第154回 蓋というもの


「我を懊悩させるもの、其はふたなり」とニーチェは言った。ふたなりといってもアンドロギュヌスすなわち両性具有のことではない。「蓋である」ということだ。
 そして、この言葉は今の私には大いに実感できるものである。
 蓋というものについて私は考えるのだ。蓋に似ているものは世の中にいくつか存在する。蓋然としているものは蓋の他にもあるのだ。私は蓋に似ている性質を「蓋然性」と呼ぶことにしたい。これは「がいぜんせい」ではなく「ふたぜんせい」と読んでいただきたい。フタ然、としているから蓋然性である。
 さて、私は今から蓋然としているものふたつについて、どの程度蓋然性があるのかを考察してみたい。すなわち蓋然判断をやってみたいと思うのだ。
 まず、栓。蓋と栓にはかなり共通点が多い。どちらも容器などの口を覆うために使われる。しかし栓の方が蓋よりも肉厚なイメージを伴う。その証拠に蓋は「取る」と表現するが、栓は「抜く」と表す。たとえばワインのコルク栓。あの栓を抜く道具は「コルク抜き」と言われる。と、書いて気づいたが、あの器具はどうして「栓抜き」と言わないのだろう。栓抜きという名称は他の器具につけられているのだ。瓶詰めの飲み物の口を開くときに用いるあれだ。だが、よくよく考えてみればあれら瓶の口を覆っているのは王冠であって、決して栓ではない。よって「栓抜き」という呼称はおかしいのではあるまいか。実存主義的に言えばあれは「王冠外し」と呼ぶべきものである。あ、王冠外しって何となく社会学で象徴的に使いそうな言葉だな。
 いや。そんなことはどうでもいいのだ。とにかく栓と蓋は似ているようで別物である。風呂場を考えれば判りやすい。「風呂の蓋」というと浴槽を覆う板状のものであるが、「風呂の栓」というと浴槽の、たまに睾丸を吸い込まれる人がいるというあの排水口を塞ぐものを示すのだから。
 さて、蓋と扉もかなり近い概念を表す言葉である。しかし、扉の方がより狭義のものであるのは明白だ。扉というと普通は地面に対して垂直に取り付けられるものであり、蓋はこれは必ずしもそうである必要はないがたいていは地面に平行に取り付けられておる。宝石箱など箱状のものの蓋がそうだ。扉は必ず蝶番様のもので、固定されていなければならない。取り外し可能なものは扉とは呼べない。強いて言うならば、「壊れた扉」「力まかせに引っ張った扉」などということになる。だが、蓋は蝶番様のもので固定してあろうと、あるいは自在に着脱可能であろうと蓋である。
 これらのことから、蓋というのはかなり意味に幅のある言葉であることが判明するのである。換言すれば蓋というのはより大雑把で抽象的で不確かな言葉であるということだ。
 しかも、蓋という言葉は不思議である。テクストを異化させる作用がかなりあるのだ。テクストに何の蓋然もなく(ここはガイゼンと読むところである)ふと挿入された蓋。我々はそれに戸惑いを隠しきれない。
 たとえば。
「大自然が育んだ宝物。それは蓋」
「太陽が与えてくれた恵み。それは蓋」
「人と人とを繋ぐ絆。それは蓋」
 これらのテクストをどう捉えればよいのだろうか。その意図は我々に不達である。
「蓋はいつもあなたと一緒にいます」
「もっと蓋を」
「僕には判るんだ。あれは父さんなんかじゃない。蓋なんだよ」
 これらのテクストには蓋然判断(ガイゼンハンダンである)が成立しない。我々は蓋の前に立つと、あたかも迷える仔羊のように狼狽するばかりなのである。
 再び言おう。蓋は我々を当惑させるのだ。
 何もそんな大袈裟な、などと軽く考える人は即刻これを読むのを中断していただきたい。私はかなり真剣に書いているのである。いわば不退転の覚悟といったところか。
 ところで、蓋というものは附帯物である。決してそれそのものが主ではない。なにかの物に附帯して存在する。そして蓋は蓋として機能してはじめて蓋なのである。蓋として機能しない蓋はもはや蓋ではない。
 ご承知のように蓋の機能というのは、容器などの口を覆い塞ぐものである。この点は重要である。
 さて、私の勤務する会社は、福利厚生の設備がそれほど充実してはいない。会社によっては労働者が自由に飲むことができるようにコーヒー・サーバーを設置してあるところもあろう。だが、私の勤務する会社にはNTサーバーなどという役に立たぬものはあれど、コーヒー・サーバーはない。かわりに置かれているのがインスタント・コーヒーの壜と紙コップ、それに熱湯を貯えたポットである。飲みたければ自由に飲みなさい、ということだ。
 むろん、それは何もないよりは余程ましだろう。しかし、コーヒーを淹れるという作業を個々人に負担させている点はコーヒー・サーバーよりかなり劣ると言わざるを得ない。中でもインスタント・コーヒーの壜の開閉を各人に負託させる点はいただけない。
 世の中には、その全員ではないにしても確実にがさつな人間というものが存在するのである。そうなのだ。壜の蓋をしっかりと閉めない人間はいるのだよ。
 まったく、もう。どうしてちゃんと閉めてくれないんだ。
 私は今、給湯室の床いっぱいに撒きちらされた「ネスカフェ・ゴールドブレンド」の粉末のただなかに立ち尽くしている。そんな酔狂なことを好んでやるはずもない。私はただ、いつものように蓋を掴んで瓶を持ち上げただけなのに。
 蓋然性の犯罪である。私が巻き込まれる必然はなかった筈なのに。主であるはずの壜は従であるところの蓋だけを残してまっ逆さまに転落していったのである。
「ありゃりゃ。これは大変なことに。まったく、どうしてそうがさつなんだよ」
 蓋を握りしめて慌てふためく私にそう言った部長よ。私にとっては運の悪いことに、たまたま給湯室の前を通りかかった部長よ。断っておくががさつなのは私ではない。
 私の前にコーヒーを飲んだ奴なのだ。
 そうなのであります。 


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1998/08/27
文責:keith中村
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