサスペリア」
「君はオーメン」
「今夜はゾンビ」
 どうもよろしくない。もしかしたらホラーには合わぬのかもしれない。そういえばマイケル・ジャクソンだって「スリラー」には「今夜は」「君は」がついていなかった。
「今夜は夜の大走査線」
「今夜は夜霧よ今夜も有難う」
「君は君の名は」
 なんだかくどくなってしまう。もとから「君」「夜」が入っている題名につけるのはよくなさそうである。
「君はあなたは私ではない」
「今夜は陽のあたる場所」
「今夜は太陽がいっぱい」
 やはりもともとの意味を考えずにやみくもにつけるのもよくなさそうだ。
 主題を決めてやってみよう。たとえば、北島三郎の歌につけてみる。
「君は与作」
「君は息子」
「今夜はさぶ」
 北島三郎は「君」「今夜」に向いていなさそうである。
 ではアニメーションや特撮はどうだろう。
「今夜はサザエさん」
「君は宇宙猿人ゴリとラー」
「今夜はだんご三兄弟」
「君は大魔神」
 やはりよくわからないことになってしまう。
 さて、そろそろ終わりにする。落ちはどうした、と思われる向きもあろう。
 だが、落ちはないのだ。なんとなれば、今回は固有名詞を多用してしまった。これだけ固有名詞を出せば誤字のひとつやふたつあるかもしれぬ。わたしゃ、それが心配で心配で落ちどころではありません。ないったらない。
 だからこれにておレまい。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1999/03/08
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com