第155回 野望


 仕事場でぼんやりしていた。もっとも、たいていはぼんやりしているのだが、とにかくまあいつものようにぼんやりしていたのだ。と、駄洒落を思い付いた。
「サプライ幸子」
 あんまり馬鹿馬鹿し過ぎて笑ってしまった。幸いにして、周囲に誰もいなかったので助かった。
 それで口に出して言ってみた。
「サプライ幸子」
 また笑ってしまった。口に出すと馬鹿馬鹿しさも一入である。
 余談になるが私は桜井幸子が好きである。恋人にしてもよいと考えておるし、何なら結婚するにやぶさかではない。ただ残念なことに先方は私を知らぬし、よし知ったにしても私の意志に合意してくれぬかも知れぬ。世の中、ままならぬものである。ああ、さっちゃん。
 もうひとつ駄洒落を思い付いた。
「サプライ良子」
 同じではないか、と言うなかれ。サプライ幸子とサプライ良子は全然違うのだ。どれくらい違うかというと、桜井幸子と桜井良子くらいは違う。片や女優であり片やニュースキャスターである。
 桜井良子というと、「今日の出来事」を見ていても何だかぼんやりしているというかおっとりしているというか、そんな印象を受ける人であるが、書いているものを読むとなかなか明晰な文章である。
 私は夢想するのだが、桜井幸子と桜井良子がコンビで歌でも唄えば面白かろう。ユニット名は「桜井ズ」である。実現したらなかなか驚くべきことである。つまりサプライズである。
 反省します。これはちっとも面白くない。
 さて、話は唐突に変わるのである。
 私が今やっているバンドは結成して足掛け六年になるが、その間一度もライブをやったことがない。人前で演奏した、というのは知人の結婚式だとか、ミナミの引っ掛け橋の上だとか、そういうちょっとどうかというような場所のみで、その他はスタジオで演奏するばかりである。考えようによってはかなり純粋な音楽活動ではある。純粋バンドである。
 こういう活動に終止している理由は、メンバーが全員たいへんな面倒臭がり屋であることが大きいと思われる。唯一の対外的な活動としては、M楽器という楽器店が年一回開催する社会人バンドコンテストに応募することであるが、これとて一次銓衡であるところのテープ審査にて過去三年連続して落選しておるので、実質何もしていないのと同じことである。今年で四回目の応募となるこのコンテスト、もうメンバーの誰ひとり通るとは考えていない。半ば慣例のように惰性で応募しておるのであった。
「もしもし」
 電話を掛けてきたのはボーカル担当のリョータローである。
「うーす。どしたの」
「コンテストだけどさ」
「あ。また落ちたろ。そっか」
「ちゃうちゃう。通った」
「へ。ほんと」
「ほんとほんと」
 どうやら四年目にしてようやく一次銓衡に通過できたようである。
 落選が慣れっこになっていたので、どうにも通過したのが不思議でならぬ。どういうことかと分析してみた。
 そういえば、先日M楽器でギターの弦を購入したとき、こういう会話があった。
 店員が私に訊いてきたのだ。「お客さん、バンドやってはるんっすか」
「うん」
「うちでね、社会人バンドコンテストやってるんっすけど、よかったら応募してくださいよ」
「ええとね。実はもう応募してる」
「あー、そうっすか。ありがとうございます。頑張ってくださいねー」
 私はこの歳にして学生と間違われることが多く、それはそれだけ成長がないということなのだろうけれど、情けないことに若く見られることに喜んでおるのが常であるのだが、このときばかりはいきなり社会人であるという前提で話しかけられたわけで、少なからずショックを受けたのであり、しかし考えてみればこの店員の薦めはかなり応募が少なかったことが原因ではないのかと思われるのだ。応募が少なかったので、客に応募を呼びかけたと。
 つまり、今年は母数が少なかったので銓衡通過が例年より容易であったのだろうと考えられるのである。
「二次銓衡はどんなんだっけ」
「審査員の前で演奏するんだ」
「場所は」
「バナナ・ホール」
 おおっ。私は思わず声をあげた。あの有名なバナナ・ホールであるか。ライブの殿堂ではないか。
「でさ、一応練習しとかんと、いかんので日程調整するからまた予定教えてくれな」と言って電話は切れた。
 先ほどリョータローからメールが届いたのだが、エクセルのファイルが添付されていた。開いてみるとメンバーのスケジュールを書き込むようになっている。コンピュータなんてちっとも判らない奴だったのに、職場で無理やり使わされておるうちに覚えたのであるな。折り返し予定を書き込んで送り返せということらしいのだが、ちょっと未来のバンドみたいで感嘆した。それにしてもさ。エクセルってどうやって使うんだ。知らないぞ。
 さて、私は考える。
 このコンテストって優勝したら何かいいことあるのかな。あっあっ、もしやCD出せたりして。何かの間違いでプロにでもなれたりして。あーっ。そうするってえと、もしかしてさっちゃんとお友達になれたりして。うひょー。
 まるで馬鹿。


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/09/01
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com