第149回 鏡台


 さて、前回「音」としての体験がふたつあると書き、そのうちのひとつを紹介したのであるが、今回はもうひとつの話である。
 小学校二年生のことであったと思う。夏休みに母方の実家へ帰省した。帰省といっても大袈裟なものではなく、バスで二十分ほどの距離なので普段からちょくちょく訪れているところではある。ただ普段と違いその日は泊りがけであった。母親と私だけで出かけた。
 母方の実家というのは、田舎の農家であり、無闇と広い。しかもさまざまな時代に改築やら建て増しやらをやっている家だったので誇張ではなく迷いそうになる。
 母と私の寝室にあてられたのは、六畳の和室であった。部屋には古ぼけた鏡台だけが置かれていた。
 その年齢なら誰でもそうだと思うが、私もその頃は一度眠ると朝まで絶対に眼を覚まさない子供であった。普段ならば。
 ただ、その日は何故か眼が覚めた。環境が変わったせいであろう。
 田舎の深夜というのは本当に真っ暗である。それに、時計が時を刻む音以外は何も聞えない。それが逆に静寂を強調する。真の闇と静寂というものはそれだけで恐ろしいものであるから私は再び眠ろうとした。しかしなかなか寝付けない。
 しばらくあって遠くの部屋で振り子時計が時をひとつ打つのが聞こえた。一時である。そんな遅い時間に眼を覚ましていることなどなかったから、私はちょっと狼狽した。まるで、自分だけがひとりっきりで取り残されているような感覚に囚われ途方にくれてしまったのだ。とにかく寝なきゃ。私は頭まで蒲団を被り、ぎゅっと眼を閉じた。
 と、その時、何かが聞こえた。あし音である。廊下を歩く静かな跫音が聞こえるのである。
 伯母か誰かかな、と私は思った。手洗いにでも行くのだろうか。
 ところが跫音は我々のいるこの部屋に向って近付いている。やがて私が足を向けているほうにあった襖が開く音がした。
 誰だろう、と私は考えていた。入って来た人はそのまま襖の近くに置いてあった鏡台の前に座ったようである。
 鏡台は観音開きの三面鏡であったのだが、その鏡が開く音がする。抽斗の開く音が聞える。
 何だ、化粧をするためにこの部屋に入ってきたのか。私はほっとした。そんな時間に化粧をするのはおかしいなどということは思いつかなかった。
 その人はかたかたと音をたてて化粧をしていたようだが、やがてまた出ていった。廊下を跫音が遠のく。
 それからしばらくで私はまた眠りに落ちていた。
 翌朝、眼が覚めた私は昨晩のことを何となく反芻していた。そしてあることに気がついて愕然とした。
 あれだけ真っ暗な中で化粧なんてできるわけがない。
 ということは、あれは一体何だったのだ。
 そこでようやく恐ろしくなった。結局、このことは母にも誰にも言わなかった。何となく言うのがためらわれたのだ。
 今ではあれは夢だったのだろうと思っている。夜中に目が覚めた、という夢を見たのだろう。
 ただひとつだけ気になるのは、寝る前、確かに閉じていた鏡台の鏡が朝起きたときには開いていたことである。
 何だか書いていて寒くなってきました。夏だというのに。いやんいやん。
 でも、夢だろう。いや、夢だ。夢なのだ。そうに決まっています。
 実際私は目が覚めるという夢をよく見るのだ。悪夢から目が覚めてほっとしていると、そこから恐ろしいことが再び始まるという悪夢をよく見るのだ。「ぎゃああ。はっ、夢か。ああ、よかった。ん。おやおや。ぎゃああ。はっ、夢か」という奴である。いちばんひどいのでは、それが四重にネストしていたこともある。狂いそうになりますよ、ほんと。
 さて、悪夢というとやはり刃物を持った人間に追いかけられるものが多いが、私は得体の知れないものに追いかけられる夢を見た事がある。「件」に追いかけられたのだ。ご存じでしょうか、くだん。夢の終わり近くで私は追いつめられた。そのとき。件は私を睨みつけるとこう言ったのだ。
「鬼は這うもの這いずるもの」
 ここで眼が覚めた。この言葉はかつて「寝言」という文章に使ったが、実はくだんの言葉だったのです。
 私が見た中でいちばん怖かった夢もついでに紹介しよう。
 やはり追いかけられる夢である。刃物を持った男に追いかけられている。私は夢の中で「これは夢だ」と気づくことは滅多にないのだが、たまたまこの時は夢であることに気がついた。そこで私は立ちどまってふり返ると、追跡者に言った。
「こ、これは夢だ」
 夢だと判っていても、やはり恐怖で声が顫えた。
 ところが、追跡者はにやりと笑うとこう言ったのだ。
「違う。これは夢じゃないんだよ」 


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1998/08/14
文責:keith中村
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