当りつきの自動販売機というのがある。
硬貨を入れてボタンを押せば飲み物が出るのと同時に、スロットマシーンのようにランプがるろろろろと光りはじめ、当たりになればもう一本無料で貰えるという仕組みになっているやつだ。
私の住んでいるマンションの近くにもこの手の自動販売機があるのだが、今日その機械で飲み物を買おうとした。
硬貨を入れてボタンを押すと、るろろろろろとランプが光った。がたん、と落ちてきた飲み物を手にとってからボタンを見るとまだ光っている。つまり押せる状態になっているのだ。
当った。
私はたいへんくじ運の悪い人間なので、こういうものに当ることは滅多にない。こりゃ、儲けものだとボタンを押した。
るろろろろろ。
また鳴りはじめた。がたん。飲み物が出てくる。
とり出し口から缶を拾い出して顔をあげると、何ということだ。またボタンが押せる状態になっているではないか。
また当ったのだ。
おお。神様。ありがとうございます。生きててよかった。
これは物凄い確率のことではあるまいか。何本に一回あたるような設定になっているかは知らぬが、二回連続で当るなんてことはそうそうありえる話ではない。もしかしたら俺にもようやく運が巡ってきたか。
にこにこ笑い顔で飲み物を選んでボタンを押した。
るろろろろろ。ランプが光りはじめる。
しばらくして音が止むと、またボタンが押せる状態になっているではないか。
これはおかしい。
三回も連続で当るわけがない。故障ではなかろうか。
故障だとするとどういうことになるのか。故障に乗じて缶飲料を何本も無料で手に入れるというのはどういうことになるのだろう。やはり犯罪とかそういったあれになるのだろうか。しかし、故障している方が悪いのではないか。
逆の場合だってありえるではないか。つまりお金を入れたはいいが、品物が出てこないという場合である。むろんその際、お金を入れた人は被害者である。だが、機械の故障という点では両者は一致しているではないか。
だから、私は罪にはならないはずだ。たとえ何本持ち去ろうとも決してそれは犯罪ではない。断じてないのであります。だから、私はこれから持てるだけの缶をもって帰るのであります。
周囲をきょろきょろうかがい人目を気にしながら素早くそれだけのことを考え、再びボタンを押そうとすると、
「140円」
というデジタル表示が見えた。
はて。これはなんだ。
そこでようやく五百円硬貨を入れていたことに気がついた。
何のことはない。当たりなどではなかったのだ。私は自分の身銭で三本買っていただけなのだった。500−120×3=140なのであった。
この性格、たぶん、もうちょっと何とかしないとまずいのではないかと最近よく思う。
しかしそんなことはどうでもいいのだ。
私が言いたいのは道理についてである。
道理をわきまえない人は困る。何が困るといって、道理をわきまえない人はちっとも道理をわきまえていないのだ。
たとえば、冗談を言っていたとする。とっておきの冗談だ。もう、この冗談を聞けば笑わずにはいられない、という超大型冗談である。
たとえば、こんなものだ。
「ふとんがふっとんだ」
わははははは。いかん。書いててつい笑ってしまった。どうです。おもしろいでしょう。何しろ、ふとんがふっとぶんだから。そうかあ。ふっとぶのかあ。
ああ。面白いなあ。何でこんなにおもしろいのかなあ。何というか、この視覚的に訴えてくるというのかなあ。ぼむ、とかそういうんだよなあ。いいなあ。最高だなあ、ふとん。ふっとぶんだもんなあ。わははは。
ところが、である。ここから先がいかんのである。
その場に道理をわきまえない人がいたとしようではないか。
彼は、私のこのふとんに場の笑いを持っていかれたことにやや不満気な表情を浮べているのである。
しばし俯向いて何事か考えたのち「あっ。あっ。俺も考えた。こういうのどう」てなことで、こんなことを言いはじめるのである。
「毛布もふっとんだ」
毛布とはいかがなものか。
いけません。駄目。
だいたい毛布なんてふっとんでもちっとも面白くないではないか。視覚的な刺戟に欠けるのだ。そもそも毛布は軽いのだ。だから、ふっとんだとしても、ふとんほどの躍動感はないのだ。いかんなあ、毛布。駄目よねえ、毛布。
それなら、いっそのこと、この方がよろしい。
「枕もふっとんだ」
わはははははは。ああ。笑ってしまった。面白いよなあ。なんたって、枕だもんなあ。だのにふっとんでしまうんだものなあ。いいなあ、枕。最高だなあ、枕。そばがら、とかそういうあれなんだよなあ。そばがら、なのにふっとぶんだもんなあ。わははは。ああ、お腹が痛いや。
こういう冗談もある。とっておきだが、お教えしよう。
「電話にでんわ」
わははははは。ああ、駄目だめ。お願いおねがい。やめて。苦しい。ああ、腹がよじれる。
お判りだろうか。電話、なのである。電話があるのだ。で、電話が鳴るのだ。鳴っているのに、出ないのだ。わはははは。すご過ぎる。何故出ないんだ。出てやれよ。わはははは。
だが。しかし。道理をわきまえない人は、「応用篇」などと称して次のようなことを言うのだ。
「ファックスにでんわ」
みなさま。どう思われましょうぞ。ファックスなのだそうです。つう、などと静かな音をたてて紙を吐き出す、あのファックスですぞ。それに出ないのだそうです。
おかしいんじゃないかな。けちけちすんなよ。出てやれよ。出なくってもちっとも偉くないぞ。痩せ我慢はよせ。出ても減るもんじゃないだろ。ファックスにでんわ、だと。そんな奴はいないぞ。
どうせ言うなら、このようにすべきだろう。
「携帯にでんわ」
わははは。わはは。わははは。駄目だめ駄目。お願い。おねがいおねがい。やめて。もうやめて。苦しい。お腹痛い。わははは。苦しい。息が。息が。
はあ。
はあ。
ああ。やっとおさまった。
どうですか。面白かったねえ。びっくりしたねえ。死ぬかと思ったねえ。
何しろ携帯電話なのだ。携帯電話だから、持ち運んでいるのだ。携帯しているのだ。
でも、でないのだ。わはは。何故だ。教えて。おもしろ過ぎる。やめて。お腹痛い。痛い。笑い過ぎて。苦しい。
携帯してるのに、でないんだから、もう、しようがないねえ。
ともかく、かようにも、道理をわきまえない人は面白いことと面白くないことの違いが解らないのだ。
「隣りの家に垣根ができたってねえ」
「へえ」
わはははは。いいなあ。へえ、だもんなあ。感心してるんだもんなあ。
でも、この方がもっとずっとよろしい。
「隣りの家に垣根ができたってねえ」
「さっそく見に行こう」
わはー。わはー。お腹痛い。痛い。わは。痛い。わは。苦しい。わは。くるしい。
はあはあ。
いいよなあ。垣根ができたくらいで、見に行くんだなあ。野次馬だよなあ。行動の人だよなあ。
しかし。ここでも道理をわきまえない人は盛り上がっている気分を損ねるのである。
「隣りの家に垣根ができたってねえ」
「何色のやつ」
ああ。全然駄目。まるで駄目。色聞いてどうするんだよ、まったく。それが君の人生に深くかかわることなのか。何色でもいいじゃないか。色で垣根の値打ちは決まらないんだから。
こういうのはどうだろう。
「隣りの家に垣根ができたってねえ」
「何っ。じゃ、うちも作らねばっ」
わひー。わひー。面白いよお。ほひー。ほひー。助けて。たちけて。苦しい。息が。息が。
何で競争になってるかなあ。馬鹿だよねえ。あっはっはっ。愉快愉快。作らなくてもいいってば。
そんなわけで、私は道理をわきまえる人でありたいのであった。