第145回 地名考


 大阪の人間は、他の地方在住者と違い、東京に対してそれほど劣等感を持っていない、ということがよく言われる。たとえば、たいていの地方出身者は東京に暮らすようになるとつとめて標準語を喋ろうとするが、大阪人だけはいつまでも大阪弁を話し続ける、という指摘がある。私は生まれてこのかた大阪弁圏外で生活したことがないので、たとえば東北や九州の人間がどれくらいの憧れを東京に抱いているのか、ということは判らぬので、実際大阪という地だけが他の地方と比べて特別かどうかということも判断がつかぬ。ただ確かに言えることは、この大阪という土地は人口や経済などで東京に次ぐ日本で二番目の規模を有する都市であるにもかかわらず、それほど東京というところを意識してはおらぬということである。だから東京に対して劣等感を持っていないというのは、真実ではないかと思える。
 しかし、ひとつだけはっきりと大阪人が東京に対して劣等感ないしは敗北感を持っていることがある。それは地名についてである。
 大阪の地名というのは東京のそれと比して如何ともしがたく垢抜けしておらぬのだ。東京の地名というのはこうである。赤坂、原宿、新宿、銀座、青山。大阪人にとってこれらの地名はあまりにも恰好よく響く。ところが、大阪はというと、どうだ。天下茶屋、喜連瓜破、貝塚、岸和田、此花。あるいは松屋町。松屋町は「まっちゃまち」と訓む。まともではない。しかも松屋町というところは行けども行けども人形と結納を売る店ばかりではないか。どういうことか。
 そんなわけで、大阪人はどうしてもその地名を恥じてしまうのである。
 しかし、世界は広いのだ。恥じ入ることはない。この広い世界に眼を転ずればもっと恥ずかしい地名などいくらでも見つかる。
 恥ずかしい地名といって真っ先に思い浮ぶのは間違いなくこれであろう。
 エロマンガ島。
 その名前だけがあまりに有名なこの島であるが、我々はその名以外この島については驚くほど知らない。エロマンガ島はバヌアツ共和国に属するらしく地理的にはニューカレドニアの北側にあたるのだそうだ。ニューカレドニアというと天国にいちばん近い島である。おそらくエロマンガ島は天国に二番目に近い島であろうと推測される。
 こういう島もある。
 珍宝島。
 一九六九年に中国と旧ソ連が国境紛争を起したことで有名なところであるが、何もそんな名前の島で紛争しなくってもいいじゃないか。ソビエトではこの島をダマンスキー島と呼ぶらしい。中国も中国なら、ソビエトもソビエトである。お互いちょっとどうかしている。
 しかし、このふたつはともに必ず「島」を伴って呼ばれるので、字で書けばもちろんのこと、耳で聞いても「ああ、島の名前なのだな」ということが自ずと知れる。もちろん、耳で聞いた場合、なかには黒パン党だとか、スポーツ平和党だとか、共産党だとかと同じく政治結社政党のひとつだと誤解する者もいようが、そんな誤解をするような奴は抛っておけばよいのだ。大した問題ではない。
 ところが、島でなくて恥ずかしい地名もある。
 スケベニンゲン。出た、スケベ人間。
 この恥ずかしい土地はオランダにある。Scheveningen と綴り、現地ではスヘフェニンヘンに近い発音であるらしいのだが、現地の発音など知ったことではない。スケベニンゲンでいいのだ。アメリカの Huston だって現地ではユーストンと発音するようだが、我々はヒューストンとして知っているではないか。
 これほど恥ずかしい名前はちょっと他にはあるまい。自己紹介だって憚られる。
「ぼくはオランダのスケベニンゲン出身のビンセントです」
 あるいは、この地より角界入りする人間があればどういうことになるか。ご存じのように相撲では勝負の前に場内アナウンスが流れる。
「助兵衛富士。スケベニンゲン出身、佐渡ヶ嶽部屋前頭三枚目」
 何かの間違いでオリンピックの開催地に決定してしまったらどうか。
「スケベ人間オリンピック」
 いったい何を競うつもりだ。
 ところで、私はこのスケベニンゲンの地に思いを馳せるたびに、歴史に感謝するのである。そう。ローマ帝国がローマであったことは幸いである。もし何かのはずみで、あの帝国がスケベニンゲンに建国されることとなっていたとすれば。
 スケベ人間帝国。
 そのうち、分裂したりするのだ。東スケベ人間帝国。西スケベ人間帝国。神聖スケベ人間帝国などとちょっとよく判らないものまでできあがったりする。どの面さげて神聖なのだ。
 諺も影響を受ける。
「すべての道はスケベ人間に通ず」
「スケベ人間は一日にしてならず」
 映画や文学だって無事では済まない。
「スケベ人間の休日」
「窓からスケベ人間が見える」
 また、もし仮にアメリカ、イギリス、ソビエトの三国が第二次世界大戦の事後処理協定をこの地で結んでいればどうなったか。日本に対してものすごいものが突きつけられるのだった。
「スケベ人間宣言」
 帝国臣民たるもの、そんな不届きな宣言を受諾できるものか。
 英米ソがポツダムで会談してくれたのは僥倖である。
 社会の教科書はこんな風になっていた筈だ。
「一九四五年八月、日本はスケベ人間宣言を受諾し、これによって第二次世界大戦は終結しました。そして戦後処理が始まり、一九四六年、天皇人間宣言が発表になりました」
 恐いくらいに呼応している。
 私は未来永劫スケベニンゲンが歴史の表舞台に立たずにひっそりと蟄居してくれることを切に願うのである。  


新着順一覧 − 日付順一覧 − 前を読む − 次を読む − トップページ


1998/08/09
文責:keith中村
webmaster@sorekika.com