所有するとか支配するとかいうのは実は曖昧な概念である。たとえば犬を飼っている人は犬の所有者乃至は支配者ということになろうが、では飼われている犬に所有されている支配されているという意識があるかどうかはかなり疑わしい。犬のほうでは案外人間を、食餌や住居の世話をしてくれる召使いだと思っているのかもしれないのだ。所有や支配というのはつまり意識の問題、現象の捉え方の問題であって、それ以上のものではない。
そんなわけで、人は確かに所有している証拠を欲することになる。人が所有していることを示すためにしばしば用いるの、物に自分の名をつけるという行為である。
今例示した犬について言えば、犬に固有の名前をつけ、更にそれに自分の名字を冠させたりする。
山田ジョン。
田中パティ。
佐藤マクシミリアン。
中原ジュリアン。
伊藤マンショ。
沢田ジュリー。
中村キース。
このように、ちょっとどうかというような名前が量産されることになってしまうのだ。
もちろん、人間が所有するのは犬だけではない。人はあらゆる物を所有するのである。ただしたいていの人間は所有物にいちいち名前をつけることはない。中には自分の所有する自転車に「スーパーデラックス新屋ハリケーン号GX400」などと命名する者もいようが、それは普通、子供のやることである。
そういえば、世間の親というのは子供の持ち物にいちいち名前を書く。子供はまだ自分でうまく字が書けないから、ということもあろうが、それ以上にあれは所有の概念がまだ未発達な子供にその概念を植え付けるためであろう。
鉛筆のいっぽん一本から下着にいたるまで親は名前を書くのであった。いったい下着に名前を書くことにどんな意味があるのだろうか。鉛筆ならまだ判る。ついつい他人の鉛筆とごっちゃになってしまうことだってあるのだから。だが、下着はどうだ。そもそも子供は他人と下着をごっちゃにすることなどほとんどない。下着を脱ぐことがないのだから。むしろ大人になってからのほうが、嬉しそうに下着を脱いだり嬉しそうに下着を脱がしたり嬉しそうに下着を脱がしてもらったりすることが多く、他人の下着とごっちゃになってしまう可能性は高いのだ。
私は主張したい。大人こそ、下着に名を書け。
まあ、そんなことはどうでもよい。
学生のころ、こんな知人がいた。仮に名を吉田としておこう。
あるとき大学のロビーで話していると、椅子に腰掛けて脚を組んでいる彼の靴底に何やら白いものが見えた。
「あれ。靴に何かついてるよ」
私の言葉に靴底を見た吉田の顔がひきつった。
「あ。いや。これは何でもないんだ」
そういうと彼は組んでいた脚をほどいた。
ただならぬ様子に私はいささか興味を引かれた。
「何なんだよ。どうしたんだ」
「だから何でもないってば」
こんな押し問答の末、とうとう彼は観念して靴底を私に見せた。土踏まずの窪んだところに小さな紙が貼ってありそこに「ヨシダ」と毛筆で書かれていた。
「……何だ、これは」
「親父だ」
「どういうことだ」
そして彼は父親の話をはじめた。
どういうわけか彼の父親は、何にでも名前を書く癖があるのだそうだ。
たとえば、新しく鞄を買ってきたとする。父親はすかさず油性のペンをとり出して、「ヨシダ」と書くというのだ。
カメラの提げ紐、電卓の裏、水筒の胴と蓋、父親は何にでも名前を書く。もちろん、書籍にはすべて蔵書印が押してある。
「子供の頃はさあ、誰だって持ち物に名前を書いてもらうだろ。だから、特別に変だとは思わなかったんだ。中学生ぐらいからかな、うちの親父が異常だって気づいたのは」
「異常って、そりゃ言い過ぎじゃないか。確かにやや常軌を逸しているようには思うけれど」
「甘い。甘すぎる。もっと凄いんだぜ」
彼はそう怒鳴った。
実際驚いたことに彼の父親は至る所に名前を書くのだそうだ。
傘の柄。スリッパの裏。バケツの裏及び側面。如雨露の裏及び側面。開けさしのスナック菓子の袋。テレビのリモコン、櫛、目覚まし時計の表以外五面すべて、算盤の両脇二面、ホース。
「ホースって……」
「そうだ。水を撒く、あのホースだ」
「ううむ」
「貰い物の缶入りの煎餅なんかあるだろ。開ける前にまず名前を書くんだ。それも缶の六面全部にだぜ」
「ううむ」
「俺が新しく服を買ってくるだろ。ある日気がつけば、懐んところに、筆ペンで書いた『ヨシダ』が縫い付けてあるんだ」
「縫い付けて……」
「そう。母親も共犯なんだ」
「ううむ」
「前にさ、ビデオデッキ買ってきて、取り付けようと思ってテレビの裏に回ったらさ」
「うん」
「そこにも書いてあったんだ。昭和六〇年五月吉日購入。吉田」
「ううむ」
「もちろん、その翌日にはビデオにも書かれてた」
「ううむ」
「床の間にさ、熊の彫り物ってあるじゃん」
「うん。まあ、定番のアイテムだな」
「あの熊の足にも書いてんだよ。昭和四十九年八月吉日。北海道家族旅行にて。吉田」
「ううむ」
「どういうことだよ。よりによって熊の足だぜ。ああ。熊の足なのに」
「ううむ」
私は絶句するしかなかった。何にでも名前を書く父親の前に我々はあまりにも無力である。
しばらく沈黙が続いた。
それから私がぽつりと言った。「案外さ、お前の背中に誕生日と名前が入れ墨してあったりしてな」
彼はさあっと顔を蒼ざめさせた。「よ、よせ。冗談でもそんなことは言うな。いいな。今度言ったらぶっとばすからな。……おれ、それが恐くて鏡に背中映したことないんだから」
それから半月ほど経って、彼の車に乗る機会があった。
私は訊いてみた。「こないだ言ってたあの話だけどさ。この車は大丈夫なのか」
「うん。大丈夫。……多分な」
「意外とこんなとこにこっそり書いてあったりしてな」
私はそういって助手席のマットをめくった。
マット下の床には「平成元年十二月吉日購入。吉田」とあった。