第175回 中途半端


 私は漫画週刊誌というものをほとんど読まないし、テレビの連続ドラマもまったく見ない。
 などと書くと私のことを真面目な堅物であると思われる方もいらっしゃろう。いや、いないか。まあ、よろしい。とにかく私はそういったものに触れない。これは、物事を継続してやるという能力に欠けていることが原因である。
 週刊誌の連載漫画をきちんと楽しむためには毎週欠かさず雑誌を購入するという不断の努力が必要であるし、連続ドラマを楽しむには毎週同じ時間にテレビの前に座るという行為が必須になる。テレビドラマならビデオに録画しておいてあとから見ればいいじゃないか、という人もいようが、そんな面倒なことはもっと無理である。
 私にはある行為を継続させる能力が著しく欠如しているのだろう。
 そんなわけで、たとえば喫茶店に行ったとしよう。雑誌や週刊誌を置いてある喫茶店も多いのだが、私がそこで漫画週刊誌を読むことはまずない。週刊誌の漫画というのはほとんどが連載ものである。そんなものを途中から読んでもちっとも面白くない。それどころか、最終回でない限りそれらは途中で終わっているのだ。
 だから私は喫茶店では、もし置いてあればの話だが、新聞を読むことにしている。
 新聞ならば、ひとつひとつの記事は独立して読める。
 もっとも新聞の記事になるようなものは、漫画やドラマどころではなくいろいろな事象と密接に係わっているだろうし、余程連続性は高い。しかし、私は馬鹿であるから幸いそういった連続性を感じることなく新聞を読むことができるのだ。
 ところが新聞にも思わぬ伏兵がいる。連載小説というやつだ。
 いったいあの新聞の連載小説を毎日かかさず読んでいる人間は存在するのだろうか。僅か数百字程度のあんなものを読み続けることができる人間はいるのだろうか。いささか疑問である。
 たとえばあなたが喫茶店で新聞を読んでいたとしよう。誰かと待ち合わせをしているところだ。相手はなかなか現れない。待っている間、あなたはすでに新聞を隅から隅まで読んでしまっている。「ぢ」などと書かれた広告まで読んでしまっているのだ。
 だが、相手は現れない。
 しかたなくあなたはまた新聞に目を遣る。と、連載小説がある。

「渡りに舟」 第三十五回 作:中村紀伊之介

 あまり聞かない作家である。そんな中途半端なものを読んでもしようがないのだが、あなたは少しでも時間をつぶすためにそれを読みはじめる。

 顫える手で受話器を置いた幸子は深く溜め息をついた。

 小説はそんな書き出しで始まっている。過去三十四回分を読んでいないあなたには幸子というのが誰かなどもちろん判らない。主人公かな、ヒロインかな、とあなたは思う。

 これで三度目である。「もう電話しないで」と幸子は心の中で彼に言った。

 恋愛小説だろうか。電話は幸子の恋人からなのだろう。別れる覚悟をした幸子の心はしかし、恋人からの電話に揺れているのだろう。

「そうよ」
 彼女は声に出してみた。「あの人からのわけがないわ。だってあの人はもう死んでしまったのよ」
 あたかも自分に言い聞かせるような口調であった。

 あっ。恋愛小説ではなかったか。推理小説だったのか。なるほど。誰かが死んだ人間になりすまして幸子を脅かしているのだな。ううむ。それは悪い奴だ。

 幸子は壁の時計を見あげた。「いけない。もうこんな時間。与平に餌をやらなくちゃ」
 彼女はそう言うと立ちあがった。
「与平。与平。ごめんね。ほら、餌をあげるから」
 幸子を見た与平は嬉しそうに尻尾を振る。彼女が差し出した餌に顔を突っ込んでがつがつと食べはじめた。
「うふふ。与平。よほどお腹が減ってたのね。たくさん食べてね」

 犬を飼っているんだな。大型犬かな。それとも小さな愛玩犬かな。

「与平。おいしいでしょ」
 幸子の声に答えるように与平が鳴く。
「ぐげろ。ぐげろ。ききい。ききい。ぐげろ」
 与平の口からは濃緑色の唾液がだぼだぼとこぼれおちる。

 い、犬じゃない。待て。待て待て。それは何だ。いったい何を飼っているんだ、幸子。説明してくれ。

 その時、けたたましい電話のベルの音が。幸子ははっと身構えた。
「まさか」
 彼女はおそるおそる受話器を取った。「もしもし」
 電話の向こうから、無気味な男の声がする。「ああ……。幸子かい。……俺だよ。わかるだろ……。ああ。ここは寒い」
「違うっ」
 幸子は叫んだ。「あなたの筈がない。だってあなたはもうこの世にいない……」
 電話の向こうでくぐもったような笑い声がおこった。「冷たいことをいうんだな……幸子。俺だよ。ほんとうに俺なんだよ。さあ……証拠を見せてあげよう」
 声が言うと同時に部屋の灯りがはげしく明滅しはじめた。床が地響きを立てて揺れる。花瓶、本、テーブル。それらがいきなり宙に浮いたかと思うと、部屋の中を漂いはじめた。

 何だか凄いことになっている。怪奇小説だったのか。いやいや。やはり推理ものとかサスペンスかもしれないぞ。トリックがあるのだ、きっと。

「いやっ」幸子は頭を抱えて叫ぶ。と同時に幸子の手が発光しはじめた。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」
 彼女の口から経文が発せられる。
「照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子 」
 と、発光していた彼女の手にいつの間にか三鈷が握りしめられている。
「依般若波羅蜜多得阿耨多羅三藐 」

 ちょっとよく判らない話になってきている。いったいこれまでの三十四回はどういう話の運びであったのか。誰か説明してほしい。これは何だ。どういう話なのだ。すぐ上の読者欄では「十九歳(家事手伝い)」が「消費税にもの申す」と発言し、「四十九歳(公務員)」が「みなさん。わたしは道端に生えているオオイヌノフグリなの」と自然保護を訴えている。そんな極めて日常的な空間にこれはいったい何がどうしたというのだろう。

同日同時刻――。
隠密水難監視員テディが振り分け荷物で道を急いでいた。彼は呟く。
「ああん。鼻毛が延びちゃうよお」

 隠密とはどういうことか。しかも水難監視員だと。どうしてテディなのだ。鼻毛がどうしたというのだ。
 もはやあなたは完全に取り残されている。第一回から読んでいたらここで、ああテディがでてきたこれで大丈夫なんだな何しろテディの鼻毛はすごいんだから幸子頑張れ、などと思っていられたのかもしれない。
 だが、この回のみを読んでしまったあなたには何の救済もないのであった。
 すがるように次の行に目を走らせるあなた。
 しかしそこにあるはただ一言。

 (続く)

 新聞連載小説。中途半端に読むと後悔することになる。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/11/03
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com