第159回 であると言っているのだ


 流行語というのはもちろん若者のためのものであり、それを自然に使いこなせるのは若者の特権である。若くはなくなった人間の流行語への反応というのは、もはや二種類しか残されていないのだ。
 ひとつは、それへの攻撃や拒絶や反駁という反応である。エジプトのピラミッド内から出土した石板に刻まれた文字を解読したところ、「最近の若者は『びっくりくりくりクレオパトラ』などと軽薄な流行語を用いているが、ありゃわしらの若い頃は『クレオパトラもびっくり』と使っていたものなのじゃ。言葉は正しく使いたいものじゃ」という老人の呟きがあった、というのは有名な話なのでご存じの方も多いかと思う。拒絶することで年功序列的優位性を保とうとするこの反応は、それくらい昔からあるということだ。
 もうひとつの反応は、それに迎合することである。自分がまだまだ若く頭が柔らかく時流に乗ってゆける人間であるということを誇示するためだろうか、すがるように積極的に流行語を使おうとする人もいるのだ。
「ナイスでナウなヤングのパワーでフィーバー状態。ぼく的にはピカチュー」
 並べればよいというものでもなかろう。これはこれでちょっとどうかしていると思う。
 さて、私自身のことを言えば、二十代後半くらいから流行語に拒絶反応を示すようになっている。ここ何年かの流行語でいちばん辟易したのは「だよねえ」というものである。何というか、人を小馬鹿にしたような言い草に聞こえて、目下のものが「ですよねえ」と追従的に言うのですら軽蔑されているように感じて拳がわなわな顫えたくらいである。
 私が今いちばん気になってしようがない流行語は「だっちうの」というものだ。「であると言っているのだ」という意味をかなり崩したこの言葉が耳について仕様がない。私はこれを聞くたびに何とも言えぬ複雑な心境になってしまうのだ。
 ひとつにはもちろん拒絶反応。この言葉を用いているのはとあるコンビの女性コメディアンであるようだが、乳房を必要以上に誇示する姿勢をとって「だっちうの」というのを半ば落ちのように用いておるところが、潔くない。コメディアンなら女性だろうが何だろうが芸を見せるべきである。安易なお色気でもって芸をカバーするというのはよくないのではないか。もっと芸を見せろ、と言いたい。できれば芸を見せたうえで、なおかつ乳房も見せてくれればこれに越したことはない。喜ばしいじゃないか。
 そうなのだ。そこが問題なのである。私はこれを見ると、拒絶しながらも顔がにこにこしてしまうのである。哲学でいう「アンビバレント」という言葉の意味を私は初めて身を持って知ったようにも思う。
 実際、私の目の前で可愛い女子の人が「だっちうの」とやったなら、興奮した私は間違いなくその場で彼女を押し倒すであろう。嘘だと思うなら、今度やってみるがよい。ぜひ。
 この言葉に対して私がアンビバレントな心理になるのは、しかし女子の人がこの動作をおこなっている場合のみで、女子の人が介在しない場で出来したこの行動ほどみじめなものはない。
 考えてみれば、世界はみじめで無用な「だっちうの」に満たされているのだ。
 旅さきでは人は記念写真を撮るものということになっているが、さてその集合写真。
「はあい。じゃ、写真撮りますから並んでください」
 カメラマンのその言葉で社員旅行一行は列になる。
「ああ、ちょっと入りきらないんで、二列でお願いします」
 その言葉であなたは後の列にまわる。しかしカメラマンは更に言うのだった。
「フレームからはみ出しちゃうんで、前の人しゃがんで、後の人すこしかがんでください」
 そう言われたあなたは自分の膝に両手をついて、やや前傾姿勢となる。そしてその瞬間思ってしまうのだった。
「あ。これって、だっちうの」
 しかしもう手遅れである。カメラマンは非情にもシャッターを切ってしまっているのだ。あなたの「だっちうの」は克明に撮影されてしまったのだった。百年プリントだから、末代までの恥である。ひとつだけ救済があるとすれば、右隣りの総務部長(五十六歳)と左隣りの経理課長(四十七歳)もやはり「だっちうの」になっていることくらいか。むしろ余計厭な気もするけれど。
 あるいは、道を歩いていると小さな子供が泣いている。迷子だろうか。あなたはその子供に呼び掛ける。
「ぼく、どうしたの。お母さんはどこ」
 そう言ってからふと我に返る。そうなのだ。あなたは子供に視線を合わせるため、両手を膝について前傾姿勢をとってしまっているのだった。
 あなたに気づいた子供は泣きやんでぽつりと言うのであった。
「あっ。だっちうの、だ」
 このように世界は「だっちうの」に満ちているのであると言っているのだ。 


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1998/09/18
文責:keith中村
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