第187回 もの申す


 総じて、「私ってえ、個性的。っていうかあ」などとほざく馬鹿女は個性的というよりはむしろただの妙な奴であることが多く、「俺たちの個性を管理教育でつぶすんじゃねえ」と息巻く不良中学生に限って個性なんてこれっぽっちも持っていなかったりするものだ。
 そもそも個性という言葉の定義はかなり曖昧なもので、そんなものあると言えば誰にだってあるもので、また、ないと言えばそんなものははじめっからないのだとも言える。
 個性というのを広義に捉えれば、たとえば足が臭いとか手がねばねばしているとかカレーが大好きであるとかそういったこともやはり個性に他ならず、ならば「ひとり一人の個性を伸ばすんだ」という情熱にあふれた教師は足の臭い生徒の足はより臭くすることが使命であり、手がねばねばの生徒をよりねばねばにすることが使命であり、カレー好きの生徒の口にスプーンで更なるカレーを押し込んでやることが使命になってしまうし、逆に個性というのを狭義に考えれば、どのような性格を所有していようと所詮それは標準偏差内の個体差に過ぎぬのであり、またよしそれを逸脱した人間がいたとして彼は個性的というよりは気狂いと呼ばれることになってしまうだろう。
 だがしかし、それでも我々は共同幻想としての「個性」という物語が大好きであり、誰もがみな自分は人とは違う何かを持っているはずだという幻を追い続けてしまうものなのである。
 そんなことを考えながら書店で雑誌を物色していると「もの申す」という雑誌を見つけた。創刊号である。出版元は夏声書院というあまり聞かない名前であった。
 興味を持ったので買って帰ってきた。
 で、とりあえず暇つぶしに読みはじめたのである。どうやら一般の人々から公募したさまざまな主張を掲載する趣旨の雑誌のようだが、これがかなりすごいことになっていた。
 いくつか引用してみよう。

「鯨と私」32歳・女・主婦
 こんにちは、私の家族であるみなさん。ええ。そうですよね。我々はみんな宇宙船地球号に乗り合わせた家族なんです。あなたもあなたもあなたもみんな私の家族。そうよ。
 さあ、今日は家族会議を開きましょう。議題は環境問題についてです。
 みなさんもご存知のように今や地球は大変な危機に瀕しています。
 (中略)
 そうなんです。鯨も私たちの家族。鯨はあなたの息子なの。鯨はあなたの母親なの。そうなのです。人は大昔、実は鯨だったんです。だから、鯨を獲るのはよしましょう。だって可哀相じゃありませんこと。
 私には鯨の叫びが聞こえます。「お兄ちゃん、痛いよう。痛いいたい」「お母ちゃん、苦しいよう」「僕たちをいじめないでよう」
 ほら。耳をすましてごらんなさい。きっとあなたにも聞こえるはず……。

 ううむ、と唸ってしまった。人は大昔、実は鯨だったらしいのだ。知らなかった。そうか。実は鯨だったのか。

「煙草と私」17歳・女・専門学校生
 私は煙草が嫌いです。だから煙草を吸う人はもっと嫌いです。煙草を吸うと癌になります。だから毒です。だから煙草はよくないのです。しかも煙草は吸ってない人にまで迷惑を掛けます。煙草を吸う人の横にいるだけでやっぱり癌になるのです。だから煙草は駄目です。
 こう見えてもあたしも若いころはちょっとワルで、アンパン決めたり(原註:快楽を目的にシンナーを吸引すること)してました。歯がずいぶん溶けてしまいました。今から思うとよくないことをしたなあ、なんて思います。でも、若いころは誰だってアンパン決めるくらいやります。こういうのを若気のたたり(ママ)っていうんだと思います。若いんだからそれくらい仕方がないとおもいます。それに今ではもうきっぱりやめたからいいんです。あたしは悪くないんです。だいいち、アンパンは脳が溶けちゃうけど、人には迷惑を掛けません。でも煙草は他人を癌にします。
 だから、煙草はいけません。

 自分のことは棚にあげておいて、というやつであるが、それよりも、すでにかなり脳が溶けてしまっていそうで心配である。

「美しい日本語と私」25歳・男・教師
 私は日本語が好きです。日本語は世界中の言葉の中でいちばんきれいです。いちばん美しいです。日本語が好きなそんな私はだから職業に国語教師を選びました。
 ところがそんな私が最近眉をしかめさせるのが若い世代が使っている言葉が乱れていることです。
 よくお年寄りの老人の方で、若い人がきちんと敬語を使えないと申される方がございますが、もちろんそれも気になりますが、私はもっと気になるのは若い世代が使う略語です。
「チョベリバ」という有名な略語がありますが、これは「超ベリーバッド」の略です。私の教え子がそんな言葉を使うと私はこれまで注意をしてきました。
 だが、これは若い人の責任ではないのではないかと思えてきたのです。これは大人にも責任があるのではないか、と考えるのです。たとえば「公正取引委員会」というのがありますが、これは普通「公取委」と略されます。「独占禁止法」は「独禁法」です。「原子力発電所」は「原発」で、「国際電信電話会社」が「KDD」になります。「坂東妻三郎」は「坂妻」です。
 そうです。実は子供たちは大人を真似ているだけなのです。大人がこんな風に略語を使うので子供たちも真似をしてしまうのです。
 だから、大人は子供たちの手本になるように、略語を使うのをやめるべきだと思います。

 まず自分の言葉の乱れをただすべきではないのだろうかと、ちょっとだけ思う。
 それにしても、どうして人はこうも「自分の意見」を述べるのが好きなのだろうか。一億総批評家である。この雑誌はこんな投稿で満ち溢れているのだが、いちいち引用しているときりがないので、以下に題名だけを挙げる。

 夫婦善哉と私。トガリネズミと私。浣腸と私。写経と私。越後屋と私。王様と私と私。戸板返しと私。たわしと私。忍者と私。三十五歳妻子持ち上司と私。海老と私。サンチョ・パンサと私。ケルベロス・パスワードと私。十二気筒エンジンと私。大きな栗の木の下であなたと私。へちまと私。ジッパーと私。交流百ボルトと私。岡持ちと私。渡世人気質と私。狸寝入りと私。便座と私。投稿人生と私。王手飛車取りと私。ハンカチ落としと私。脚立と私。へもへもと私。もけもけと私。ずびずばあと私。ビリケンさんと私。澱粉糊と私。古典的エーテルと私。液体窒素と私。泥棒ひげと私。魚みたいな顔と私。あばら骨と私。脳天チョップと私。空中セーフと私。三角食べと私。ギャル御輿と私。老人パワー炸裂と私。ボリショイサーカスと私。ツタンカーメンと私。

 ここから「何事にも一家言ある人はいるものだ」ということを学び取るのもよかろう。しかし、「世の中には魚みたいな顔をしている人もいるのだなあ」ということを認識するのも悪くはないだろう。
 とにかく。この雑誌に興味を持たれた方は書店へ急がれたい。


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1998/12/22
文責:keith中村
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