第191回 じっと見る


 はたらけど
 はたらけど猶わが生活楽にならざり
 ぢつと手を見る

 いうまでもなく石川啄木の有名な歌である。
 ある種の文学の人には駄目な人が多いけれど、啄木もやはり駄目人間だったのだと思う。よく知らないが、この「ぢつと手を見る」の一般的な解釈としては「いくら働いてもちっとも生活がならず、働きづめでやつれてしまった手を悲しく見つめる」というところなのだろう。けれど、私はそう考えない。
 きっと啄木は「ただじっと見てしまった」のだろう。啄木は「疲れた手になってしまった」などとは思わなかったに違いない。
 彼は「爪が汚いよ」と思ったことだろう。
 あるいは、「指紋って迷路遊びができるねえ」だったかもしれない。
 もしくは「ささくれのささは笹に関係あるのかなあ」あたりか、何なら「あ。なるほど。指が五本づつあります」くらいのことだ。
「じっと見る」人はついついそうやってどうでもよいものをじっと見てしまうのである。そしてそこに「観察」はない。ただ「じっと見る」だけなのだ。
 私じしんが「じっと見る」人間である。
 煙草を吸っているときに、ふとその煙草に目を遣ってしまうことがある。こうなるともういけない。煙草の巻き紙には「3771」などとおそらくは製造ラインの番号らしきものが書かれているのだが、見ているうちに頭の中で実況中継が開始されてしまう。
 あっ。危険です。「1」が危険です。ああ、地獄の劫火がすでに「1」の足もとに迫っています。もう、「1」は逃れられないのでしょうか。おお神よ。救いたまえ。ああ、駄目です。すでに「1」の半分は劫火に包まれています。さようなら。さようなら、「1」。みなさんとお別れです。さようなら「1」。また逢える日まで。ああっ。たいへんです。そうこうしている間にも煉獄は手をゆるめることなく「7」に近付いています。「7」に救済はないのでしょうか。ラッキーセブンという言葉は嘘なのでしょうか。大変だ、「7」。しっかり、「7」。ああっ。駄目です。駄目です。めらめら。さようなら。
 我に帰れば煙草は吸い口のところまですでに燃えつきていたりする。じっと見る人は手を火傷しやすいのである。
 GUIなどと呼ばれる近ごろの鮮やかな画面を持ったコンピュータ環境もじっと見る人には気をつけなければならないもののひとつである。私がついついじっと見てしまうのはファイルの配置連続化ツール、たとえばウィンドウズに標準でついているデフラグ様である。
 そもそもコンピュータは人間の仕事を減らすための道具である。人間に余剰の時間を齎す道具である。だからデフラグ様は、起動してそのままにしておけば自然に仕事を終えて終了してくださるのであり、そのあいだ人は別のことをしておればよいのである。だが、じっと見る人はこれをじっと見てしまうのだ。
 デフラグ様はまず現状をお見せくださる。コンピュータの中のファイル配置を小さな四角を並べて表現してくださるのだ。ファイルが分断していると、その四角がすきまだらけの不規則な配置で表示される。「そちのファイルはこれほどまでにずたずたに分断されておるぞ。もうそちの力ではどうすることもできぬのじゃ。仕方がないのう。まあよい。まあよい。わしに任せるがよい」デフラグ様はそうおっしゃるのだ。
 ああ。こんなにも無茶苦茶になるまで抛っておいた私が悪うございました。デフラグ様なにとぞお救いくださいませ。私はそう思いながら画面をじっと見る。
 画面の中ではデフラグ様が働いている。あっちの四角をちょびっと取り、こっちの四角をちょちょっと取っては、綺麗に綺麗に並び変えてくださる。
 ときにはたくさんの四角をいっせいにごそっと並べてくださる。
 ときには四角をひとつひとつ叮嚀に並べてくださる。
 ときどきデフラグ様は不可解な行動をなさる。連続した四角の塊が前後して並んでいる間にかなり大きな隙間ができていることがある。そんなとき、デフラグ様は後の塊をちょっとつまんでは前に詰め、ちょっとつまんでは前に詰め、という動作を入念にくり返されるのだ。せっかく固まっているんだから、そこはそのままにしておいて、間に詰める分はよそから持ってくればよいのではないか、とふと思う。恐ろしいことにデフラグ様は、私がそう思った途端に、ぎし、と動きをとめてしまわれるのだ。
 おお、デフラグ様。お許しください。わずかとてあなたを信心しなくなった私をお許しください。
 きっとデフラグ様には、私ども愚民には判らぬ考えがおありになって、いちいちひとつひとつの四角を移動なさっておられるのでしょう。デフラグ様のなさることに間違いはございますまいから。
 そう思っていると、また、ぎろ、ぎろ、ぎろ、とコンピュータが動きはじめるのであった。ああ。デフラグ様がご機嫌をもどされた。やれ、嬉しや。
 デフラグ様の一挙手一投足をついつい見てしまう人は案外多いのではなかろうか。
 実は今日も職場でデフラグ様に見入ってしまった。おかげで五十分もの間、仕事をさぼることができた。デフラグ様ありがとうございます。
 そうやって「じっと見る」人は時間をやり過ごしてゆく。それもまたひとつの生き方ではないかと思う。少なくともじっと見る人は、じっと見ない人よりじっと見ることはできるのだ。駄目なことかもしれないが。
 そういえば、冒頭で記した啄木にはこんな歌もある。

 すつぽりと蒲団をかぶり、
 足をちゞめ、
 舌を出してみぬ、誰にともなしに。

 そんな奴が立派な人間のわけがない。啄木はやはりとことん駄目な人だったのだろう。
 しかし、実は私も「すっぽりと蒲団をかぶる人」であるのだ。もっとも私は舌を出さぬ。その代わりにくるまった蒲団のなかで「うにょうにょ、にゃあ」などと不可解な言葉を呟いたりするのだが。
「にょ」のあたりがかなり駄目であると自分なりに考えてはいる。 


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1999/01/14
文責:keith中村
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