第163回 渡りに飛行機


 私はあまり旅行をしない。ことに海外旅行は、社員旅行など半ば強制的なものでもなければしない。
 私が海外旅行しな理由は主に三つある。
 ひとつは金銭的に余裕がないこと。ふたつ目は飛行機が恐いこと。みっつ目は帰りの飛行機が恐いことである。
 飛行機というのは落ちるものである。もちろん、自動車は衝突するものであるし、列車は脱線するものであるし、船舶は沈没するものであるし、地下鉄はどうやって入れたのかわからないものである。このように見れば絶対安全な乗り物というものは存在しないのであるが、それにしても飛行機は恐い。普段から足が地についていない私であるが、飛行機に乗るとさらに輪をかけて足が地につかなくなる。これが恐い。
 飛行機が飛んでいるように見えるのは共同幻想である、という説がある。これはあながち間違ってはいないものであろう。というのも飛行機は落ちるときには立て続けに落ちる。なぜだろう。
 スポーツ競技の世界記録というのは、なかなか更新されないものであるが、不思議なことにあるとき誰かがそれを打ち破ると、それからしばらくは立て続けに記録更新が続くものらしい。というのも、まず「世界記録は破れないものである」という共通認識がある。皆がその認識を持っているうちはほんとうに破れない。ところが誰かが記録を更新すると、「あ。何だ。いけるのか」という集合無意識的な認識が高まり、記録更新が続くのだという。
 飛行機の墜落もこれと同じではないか。つまり皆が「飛ぶものだ」という認識を持っているうちは大丈夫なのだ。しかし、ひょんなことで墜落してしまうと、「あ。何だ。落ちるものだったんだ」という集合無意識が発生し、それが更なる墜落を招くことになるのではなかろうか。
 それはさておき、人間というのはすごいものである。鳥のように大空を舞いたいというおそらくは太古の人類も持っていた欲求を叶えてしまったのだから。
 ところで、最近知った話なのだが、とんでもない人がいたのである。
 ビル・リッシュマンという人なのだが、この人、飛行機で渡り鳥を引率して渡らせたらしい。
 私は知らなかったのだが、映画にもなっているらしく、ご存じの方もいらっしゃるかと思う。
 ちょっと興味を持ってあれこれ調べてみたのだが、かなりすごいことになっていた。
 そもそも、飛行機で先導するというのはかなり無茶ではないか、と思うのだが写真で見ると軽飛行機というのか、ずいぶん小さな飛行機である。外観は鳥に似せて作ってあるというのだが、何やら無気味なオブジェと言おうか巨大な風見鶏と言おうか、本当にそんなものに渡り鳥がついてくるのか、にわかには信じ難い。
 ところが調べるうちにわかったのだが、実際に飛行機で引率するまでに涙ぐましい努力があったのだ。
 まず、どうして飛行機で先導する必要があるのか、という問題だが、ちゃんと理由がある。渡り鳥の渡りは親鳥が子に教えるものらしいのだが、それゆえ親鳥を亡くしてしまった子たちは渡ることができない。渡れない渡り鳥は自分に不適な環境で過さねばならなくなる。もしその鳥が絶滅に瀕している種であれば、これは問題である。種の保護のためには、ちゃんと渡れる渡り鳥を育成する必要がある、というのだ。要するにこれは自然保護活動で、「渡り鳥運動」というプロジェクトらしい。
 プロジェクトはまず卵を孵化させることから始まる。
 ところが、ご存じのように鳥類には「刷り込み(インプリンティング)」という現象がある。初めて見た動くものを親だと思ってしまう、というあの性質である。人間が孵化させた雛鳥が最初に見るのは当然人間である。ところが、人間は飛べない。だが雛鳥たちはやがて渡らせなければならない。自分たちが鳥である、と認識させなければならぬのだ。
 で、どうするかというと、飼育係は全員鳥のぬいぐるみを着用しているのだそうだ。ちょっとかなりなことになっている。
 写真で確認できなかったので、どんな状態かよく判らないのだが、思うに、テレビでよく出てくるバレエ・ダンサーのような格好ではないか。白いタイツ姿で、股間に鳥の首がついているチュチュを着るのだ。なんということだ。いくら自然保護とはいえ、そんな恥ずかしい格好の仕事は厭だ。なんと言っても股間に鳥の首だ。ものすごいことである。
「ぴいぴい」
「んー。生まれまちたでちゅねー。んー。いい子ですねー。わたちがママでちゅよー」
「ぴいぴい」
「んー。可愛いでしゅねー」
「ぴいぴい」
「んー。お腹がすいたんでちゅかー。餌をあげましゅねー」
「ぴいぴい」
 といった具合なのだろうか。
 こんなこともあるだろう。股間に鳥の首をつけた飼育係ダニエルが、同じく股間に鳥の首をつけた所長のジャックに言うのだ。
「ボス、ちょっとお話が」
「ぴいぴい」
「んー。いい子しゃんでしゅねー。おや、ダニーかい。どうしたんだい」
「実は。……仕事をやめようかと」
「ぴいぴい」
「なんだって。おいおいダニー・ボーイ。どういうことだよ」
「ボス。おれ、厭なんです。まいにち毎日こんな格好で……。おれ、映画スターになるのが夢なんですよ。こんな。こんな……」
「なあ。ダニー。落ち着けよ。ちょっと話をしよう」
「ぴいぴい」
「それにね。仕事場で撮った写真を先日母に見せたんですが、母が言うんです。まあ、ダニー。おまえ何て格好を。ああ。神様。この憐れな息子にお慈悲を。……おれ、耐えられません」
「ぴいぴい」
「……そうか。ダニー。……おまえ……」
「ぴいぴい。ぴいぴい。ぴいぴい」
「ああっ。んー。可愛いでしゅねー。お腹、すきまちたかー」
「ボスっ。聞いているんですかっ」
 ちょっとよく判らない状況である。
 とにかくそういった苦労の末、成鳥に育て上げた鳥たちを今度は飛行機で先導して渡らせるのである。
「ばさばさばさ。くえっ。くえっ」
「はあい。みんなー。今日はいよいよ旅たちの日でしゅよー」
「くえっ。くえっ」
「準備はいいでちゅかー」
「くえっ。くえっ」
「ぶるんぶるんぶるん。ぶろろろろろ。はあい。じゃ、みんなついてきてくだしゃいねー」
「くえっ。くえっ。ばさばさばさ」
「ぶるんぶるんぶるん」
「ばさばさばさ。くえっ」
 引率係のビル・リッシュマンは「ファーザー・グース」の仇名で親しまれているらしい。
 このリッシュマン、八歳の時に農薬散布の飛行機を見て、「ぼくも飛ばなくちゃ」と決意したのだそうだ。
 何だかよく判らないが、人生いろいろであるなあ。


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1998/09/28
文責:keith中村
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