第157回 スティッキー・フィンガーズ


 井沢元彦氏がよく書いていることのひとつに、日本人は危機管理が苦手であるということがある。古来より言霊の国であるところの秋津島大和の国では、口に出したことは実現するという信仰があるがゆえ、「もしこうなったら」という非常事態を仮定する言い回しですら、それが実現されてしまうことを恐れて忌避されがちであったために非常事態における危機管理がなおざりにされてきたというのである。
 さて、ここ最近の出来事で我が国にとっていちばんの危機というとあのテポドンだかデポドンだかいう奴であろう。それにしても何という可愛い名前であろう。名前だけなら、どう考えてもいい奴にしか思えない。これはおそらく「ドン」という音によるものであろう。「どん」は「さん」「ちゃん」などと並んで、名前につく言葉として我が国で伝統的に用いられているものであるが、「どん」は特に素朴で純粋な人間に対して用いられる。「おせいどん」然り「田吾作どん」然りである。
「テポどん、テポどん」
「ほうい。なんだべさー」
 そう返事するに決まっているのだ。この純朴さに騙されないように心したい。
 いずれにせよ私には、今回の一件はあの国家権力を世襲したおたく男が、ついつい寝ぼけてボタンを押してしまったことが原因じゃないか、という気がしてしかたがない。恐ろしいことである。
 この事件で再軍備を主張する個人や団体が増えるかとも思うが、そんなことよりもっと効果的な防禦方法がある。思い出してほしい。太平洋戦争で米軍が京都に原爆を投下しなかったのは、その文化遺産を潰滅させるに忍びなかったからではなかったか。つまり、相手が「勿体ない」と思ってくれば助かるのである。もうお判りであろう。日本各地の主要都市にゴジラの巨像を建造すればよいのだ。あるいは、ゴジラ記念館などと称して、ゴジラ映画のフィルムやスチル写真を展示するのもよかろう。あのゴジラマニアめ、絶対にゴジラに対してミサイルを撃ってくることはなかろう。ただしくれぐれも大森一樹だけは配置するな。
 さて、危機管理などということをつらつらと考えていると、仕事場の書類棚のなかに偶然一冊の本を見つけた。「ヒューマン・エラーのメカニズム」という題名の、要するに人的ミスにどう対処してゆくかを説いたありがちなビジネス本である。奥付の発行日には一九八九年とあるやや古めの本である。
 見るともなしに見ていたのだが、中にいくつか興味を惹かれるものがあった。
 まず、いくつかの種類の事故とその対策を表にして掲げた部分があるのだが、これがかなり素晴らしい出来なのである。
 たとえば「自動車事故」への対応に、こうある。

「交通規則を守る」

 私は思わずぽん、と膝を叩いた。なんと簡潔にして明瞭な解決方法であろう。自動車事故を回避するには交通規則を守ればよかったのだ。まさにコロンブスの卵、コペルニクス的転回である。
 あるいは、「痴漢被害」。どうしていきなりこういう項目があるのか、理解に苦しむのだが、あるのだから仕方ない。いくつかの対処が書いてある。

「刺激しない」
「雰囲気を醸成しない」

 何を刺激するのか、また、どういう雰囲気が駄目なのか、興味はつきない。
 そしてまた、こうも書いてあるのだ。

「不感対策をとる」

 ええと。あの、その。これはつまりどういうことなのでしょう。どなたか教えてください。

 そして、「自然現象による被害」。ずばり、こう書いてある。

「だいたいにおいて対策なし」

 ううむ、と唸ってしまった。この潔さはどうだ。「対策なし」なかなかすっぱりと言い切れる言葉ではない。もっとも、作者もちょっとは気がひけたのか、そのあとにこうある。

「堤防をがっちり造る」

 がっちり造るのだそうだ。がっちり、と。
 更に別のページには、交通事故が起きたときの、身体状況や運転中の副次行動が表にまとめてある。これを見ると、事故を起すときにはやはりそれなりの原因があるのだということが判る。
 たとえばこんな風になっている。
「頭がぼんやりした」「手や足がだるかった」「眠たかった」「かぜ気味だった」「頭痛、腹痛、歯痛がした」
 あるいは、
「タバコを吸おうとしていた」「ラジオなどのスイッチをいじっていた」「飲食物を飲んだり、食べたりしようとしていた」
「わきみをしていた」という項目は、何を見ていたかという細目がついており、「看板を見ていた」「うしろを振向いていた」などと分類されているのだが、その中にある「事故を見ていた」というのが泣かせる。
 こういう項目もある。
「けんかをしていた」
 これはちょっとよくないのではないか。喧嘩はいけない。だいいち、大人げない。どうしてもというなら、表へ出ろ、表へ。
「大・小便がしたかった」
 「をしていた」ではないのがせめてもの救いではなかろうか。
 そんな中で、いちばん理解に苦しむのはこれである。
「手がヌルヌルしていた」
 ぬるぬるしていたのだそうだ。つまりどういうことだ。
 運転しているのだ。ぶううん。ぶろろろ。ふと気がつくと、ハンドルを握る手がぬるぬるしているのだ。なかんづく、ねばねばしているのだ。あまつさえねちょねちょしているのだ。叫ぶしかないだろう。
「私の手はぬるぬるだ」
 そんなことを叫んでもどうしようもないことをあなたは知っている。しかし、それでも叫ばずにはいられないのであった。
「手がねばねばで気持ち悪い」
 口に出すことで不快感が軽減されるかと思ったが、残念なことにちっともそれは解消されない。
「ねちょねちょー。ねちょねちょー」
 しばらく唄ってみたりなんかするが、その非生産性に気づいてやめる。
「そうだ。とにかく拭かなきゃ」
 服やらシートやらに手をねちょくり付ける。しかしいくらやっても駄目なのである。
「おお。わらわの手のぬるぬるは拭っても拭っても消えぬわ」
 マクベス夫人になりきってみたりする。
 ききー。どかん。
「いったい、どうしたんですか」現場検証に来た警察官が尋問する。
「いや。その。あの。なに。手が。手がね」
 ぬるぬるだったの、とはなかなか言い出しにくいだろう。
 危機管理というものは、かくも難しいものである。我々も日頃からくれぐれも気をつけたい。
 ただし、大森一樹だけは配置するな。そして堤防はがっちりと造れ。


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1998/09/10
文責:keith中村
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