第18回 自主映画


 学生時代は八ミリ・フィルム(八ミリ・ビデオに非ず)で自主製作映画を撮っていた。学生の自主製作映画というものを御覧になったことがある人がどれくらいいるだろうか。なかなか奇妙奇天烈なものである。
 そもそも自主製作映画には非常にたくさんのものが欠如している。
 まずは金の欠如である。まあ、これを言い出したらすべてはそこに、帰着してしまうことになるのであるけれど。
 ほとんどの場合自主映画に必要な経費は、フィルムの購入費と現像費のみである。衣装や小道具大道具などは余程のこと(不思議な世界からやってきた妖精やら魔女やらという設定を捏造し女の子にきわどい衣装を着せてみたい、とか、兵隊が十人も二十人も出てくるため軍服やらモデルガンやらが相当数必要である、あるいは、空飛ぶ円盤の中に入るシーンが絶対に必要だから実物大で作る、など)がない限り必要ではないのだが、その最低限のフィルム代すらままならぬ状況ということが多かった。私が撮っていたころはフィルム一本(正味二百秒)が現像代込みで二千円弱であったが、NGやらリテイクやらを考えるとだいたい一本のフィルムから一分くらいしか取れない。二十分の映画であるならフィルムだけで二十本分必要となるのである。監督はやりたい者がやればいい仕組みであったのだが、その際、金は基本的にすべて監督持ち、しかも撮影中の食事代も監督が持つという不文律があった。だから映画を一本撮ろうとすると、金銭的にかなりの負担を強いられた。
 人材も欠如していた。いや、正確には学生以外の人材が、である。学生の映画というものは基本的に二十歳前後の人間しか出てこないという冷静になってよく見るとかなり不自然なものなのである。また、この不自然さを解消すべく、四十歳くらいの人間やら、逆に子供やらを登場させた脚本をうっかり書いてしまうと、今度はやけに老けた格好をした不思議な学生や子供の格好をした気持悪い学生が登場する、さらに不自然な映画になってしまうのである。
 しかし、学生の映画においてもっとも欠如しているのは整合性であろう。
 私がまだ大学一年生のころ、ある先輩が、完成すれば一時間は越そうかという、八ミリとしてはたいへんな長大作を撮っていた。大学を舞台にしたかなりシリアスなドラマであったのだが、ヒロインの女性が撮影半ばにしてアメリカに留学してしまった。実は渡米すること自体はかなり以前から決定していたのだが、撮影が延びてその期日に間に合わなくなってしまったのだ。監督は悩んだ。もう半分くらいは撮ってしまっている。今更お蔵入りにさせるのも口惜しい。彼は英断した。急遽新しいヒロインを抜擢したのである。だが、すでに撮影済みの分を取り直す金もなければ気力もない。幸いなことにほぼ脚本の進行にそって撮影していた(これを順撮りという)ので、前半は完全に撮影済みである。彼は何事もなかったように新しいヒロインを使って後半を撮影し、編集、録音を済ませ映画を完成させた。誰が見ても途中で主役級の登場人物が変わってしまう妙ちきりんな映画の完成である。だが、なんと素晴らしいことか、監督はたった二行の科白を、前半と後半の境に追加することだけで、これを解決してしまったのである。

主人公「あれ。なんか顔つき変わったねえ」
ヒロイン「気のせいよ」

 私はこれを見て、監督を天才だと思った。こんな完璧な解決方法、フェリーニや小津だって考えつかないだろう。いや、大岡越前や一休和尚がメガホンをとっていてもこんなアイデアは思いつかなかったはずだ。
 こんなこともあった。ひとりの監督が、新興宗教に絡めとられてゆく女学生を主人公に、フレッド・ジンネマンやシドニー・ルメットにも匹敵しようかという社会派ドラマを書いた。彼はアイデアを練って着々と撮影の計画を立てた。そしてクランクイン。初日は大学のキャンパスで、もう宗教的に洗脳されてしまったヒロインが学生を呼び止めて「あなたの幸せを祈らせてください」と手をかざすシーンである。撮影は順調に進行した。しかし、この監督の問題点は、もう本当にちっとも金がなかったということだ。初日が終った時点で撮影のための予算はすっかりなくなっていた。それどころか、しばらくは小麦粉に砂糖を混ぜて蒸したものを食べて餓えを凌ぐという、ほんとうにここは現代日本かというような困窮状態になってしまったのだ。再び予算のめどがつくまで撮影は中断ということになった。ところがこの監督にはもうひとつ、「飽きやすい」という難点もあった。そうこうしているうちに、彼はその作品を完成させる情熱を完全に失ってしまったのだ。
 あとに残るは初日に撮ったラッシュ一本。半年程も経ったある日、彼はそのラッシュを映写機にかけてみた。映画部内では演技派、名女優といわれた女性が迫真の演技で新興宗教に洗脳されたヒロインを演じている。スクリーンには、道行く学生に強引に手をかざすヒロイン。たまたまカメラ・アングルの関係で、彼の眼にはそれが「手をかざしている」のではなく「指で眼を突いている」ように見えた。読者にここまで黙っていたことをお詫びしよう、実は彼の最大の問題点は「不真面目」であったことなのだ。彼はスプライサー(フィルムを切り張りして編集する道具)を取り出すと、やにわにそのラッシュを編集し始めた。
 そして、公開されたわずか一分の映画の題名は、
「目突き女の恐怖」
 念のため断っておくが、この監督は私ではないからな。


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1997/11/11
文責:keith中村
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