第16回 猫だつて散歩する


 私が住んでゐる鰯坂といふところは無闇と野良猫が多い。鰯坂といふのは本当の地名ではなく、私が勝手にさう呼んでゐるだけなのですが、もしかしたら猫たちは、鰯が食べられるんぢやないかしらと考へて集まつてゐるのかもしれない。野良猫と書いたけれど、彼(彼女?)たちはとても人なつつこくて、私を見ても逃げるどころかにやあにやあと挨拶してきます。どうやら近所の家の人が餌をやつてゐるらしい。それで人を怖がらないんですね。
 先日散歩がてらその名もない猫たちを見てゐてふと、夏目漱石があの胃炎を病んでゐる先生のうちの猫に名前を与なかつたのは、とてもいい判断だつたのではないかと考へたのです。たとへばあの猫に「タマ」だの「ミイ」だのといふ名前があつたならば、あの作品はこれほどもてはやされることはなかつたのではないか。当時から口の悪いひとはあの作品の着想を盗作だなんて言つてゐたやうですが、本家には「ムル」なんて名前がありましたから、假に漱石がホフマンから着想を得てゐたにしても、猫を名付けなかつたといふ点はやはりあの胃痛持ちの作家の素晴らしい才能だと思ふのです。さういへば弟子の内田百間は「ノラや」なんて書いてゐましたけどね。
 といふのも日本では名前といふのは上代より聖なるものであると同時に忌むべきものだつたんです。
 万葉集のいちばん初めにある歌は、

篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岳に 菜摘ます兒 家聞かな 名告らさね
そらみつ 大和の國は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも

 詠み人は雄略天皇だとされるものですが(なぜすらすらとこんな歌が出てくるかと言ふと、私は今「古典文学体系」を脇に置いて書き写してゐるだけなんです。大野晋さんぢやあるまいし、まさかこんなもの覚へてはいませんよ)、この歌では菜を摘んでゐる娘に「名前は何といふのだ」と聞いてゐる。当時は女性の名を問ふことには求婚の意味があつたはずなのだけれど、彼はさういうつもりではなくて聞いてゐる。といふのもその後にあるやうに「私こそは大君なのだよ」といふ支配者の万能性に由来する自信の現はれからなんですが、そもそも昔は名を呼ぶこと、とりわけ高貴な人間の名前を呼ぶことは禁忌とされてゐた。だから、ちよつと時代は下りますが清少納言にしても紫式部にしても役職名だけで本名が伝はつてゐないし、春宮なんていふやうに暮らしてゐる場所を名前代わりに使ふ習慣もあつたわけです。余談になりますが、当吟のことを最近の若い人は「平成天皇」なんて平気でいいますね。あれは諡号とか諡り名とか言はれるものだから、生存中に使ふのはおかしい。
 とにかく名前には神秘性やら呪術性があるのですが、ここまでは実は前置きなのであります。この先が私の言ひたいことなので、もう少し我慢して読んでください。
 最近はコンピュータなんていふものもすつかり日常に浸透してきて、私なども文章を書くのにぽつりぽつり使ひ始めてゐるのですが、コンピュータの雑誌を読んでゐるとおもしろいことに気がついた。それはソフトウェアの名前なんです。
 日本製のソフトウェアとアメリカ製のものとでは名付け方に大きな違ひがある。アメリカ製のソフトは「ワード」だの「エクセル」だの「ワン・ツー・スリー」だの「ネットスケープ」だのといふ味気ない、けれど何となく実用性のありさうな名前がほとんどなのですが、日本の製品には矢鱈と人の名前が多いんです。「一太郎」「花子」を筆頭に「弥生」「三四六」「ミュージ郎」「彩子」。ほらね、ちよつと考へただけでもこれだけ思ひつく。以前ウーマンリブの団体から槍玉にあげられた「直子の代筆」といふものもあるし、同じ会社から「友子の情報」なんていふものも出てゐる。名前とはちよつと違ふけれど「勘定奉行」とか「筆まめ」もある。アメリカでも「パスカル」とか「エイダ」とか名付けられた例はあるのですが、あれはあの数学者だとかバイロンの娘だとかに対して敬意を表してのものだから、ここで私が言はうとしてゐることとはちよつと違ふ。
 そこで考へたのですが、これは御霊信仰に関係があるに違ひない。
 ほら。菅公は左遷された太宰府で悶死したのち、怨霊となつて都に祟った。時平が祟り殺されたり都を厄災が襲つたりといふことがあつたので急遽天神様として祀りあげた。将門公も然りです。御霊信仰とは本来、まつろはぬものを祀ることによつて、その邪悪な力を外に向けさせて国家を守つてもらはうといふ思想なんですね。靖国神社だつてさうです。あの戦争では、きつと理不盡な仕打ちをする国家に怨みを持つて死んだ兵士も多かつたはずですが、それを英霊として祀ることによつて国家の守り神になつてもらはうとしてゐるんです。
 古来、名前といふものは高貴なものだつたのですが、コンピュータといふ半世紀前に戦勝国となつた国の発明品を、御霊信仰によつて逆手にとる、といふのが日本のソフトウェアに籠められた思惑なんぢやないかしら、と私は思ふのです。
 さうさう。最近はネットワークによる対戦ゲームも大層盛んなやうで、これも私はバフチンのカーニバル論で説明が付くと踏んでゐるが、紙面がないので、これはまた別の機会に委ねることにします。

●わたしの表記法について

 例 怪猫お玉ヶ池(カイビヨウオタマガイケ←クワイビヤウオタマガイケ)

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1997/11/07
文責:keith中村
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