第203回 高地


 はじめに断っておくが、題名は一切内容と関係がない。
 よくウェブ・ページで怒っている人がいるが、あれはちと理解不能である。私も含めてこういった個人のサイトというのはゴミのようなものであるから、そんなところで何を書いてもどうなるというものでもない。
 もちろん私だって達観した人間ではないから人並みに怒りをおぼえることもある。しかし、それをこういう場で書いても仕方がないのである。
 たとえば、私がよく利用するコンビニエンス・ストアがあるのだが、ここのアルバイトの店員がなっていない。どうなっていないかというと、まず名札である。コンビニエンス・ストアはたいてい名札をつけなければならない規則になっているようであるが、そのアルバイトは名札を裏表さかさまにつけているのだ。よく無軌道な若者の自動車や単車でナンバープレートを九十度折り曲げているのがあるが、あの体である。ナンバープレートを折り曲げる行為は「私は交通法規を遵守するつもりはないのですが、だからナンバーを見られたらまずいので見えないようにしています」ということである。ということはこの店員も「私はこのコンビニエンス・ストアの規則どおりに勤務するつもりはありません。そこんとこよろしくっすー」という意志を表明しているのであろう。たしかにぶすっとしているし、やる気もあまりなさそうな奴である。
 しかもこの店員は勤務中にもかかわらず帽子を着用しているのだ。近ごろは建物の中では帽子をとらねばならぬ、という常識もかなり廃れたようでもしかしたらこの店員も知らずにやっているのかもしれない。しかし無知は罪悪である。非常識にもほどがある。
 いや、ことによると帽子を取れない理由があるのかもしれない。頭に人にはいえない秘密があるのかもしれない。ならばそれを糾弾するをやめるにやぶさかではない。というわけで、私はこの店員をハゲオと呼ぶことにした。
 ハゲオの最大の欠点は、弁当を買ったときに露見する。コンビニエンス・ストアで買いものをしたときに詰めて貰える袋には、スーパーと同様の形状のものと、弁当用のものの二種類がある。弁当用の袋は浅くて口が広い。地面に対して水平を保ちながら弁当を持ち運ぶことができる仕様になっているのだ。しかし、あろうことか、ハゲオの奴は弁当だろうがカップ麺だろうがペットボトルだろうがおかまいなしにスーパーと同じ深い袋に抛りこみやがるのだ。弁当には多かれ少なかれ汁気が存在する。煮っころがしの煮汁であったり、八宝菜の汁であったりが弁当の中には存在するのだ。だが、ハゲオの野郎はそれをスーパー型の袋に縦に入れるのだ。するとどうなるか。汁気がこぼれるではないか。もちろんコンビニエンス・ストアの弁当はラップにくるまれているから、汁が流出して他の買いものにかかることはない。しかし家に持ち帰ってさて電子レンジに入れようかという段になって、ラップを剥くとする。
 するとどうなるか。
 こら。ハゲオ。手がにちゃにちゃになるではないか。どういうことだ。ちゃんと弁当用の袋に入れろ。いいな、ハゲオ。
 などという怒りを日常生活においておぼえたりもするのだが、私は決してそういうことは書かないのである。
 関係ない話をながながと書いてしまったが、本題に入りたい。
 最近心惹かれる言葉がある。
「おん・ざ・まゆげ」
 結構奇天烈な言葉ではなかろうか。
 もし書籍の題名に使われていれば私は中味も確かめずに購入してしまいそうである。
 たとえば、
「おん・ざ・まゆげの55日」
「おん・ざ・まゆげでドン」
「愛と追憶のおん・ざ・まゆげ」
「コマンチ族の葬祭儀礼とおん・ざ・まゆげ」
「宇宙のおん・ざ・まゆげ」
「おん・ざ・まゆげ 驚異の心霊パワー」
「一週間速習 おん・ざ・まゆげ」
「おん・ざ・まゆげ 99の真相」
「本当は恐ろしいおん・ざ・まゆげ」
「ハゲオとおん・ざ・まゆげ」
 私の心を掴んで離さないおん・ざ・まゆげであるが、残念ながらどういう意味の言葉だったかを失念してしまった。
 たしか、中学高校のころ、教師が女生徒に向って、
「こらこら。スカートの丈はおん・ざ・まゆげだ」
 と注意していたのだけは憶えている。
 どういう意味だったっけなあ。


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1999/02/28
文責:keith中村
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