第20回 洒落はやめなしゃれ


 餓鬼の頃からの駄洒落好きで、損ばかりしている。小学校の頃、親に言った駄洒落が受けた。どんな駄洒落かは忘れたが、「駄洒落を言うのは誰じゃ」くらいのどうでもいい駄洒落だったはずだ。受けたことに気をよくした私は次から次へと駄洒落を連発した。だいたい子供というのは馬鹿である。どれくらい馬鹿であるかというと、二次方程式の解の公式を覚えておらぬし、ハイゼンベルグの不確定性原理の何たるかであるかすら知らぬのである。馬鹿であるからして、受けたらとことんやってしまう。私などは、この歳になってもハイゼンベルグの不確定性原理を知らぬし、受けたらとことんやってしまうのでもしかしたら、いまだに子供なのか、あるいは馬鹿なのか、もしかしたらその両方なのかもしれない。とにかくその時は受けたのに気をよくして駄洒落を連発していた。すると、なんとなく親の表情が険しくなりはじめた。子供は馬鹿なので表情を読むなどということはできない。もっとも今でも読めない。読めぬもので、調子に乗って駄洒落を続けているとやがて親が怒り始めた。子供ながらに学習した。「大人は笑いが過ぎると怒りだすものなのだ」と。
 しばらくして、今度は学校で友達に駄洒落を連発していた。はじめは受けていた友達の表情からやがて笑いが消えていったが、そんなことは構わずに執拗にくり返していると、そいつもまた怒り始めた。馬鹿な子供であった私もここに至ってようやく「駄洒落を連発するとすべての人は不機嫌になる」という事実に気がつき始めた。
 これはいったいどうしたことだろう。もしかしたら世間は駄洒落に対して不寛容なのであろうか。私は駄洒落を少し控えるようになった。
 小学校六年生のときにジョン・レノンが死んだ。
 追悼ということか、ラジオでたびたびビートルズの曲が流れるようになって、私はビートルズに傾倒していった。ビートルズの何が私をそれほど魅きつけたのか。それは駄洒落であった。

Well, she was just seventeen,
You know what I mean.

(I Saw Her Standing There)

 この二行の最後の単語どうしは駄洒落になっている。もちろん、当時はリスニングの能力などないから、

うぇにゃにゃっにゃー、にゃにゃんてぃーん
ゆのお、にゃにゃあみーん

 ぐらいにしか聞こえないのだが、それでも「ああ、この人達は駄洒落を唄っているんだな」ということは解った。偶然駄洒落になっているだけかと思ったが、聞き込めば聞き込むほどそれは揺るぎない確信へと変わっていった。

いえすたでえ、にゃにゃにゃにゃにゃにゃふぁあらうぇー
にゃにゃにゃんにゃにゃあにゃ、ひーるすてー
おあびりー、にゃいえすたでー
にゃにゃんりー
にゃにゃにゃにゃにゃにゃ、ゆーすつびー
にゃ、にゃ、にゃにゃんにゃあにゃ、おおばみー

 というように「イエスタデイ」は駄洒落のオンパレードであった。
 やがてレコードを集め出して、そこに書かれた歌詞を確認するにあたってやっぱり自分が間違っていなかったことが判った。

Flowing from Miami beach BOAC, didn't get to bed last night.
On the way the paperback was on my knee, man I had a dreadful flight.

(Back in the USSR)

Joan was quizical, studing pata-phisical science in the home.

(Maxwell's Silver Hammer)

It's been a hard day's night, and I've been working like a dog.
 It's been a hard day's night, I should be sleeping like a log.

(A Hard Day's Night)

 いくらでもある。
 私は駄洒落をいう人間が嫌われることをすでにしてヒューリスティックに知っていたから、ビートルズは当時の大人から反感を買ったというのを聞いてなるほど然りなどと納得したものだ。駄洒落をいうのは辛いよね、お互い、などと共感したものだ。
 ははは。馬鹿です、馬鹿。何が駄洒落だ。これはライムですね。つまり押韻というやつ。英語の詩では当たり前すぎるほどのレトリックではないですか。かの沙翁のソネットをひもとくと、

From fairest creatures we desire increase,
That thereby beauty's rose might never die,
But as the riper should by time decease,
His tender heir might bear his memory:
But thou contracted to thine own bright eyes,
Feed'st thy light's flame with self-substantial fuel,
Making a famine where abundance lies,
Thy self thy foe, to thy sweet self too cruel:
Thou that art now the world's fresh ornament,
And only herald to the gaudy spring,
Within thine own bud buriest thy content,
And tender churl mak'st waste in niggarding:
Pity the world, or else this glutton be,
To eat the world's due, by the grave and thee.

 ほらほら。駄洒落の嵐。違う違う。押韻しまくり千代子です。これは中国の絶句や律詩と同じく、また日本の五七調、七五調と同じく定型詩の基本だったのです。
 だけど、お隣の中国だって韻を踏むのに、どうして日本では押韻がそれほど普及していないのか。
 桑田圭介の古い歌に「別れ話はミズリー、昔話はヒストリー」というのがあるが、押韻の部分は日本語ではなく英単語で、しかもこれでもやはり駄洒落に聞こえてしまう。
 ましてや、タイマーズの「税」という歌は、
「間接税、固定資産税、市民税、酒が沁みんぜい、教えて欲しいぜい、税の行方を」
 などという歌詞であるが、これを脚韻ととる人はいないだろう。まあ作詞の忌野清志郎おっと違った、ゼリーだって駄洒落のつもりだろうけど、やっぱり立派な押韻だと思うのですよ。
 とにかく私は未だにこういった駄洒落、よくいえば言葉遊び、押韻なるものが大好きなのである。
 以前に「今度はな、パンゲアについて言うげなあ」などというフレーズを使ったことがある。こんなことを解説するのは無粋ではあるが、これは「ゴンドワナ(大陸)、パンゲア(大陸)、ウェゲナー(大陸移動説を提唱)」という駄洒落だったのである。
 ところで、「バイリンガル駄洒落」と呼ばれるフレーズがある。あるったって、実はたった今命名したばかりなのだが。

「ぽってりとした陶器」

 どうです。深いでしょ。Pottery は英語で「陶器」のことなので、これは陶器を形容しているだけでなく駄洒落にもなっているのですね。

「居合わせた千人の観客は騒然となった」

「千人−thousand-騒然と」という連想が働く。和歌の掛詞にも通じる技巧であるかもしれない。
 真菌という菌類があるが、これが生成する毒素は「マイコトキシン」という。「しんきん−まこときん−まいこときしん」というわけである。
 ノミナリズムは「唯名論」と訳されるが、「ええいっ、唯、名前あるのみなりっ」って叫んでいるみたいでもある。
 というように「バイリンガル駄洒落」はなかなか奥が深いものである。
 え、そんなのはただの牽強付会だって。そうですか、不快ですか。


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1997/11/13
文責:keith中村
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