第180回 メニュー


 それにしてもやはり世界には陥穽が満ちておりそうそうそういえば先日来私と戦いをくり返しておる件の保険の人のことであるが相変わらず私のいちばん忙しい時間にちょっとお時間よろしいですかよろしいですかよろしいですねよろしいに決まってますなどと押しかけてきたかの保険の人はええと不馴れなものでお名前何でしたっけと問いかけ私が答えた私の姓をファイルを繰って探していたが何故か見つからないらしくおかしいですねアンケート書いていただきましたっけはい書きましたよそうですか書いたんだってばという問答をしたのだが挙句の果ておかしいですね書いてもらったのにないなんてそれじゃあ仕方がないんでもう一度書いてくださいなどと抜かして抜け抜けと再びアンケート用紙を差し出したりするので余りのことに私は開いた口が開きっぱなしになってしまったのだが更に抜け抜けとまた取りにきますので書いておいてくださいねあそうそう忘れるところだった飴ちゃんあげますと私の開きっぱなしの口に飴ちゃんを一粒ねじ込んで去っていったのであるが私はその飴ちゃんをばりばりとかみ砕きながらだだだ誰がお前とこの保険なんかに入ってやるものかわなわなわなと顫えておったのだがかようにも保険の人というのは恐ろしい。
 ところで世界に満ちておるのは何も陥穽にかぎったことではなくメニューだってそうだ。
 世界はおかしなメニューで満ちあふれておるのであった。
 メニューは変だ。
 そもそも menu は仏蘭西語であり、メニューと読むはそれを外来語として取り入れた英語の発音である。では仏蘭西ではあれを何と発音しておるかと言えば、むにゅ、である。
 むにゅ。
 何だそれは。
 むにゅ。
 あたかも、つまらぬことを口走った人間の唇を人差し指と親指でぎゅぎゅぎゅぎゅとつまんで、「そんなことを言うのはこの口かあ。この口なのかあ」とやっているときにつままれた口が歪んでいるときの音のようではないか。
 むにゅ。
 あははは。おかしな音でやんの。
 さて、むにゅ乃至はメニューを日本語にすれば品書きであり、では日本語で品書きと言えばことが穏やかに進むかと問えば案外そうでもない。
 学生時代にテレビ局でアルバイトしていたことがある。アルバイトは常時学生二人が入っておったのだが、我々の仕事のひとつに、夕刻になれば部署の人間全員のために出前を取る、というものがあった。全員の注文を聞いて、さて我々は何を食べようと言っておったとき、もうひとりのアルバイトがメニューを見ながら言った。
「何かいつもと違うものが食べたいから、今日は俺、このいちばん初めに書いてある奴にする」
 どれどれ、と見ると彼が指さす先には「おしながき」とあった。
「おしながきかあ、食べたことがないなあ」どんな料理かなあとわくわくする彼に真相を教えなかった私は意地悪。「いや、だからざる蕎麦四つと、きつね三つ、それにおしながきですってば。お・し・な・が・き」と受話器に向って押し問答する彼を微笑ましく見ていた私はもっと意地悪。何故に体言止め。
 まあ、メニューについて真っ先に槍玉にあがることは、何やらポエジーでポエマラスなレストランにある「陽気な森の樵のサイコロステーキ」などという恥ずかしい恥ずかしいああ恥じゅかちいでしゅ、という奴になるだろうが、これはよく俎上にあがる話でありくだくだしいので割愛させていただく。しかしひとつだけ書き添えるとすれば、中には「やんちゃな羊飼いのマトン・シチュー」などというのがあったりする。待てこら。喰っとるのか、きさま。酪農じゃなかったのか。可愛い仔羊を捌いてどうするんだ。やんちゃにも程があります。これじゃ商売あがったり。
 飲み屋にも案外おかしなメニューは多い。
 先日知りあい数人と飲みに行ったときのこと、メニューのいくつかが赤字で記されている。どこを見てもその赤字に関する記載はないので、これはいったい何だろう何かしらという話になった。
「店長のお薦め、とかそういったあれではないのか」
 一人がそう言った。ふむふむそうかな、そうなのだろうな、ということになっていたとき、新たな仮説が提案された。
「いや。きっとシャア専用なのだ」
 彼が言うには、その赤い奴はきっとシャア専用ほっけ、とかシャア専用もずく、とかそういったあれだろうと。
「量産型と違って、角があるんだ」
 彼の言葉はよくわからぬことになっておる。
 確かめるに越したことはなかろうとウェイトレスを呼びとめた。
「この赤いやつは何ですか」
 ウェイトレスはメニューをちらりと見ると面倒臭そうに言った。
「ああ、それ。シャア専用です。角あります」
 なんて書いても流石に誰も信じまいな。
 これはまた別の飲み屋であるが、メニューを見ていると妙なものが目に入った。
「変なギョウザ」
 これはちょっとたいへんなことになっている。何しろ変なのだそうだ。変なギョウザなのだ。いったいどのように変なギョウザなのだ。教えて。ねえねえ教えてってば。
 私はついつい興味をひかれて頼んでしまいました変なギョウザ。
 しばらくしてウェイトレスが皿を運んできた。「はい。変なギョウザです」
 我々はそれを見た途端、叫ばずにはいられなかった。
「うわあ。変なギョウザだ」
 それはもうとことん変なギョウザだったのだ。街ですれ違っても恐らく気づかないだろうな、というほど変なギョウザだったのだ。そりゃ、もう。
 でも、どんな風に変なのかはここには書いてあげない。ああ、それにしても変なギョウザだった。
 そういえば先日こんなこともあった。
 お昼に腹が減ったのでぶらりと食堂に入った。
 さて何を喰おうかなあ、とメニューを見た。

親子丼 650円
玉子丼 550円
天丼 950円

 いろいろな丼ものが並ぶ中に、

他人丼 ありません

 そういうのが眼についた。それも、材料がなくなったから臨時に手書きした、というのではなく印刷した活字である。
 よく見ると、裏側にも

山菜蕎麦 ありません

 と書かれていた。
 これはどういうあれだろう。訝しんだ私はお茶を運んできた店の人に訊いた。
「あの。この他人丼というのは」
 そこまで言ったときに、店の人はぴしゃりと言った。
「ありません」
 私は思わずたじたじとなってしまい。「いや、あの」と口ごもった。
 店の人は畳み掛けるように、
「やってないんです」
 更に追い撃ちをかけるように、
「ついでに言うと、山菜蕎麦もありませんからそのつもりで」
 ううむ。どのつもりだ。ちょっと怖かった。
 それにしても。私は言いたい。
 なきゃ、初めっから載せるなよ。


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1998/11/20
文責:keith中村
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