第183回 私の娯楽


 娯楽と名のつくものは世の中にたくさんあるが、最近の私にとっていちばんの娯楽は何といっても「ガラスマイペット」であろう。
 もっとも「ガラスマイペット」は商標であり、「家庭用品品質表示法に基づく表示」に基づいて正確に記述すれば「住宅・家具用合成洗剤」となる、界面活性剤を主成分とするスプレー式洗剤のことを私は言っておるのだが、そんな細かいことはどうでもよい。とにかくそういった一連の商品群があり、その中で私のお気に入りが「ガラスマイペット」であるということだ。ガラスマイペットだけにマイペットである。名は体を表すというやつである。
 私の現在所有しているガラスマイペットはただのガラスマイペットではない。筒状の缶の胴に「強力タイプ」と書いてあるやつだ。どれくらい強力かということが缶の背面に記してある。
「きめ細かい泡で、よくのびて少ない量できれいにみがきあげます。サッとひとふきでムラなく透明に仕上がり、2度ぶきはいりません」
 何とも頼もしいかぎりである。しかも価格は、私の購入したもので三百四十円である。恐らく地域や天候やその年の葡萄のでき不出来によって価格は変動するのだろうが、いずれにせよいつでもどこでもそれほど違わない価格では購入できうるものであろうと思われる。
 販売元は花王である。顔のついた三日月でおなじみの花王である。明治の時代からある老舗である。ちなみに明治のころの花王のマークは今と違いもっと恐い顔であった。西洋の魔女のような顔であったのだ。もっとも魔女はもともと西洋のものであり、東洋の魔女はバレーが強いのだが。しかも当時は右側が欠けた三日月であった。ところが右が欠けている三日月というのは三日月ではなく、そんな言葉はなかろうが二十五日月である。つまり月齢二十五くらいの、あと三日で新月になってしまう月なのである。そんな先細りのマークは会社の先行きに対して縁起が悪いということになったのだろうが何年かあとには三日月に、つまり左が欠けている月に変わった。
 話がそれたので元に戻そう。
 私の娯楽はガラスマイペットなのである。
 たとえば、休日。目覚めると外はさわやかな陽光が満ちている。窓を開けてやや肌寒いがしかし心地よい風を顔に受けたあと私は窓ガラスをみる。
「ふむ。そろそろか」
 私は重度の喫煙者であるため、部屋の各部分には煙草の脂が付着することになる。窓ガラスとて例外ではない。窓ガラスを開いているときと閉じているときとでは明らかに入ってくる光の量が異なっている。つまり窓ガラスの透明度が煙草の脂によって著しく低下しておるのだ。
 そこで私はおもむろに「ガラスマイペット」をとり出すことになる。釈迦釈迦釈迦とガラスマイペットを振ったあと、衆衆衆とその泡を窓ガラスに吹き付ける。ガラスマイペット様の威力はすさまじい。すでにこの時点でその気泡は効果を発揮しはじめるのだ。熟熟熟とちいさな音をたてる気泡の周辺が黄色くなってくる。すでに煙草の脂が溶けはじめているのだ。気泡は煙草の脂を溶かしながら下へ下へと流れてゆく。そろそろティッシュペーパー様に登場いただこう。流れてゆく気泡を下からティッシュペーパー様で拭きあげてゆく。要点は下から上へ、である。下から上へ拭くことで、ティッシュペーパーに吸い込まれた気泡を再び上方へ糊塗せしめ、より効用を発揮せしめることができるのである。
 最上部まで拭きあげたあと、私はティッシュペーパーをひろげてみる。
「ああ」
 たっぷりと脂を抱え込んだティッシュペーパーは黄色を通り越して黒に近い茶色にまで変色している。
 私は窓を見る。今拭き取られたばかりの幅数センチがその隣りの部分と比べて桁違いに透明度をあげている。
「ああ。すごい。こんなに綺麗の」
 快楽のあまり私の口から知らずに言葉が漏れる。
 そして今度はその隣り数センチにたいして同様の処置を繰り返す。
「ああ。また。すごい。こんなに綺麗の」
「ああ。ああ。こんなの、すごすぎる。綺麗の」
 そうしてゆくうちに窓ガラスは生まれたての透明感をとり戻すのであった。
 ガラスマイペット様ありがとうございます。こんなに綺麗になりました。
 ところがガラスマイペットの素晴らしいところはこればかりではない。「ガラスマイペット」という名の癖に、その威力はガラス以外にも応用できるのだ。
 たとえばプラスティック面。ルームクーラーの外枠はやはり汚れが付着しやすいものであるが、ここでもガラスマイペット様はご活躍なさる。
 ルームクーラーの筐体にかけておいて、さっとひと拭き。
「ああ。すごい。とってもすごい。綺麗きれいなの」
 さらにコンピュータの筐体には写真機用のブロアー様と併用すれば尚よろしい。コンピュータの筐体には脂とともに埃が付着しやすくなっている。とくにCD−ROMやフロッピーディスク用のドライブの溝や隙間にはこまかな塵芥が多数集積されておるので、まずここにブロアー様を武王武王とかける。かかるのち、ガラスマイペット様を驟雨驟雨驟雨と吹き掛けるのである。
 汚れが取れるということに対して人はどうにも抗えないほどの快感をおぼえるのであった。
 家具や窓に付着する煙草の脂はもともと煙草の中に含まれている。それが燃焼することで煙として部屋中に拡散されるのである。これは「エントロピー増大の法則」にそったあたりまえの現象である。ところがガラスマイペットを用いればそれらの脂は拭き取ったティッシュペーパーに集約されることになる。これは単に物質の移動ではなく、エントロピーの部分的減少である。
 汚れがとれる快楽は悪魔的快楽である。
 私の口からはついつい出鱈目な歌が発せられるのであった。
「おいらは悪魔あ。マックスウェルの悪魔あ。今日も頑張るぜえ。おいらの仕事はエントロピーを減らすことさあ」
 今のところガラスマイペット以上に私を慰安せしむる娯楽は「フリーセル」くらいのものではなかろうか。しかし、ガラスマイペットの方がものを綺麗にするという副作用まであるので、勝ちかもしれない。
 しかし。それにもかかわらず、床にぶちまけてしまった灰皿にはどうして目をつぶっているのか、私よ。  


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1998/12/04
文責:keith中村
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