第172回 日本風俗早わかり


 このページに文章を書くのは久し振りなので、私のことを忘れてしまつた人も多いんぢやないかしらと思ふけれど、九谷オーです。
 世間では世紀末だの何だのとうるさいかぎりですが、さて、それぢや世紀末に際して今世紀最大の小説家をひとり挙げろと言はれたらあなたならどうしますか。ボルヘスを挙げる人もゐるでせう。ヘミングウェイを挙げたつてかまはない。しかし私ならやつぱりジョイスを挙げるでせうね。
 ジョイスの魅力はこれまでにもさんざん書いたけれど、その醍醐味は何と言つても風俗描写でせうね。ユリシーズといふのは長い長い小説なので最近ではそれだけで敬遠する人も少なくないでせうが、ぜひちよつと我慢して読んでほしい。文学を読むなんていふ気取りは必要ありません。何しろ私はあれを、稀有な才能がしたためた当時の英国風俗の精密な記録だと言つてもいいと思つてゐる。鋭い風俗描写のお陰で名高い文学になつた。そんな気がするんです。
 そもそもすぐれた文学と風俗は昔から切つても切れないものでした。源氏物語は、構造が多層的に入り組んでゐるから、とてもひとことで表すことができない作品だけど、そのなかに風俗小説としての一面があるのは事実でせう。永井荷風の小説だつて、当時の東京についてのあの緻密な描写をとつぱらつてしまつたら、いささか精彩にかけたものになつてしまふに違いない。
 ところで我々がついつい誤解してしまふことがある。文学があるから風俗があるわけぢやないんですね。まず風俗があつてこそ、文学がある。今回は現在の我が国の風俗について書けといふ依頼なので、歴史的背景をからめて書いてみたいと思ひます。
 さて、昔から色町といふものは全国各地にあつたけれど、そこでやつてゐる商売は決まつてゐた。ほら、人類最古の商売といふあれですね。つまり男性がお金を払つて女性にあることをしてもらふ。いや、あれは、してもらふんぢやなくつてするもんだと言ふ人もいるでせうが、ともかくどこへ行つても業種(?)はひとつでした。
 ところが最近はちよつと趣が変わつてきた。
 昔と違つて、そのものずばりをしない種類のものが出てきたんですね。
 たとえば「ツーショットダイヤル」と言ふのがある。何をするのかといへば、男女が電話で話すんです。といつてもラテンアメリカ文学について議論したり、日本料理では何が好きかなんてことを話しあつたりするわけではない。ほら、アメリカの大統領もやつてゐたといふあの行為をしちやつたりするんですね。
 さうさう。大統領といへば、私もあの報告書は読みました。いやあ、びつくりしたね。谷崎潤一郎でもかなはない。それどころか、川上宗薫だつてかなはないんぢやないかしら。ところで読んでゐておもしろかつたのが、大統領と例の女性は何度か贈りものをしあつたらしいのだけど、その中に蛙に関係するものが多かつたこと。蛙の置物だの蛙をあしらつたペイパー・ナイフだのがあるんですね。大統領は蛙が好きなんださうです。さういへば日本でも無闇と鯰が好きな人がゐました。
 話がそれたけれど、ともかく電話であの行為をするといふのが私には理解できない。やつぱりあれは実地経験(?)すべきものではないかと思ひますね。
 かと思へば、「ファッション・ヘルス」なんてものもある。直訳すれば「はやりの健康」でせうが、これほど理解に苦しむ命名はありません。だつて、そこでなされる行為といふのは、女性に男性自身を舐めてもらふといふものなんですが、やつぱり舐めてもらふだけでは満足できないんぢやないでせうか。名前に反して健全ぢやないね。
 だいたい性行為といふのはきちんとした媾合をともなつてゐないといけません。考えてみれば日本の国は古来より健全に媾合する国だつた。ほら、「古事記」にだつてちやんとある。
「この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さんとおもふ」
 それにしても大胆な口説き文句だね。「私のペニスをあなたのヴァギナに挿しこんで、子供を作ろう」なんて。こんなことを言ふ伊邪那岐命もすごいけど、「ええ、いいわ」なんて答へる伊邪那美命も大したものです。
 ともかくそんな風に日本の国は開闢以来きちんと媾合をおこなつてきた。あちらの聖書なんか読むとひどいものです。腟外射精だの同性愛だの不健康です。古事記のほうがずつと健全だね。
 また話がそれたけれど、そんな日本の伝統に照らし合はせてもファッション・ヘルスは不健全だといはざるをえない。
「イメージ・クラブ」なんてのもあるけど、これも同罪です。これはファッション・ヘルスに毛が生えたやうなもの。そりや毛は生えてるだらうなんて下品な冗談言つちやいけません。ここでは女性がいろいろな服を着てくれるんですね。客の要求に応じてセーラー服だの看護婦の制服だのOL風のスーツだの綾波レイの衣裳だのを着る。客はそれを脱がせて喜ぶんです。確かに服を脱がせるのは私も大好きだけれど、その後がいけない。最後はやつぱり口に出しちやうんだから。
 そもそもかういふ業種にいちばん納得できないことは、女性が能動的に動くといふ点でせうね。私としちやあ、性行為は男性が主体的にするもんだと思つてゐる。責められるより責める方がいいんですね。しかしかういふ店は決つて女性主体のやうです。もちろん、客にサービスをするのは店のつとめだらうけれど、いまひとつ納得できない。
 思ふにこれは御霊信仰のひとつの要素である女人救済ではないでせうか。私が御霊信仰のことを話しはじめるとまたかと思ふ人もゐるだらうけれど、我慢して読んでください。
 かつて私は「仮名手本忠臣藏」について書いたけれど、歌舞伎に御霊信仰や鎮魂、供養の役割があるのは言ふまでもないことでせう。浄瑠璃にしてもさうです。心中物はもちろん現世で結ばれることがなかつた恋人たちへの鎮魂ですが、普通は「お軽勘平」「お初徳兵衛」「ミーとケイ」のやうに女性の方を先に呼ぶ。これは当時、より不幸な境遇にあつた女性に対する慰霊の意義が強いからだと思ふのです。
 そこで話は現在の風俗に戻りますが、昨今の女性上位はかつての不遇だつた赤線の女性達や慰安婦への御霊信仰ではないでせうか。女性が先導する状況をつくることで不遇だつた霊を慰めるといふ祝祭儀礼なのではないでせうか。さういへば、ほら性行為のことを「おまつり」なんていふぢやありませんか。
 さて、現代の風俗についてざつと述べてきました。他にも「ソープランド」「ピンサロ」「キャバクラ」「SMクラブ」「おむつプレイ」をはじめさまざまなものがありますが、そろそろ紙面が盡きたのでそれらについてはまた機会があれば書くことにします。
 さて今回は、現代の風俗について書けといふ依頼だつたんだけれど、私は堅物でさういつた店に出入りしたことがないもんで資料だけを頼りに書いたから、頓珍漢な内容になつてしまつたかもしれないね。この手をもつと具体的に知りたければ私の友人に適任者がゐる。
 野坂昭如といふ人です。 


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1998/10/25
文責:keith中村
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