第196回 読書のすゝめ


 ローリング・ストーンズとコンピュータ業界は何故か仲が良い。マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されるとき、テレビのコマーシャルでしきりに「スタート・ミー・アップ」が流れていたし、インターネットでのライブ中継や、アルバム「ヴードゥー・ラウンジ」のCD−ROMもあった。そして今回は「シーズ・ア・レインボウ」である。五種類の色違いアイマックが発売されたのだが、これのコマーシャル・ソングになっている。この曲はコードがたったふたつしか使われていないのだが、隠れた名曲として名高いものであり、私も大好きである。うららあ、うらっららっらっらあ。まったくアップルという会社はいつもセンスだけは素晴らしい。
 センスだけは、などと書くと怒る人もいるのだろうな。すみません。私もマック七台持ってますから許してください。
 そんな話はどうでもいいのだが、先日の日曜のことである。
 昼過ぎに電話が鳴った。
「もしもし」
「あの。わたし、内藤と申します」
 はて、どこの内藤さんだろうと思っていると、
「高校で同級だった内藤です」
「おお、久し振りです」
「今、近所に来ているんだけど、お邪魔してもいいかな」
「ああ、いいっすよ」
 内藤君は同級ではあったが、それほど親密であったわけではなく、高校卒業以来逢っていない。突然の来訪である。
 あまりよいことではないが、わたしは疎遠な知りあいから連絡があるとまず警戒してしまう。えてしてそういった人びとは、やれ盛況新聞を取ってくれ、とか、やれ強酸党に一票入れろ、とか、やれ壺を買え、とか、やれオレゴンの土地を買え、とか、保険に入れ、とか言ってくることが多いからだ。たまには、講演会をやってくれ、だの、金が余っているからやる、だの、うちの美人の妹と付き合ってくれ、だの、カレーを奢ってやる、だの、そういった申し出があってもいいのではないかと思えど、残念ながら目下のところそれはない。今後に期待したいところである。
 だから、今回もやや身構えてしまったのである。
 内藤君はクラスではあまり目立たない大人しい生徒であった。うらなり、という雰囲気の真面目なあまり喋らない奴であり、天然惚けめいた不思議な笑顔をいつも浮べていた。
「こんこん」
 ノックがあり、わたしは玄関に出た。
「やあ。どうもどうも。突然すみません」
 立っていたのは、十二年分の歳をとってはいるが、たしかに内藤君であった。ちら、と見ると手に青い合成革の本を持っている。
 ああ、聖書か。やはりそっちの勧誘か、と思っていると内藤君はその本をぱらぱらとめくり、
「これだけを頼りに来たんで、ちょっと迷ってしまいました」
「ああ。そうですか」なんだ、住所録だったか。とりあえず部屋に通す。
 あまりに久し振りなんで、お互いにどういう言葉遣いが適切かよく判らず敬語交じりになる。
 内藤君は高校生のときと同じ不思議な笑みを浮べながら部屋をぐるりと見回した。
「ああ。本がいっぱいありますねえ」
「まあ、好きだから」
「ああ。CDがいっぱいありますねえ」
「まあ、好きだから」
「ああ。ギターがたくさんありますねえ」
「……まあ、好きだから」
「ああ。コンピュータがたくさんありますねえ」
「……まあ、嫌いじゃないから」
 とほほ。コンピュータに触れられるのだけはいつも何となく恥ずかしいのだ。
 しばらく高校時代の共通の友人の消息などを話題にするが、向こうも私もあまり詳しいことは知らずなかなか話が弾まない。
 内藤君は不思議な笑い顔を絶やさない。それが自己啓発セミナーや宗教にはまっている人間特有のものに見えないこともないが、昔からそんな表情だったような気もして、ほんとうのところはよく判らない。
 内藤君がいきなり、ぽん、と拳で掌を打って言った。「そうそう。昔から聞こうと思ってたことがあってね」
 な、なんだ。
「な、なにかな」
「君は昔から本が好きだったでしょ。僕も本は読まなきゃと思って買ってくるんだけど、どうしても買ったままで読まずにすましちゃうんです。どうしたら本を好きになれるのかな」
 何という難しい質問をするのだ。
「え、ええと。内藤君はどういう本を買うの」
「最近ではねえ」内藤君は思い出すように考え込んで、
「戦争と平和」
「はああ」
「萬葉集」
「は」
「赤と黒」
「ふうむ」
「失われた時を求めて」
「げ」
「大菩薩峠」
「ふわ」
 内藤君は結構たいへんなことになっている。
「……ちょ、ちょっと。それ、読んだの」
「いや。だからね。買うんだけどどうも読む気がしなくって抛ってあるんだ」
 そりゃ、そうだ。そんなもの、よっぽど体調がすぐれていて、なおかつ、かなり酔狂な気分のときにしか読む気にはならぬぞ。
「あの。それはどうやって選んだの」
「有名だから」
「……そうかあ。有名だからかあ。有名だよなあ」
 何か違うぞ。「あのさ。内藤君。もっと面白そうな本から始めたらどうかな」
「ふむう。どんな本が面白いのかな」
 そう訊かれてぐっと詰ってしまった。娯楽小説でも読んだらどうか、と思ったがこれはジャンルが多岐に亘っているので個々人の趣味嗜好にあったものを見つけるまでが結構かかるかもしれない。あるいは、本を読んだことがあまりなくても、娯楽小説を受け付けずいきなり純文学の面白さに惹かれる人間だっている。
「それは……」
 ううむ。
「面白そうな表紙のやつを買えばいいんじゃないかな」
「なるほど。面白そうな表紙のやつだね」
 いいのか、ほんとに。ええい、ままよ。
「そ、そう。俺なんか、いっつもそうしてるよ」嘘つけ。
「へえ、そうなんだあ」内藤君はにっこり笑って「じゃあ、僕もそうします」
 それからしばらくして内藤君は帰っていった。
 不思議な一日であった。不思議な内藤君であった。
 内藤君。いくら表紙が面白そうでもペリー・ローダンにだけは手を出すんじゃないぞ。 


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1999/02/02
文責:keith中村
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