第148回 寺


 ええと。夏休み特別企画恐い話篇第二回である。前回のはやはり読み返しても、私が感じた恐さの十分の一も表現できていないのが残念である。修行が足りんということか。
 さて、人から聞いた話ばかりでもあれなので、今回は私の体験談といこう。
 といっても、私自身そういったあれを見たことはない。が、「音」としての体験はふたつほどある。
 中学生の頃、塾に通っていた。実家の菩提寺の住職の娘の婿養子、いささかややこしい表現で申し訳ない、が、一学年につき十人足らずの生徒を集めて勉強を教えてくれていたのである。まさしく寺子屋といった風情であった。この先生が寺の坊主だけあってたいへん厳しい。態度姿勢言葉遣いなどのことでよく叱られたものである。
 授業は夕方からであったが、夏休みはそれが早朝に切り替わった。夏休みに一度寝過ごして遅刻したときには無茶苦茶に怒鳴られた。このときのことは未だに時おり夢に見る。
 そうやって生活態度に関して大変厳しいところであったのだが、なかんづく辟易したのが宿題を忘れたときの処罰である。まず大伽藍の位牌堂の、位牌のまん前すなわち僧侶が読経をする場所に正坐させられる。で、一本の線香に火を点し、代りに電燈を全部消す。その線香が燃え尽きるまで真っ暗闇に取り残されて座っていなければならぬ、というものであった。そういう処罰をするということは、通いはじめた当初に聞いていたので臆病もののわたしは絶対にそういう事態にならぬようにと注意したものだ。ところが、あるとき何かの勘違いでまったく宿題とは別の箇所をやってきてしまったのだ。厳しい先生であるからもちろん言い訳など通用するはずもなく、夜九時の授業終了後私はくだんの処置を取らされることとなった。幸いもうひとり宿題を忘れていたので、ひとりぼっちだけは免れた。
「消えたころにまたくるからな」
 先生は線香に火を点しそう言い残すと、電燈を消して母屋へ行ってしまった。田舎のこと、しかも寺は山中にあったのであたりは真の闇である。本当に恐い。私は眼をつぶった。私と、その友人の静かな息以外まったく何も聞えない。
 どれくらい時間が経ったろう。突然、頭上の天井裏で、どすん、と音がした。かなり大きな音である。え、何、と思う間もなく、
「どんどんどんどんどん」
 今度は連続的な音が聞こえてきた。音は頭上から右のほうへ移動してゆく。と、そのまま壁伝いに降りてきた。どんどんという音が降りてくるのだ。音は床あたりまできて止まった。
 心の中で「うわ、うわ、ひゃあひゃあ、何、うわ、何なの」と叫ぶ。何故か声を出すことが憚られた。どうなるんだ、次は何が起るのだ。逃げ出したい気分でいっぱいである。しかし二人とも凍り付いたようにじっと座り続けていた。
 かなり時間が経った気がするが、ほんとうはおそらく二分くらい後だろう、母屋から先生の足音が近付いてきた。入り口の引戸があき、電燈が点された。
「はい。もういいよ」
 私と友人は顔を見合わせた。彼の顔は蒼白であったが、私もきっとそうだったろう。
 山道を家に向って帰りながら友人が言った。「さっきのあれ、何だったんだよ」
「ね、鼠じゃないかな。……きっと」
「そうだな。鼠だよな。ははは。鼠だ」
 しかし、鼠である筈はなかった。鼠にしては音が大きすぎたし、しかもあの音はどう聞いても天井や壁の板を拳で思いっきり叩いたような音であったのだ。
 以上である。ま、あまり恐い話ではないだろう。
 灯りがついてから壁を見ると、血だらけの手形がいっぱいついていた、とかそういう落ちを捏造しようとしたのだが、こういった話にそんなことをすると何だか非常に恐ろしいので止すことにする。小僧の神様。
 話は変わるが二年前、法事で帰省したのだが、寝過ごしてすっかり法要に遅れてしまった。道が混んでいたのだ、と家族や親戚には言い訳をした。寝過ごしたなんて言えるわけがない。
「ほんとにもう。先生もあんたに会いたがってはったのに」と母親が言う。今や住職になった先生が法要にやってきてくれたのだそうだ。「今からちょっと寺行って挨拶だけでもしておいで」
 で、菩提寺へ行った。
「ごめんください」
「はあい。お、久し振りじゃないか」
 十三年ぶりなのだ。
「どうも、ご無沙汰しております。本日は申しわけありませんでした」
「どうしたの」
「実は、その、道が混んでおりまして」
「……嘘だろ」
「え」
「寝坊したな」
「いや、その」
「寝坊だ」
 中学校時代に遅刻して怒鳴られた記憶が蘇る。アドレナリンがどっと出る。
「……そうです。すみません」
 先生はじっと私を睨んだあと、からからと笑った。「嘘ついても判るんだ」
 どうして判るのだ。家族すら騙せたのに。恐ろしい人である。侮れない。アドレナリン。
 さて、次回は夏休み特別企画完結篇である。もうちょっとは恐い話になる予定。 


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1998/08/13
文責:keith中村
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