第143回 フラメンコの人


 もちろん、スタジオというのは何も音楽のためだけのものではない。アトリエに近い意味だってあるし、写真や映画の撮影場所、それにテレビ番組を録画する場所だってスタジオと呼ぶ。しかし、我々が現在いるこの場所がその中でやはり「音楽スタジオ」と分類される場所であることに間違いはない。まあ、このスタジオのリーフレットに「楽器演奏はもちろんダンスの練習にもどうぞ」などという文句が書かれていることも一応は知っている。それにしても、やはりこういった場所はいわゆるビートミュージックを練習したり録音したりするのが最も普遍的な使われかたであろう。
 それが証拠に、備え付けのマガジンラックには「ギターマガジン」を筆頭に「ベースマガジン」「キーボードマガジン」「ドラムマガジン」が抛り込まれている。「ヤングポップス500」というやたら分厚い本には少々違和感を覚えるが、許容できる範囲に含まれるものではあろう。そして店員の恰好も、そういう場所であることを表している。ここの店員は他の多くのスタジオ同様、染めた髪をおったてたりあるいは短く刈り込んだりと、いずれにせよひと目でロックの人であることが識別できる頭髪に、フランク・ザッパが舌をべろべろ出していたり、ジョン・ライドンが眼を剥き出していたり、そういう意匠のティーシャツを着用しておったりするのだ。更には正面向って左の壁にはさまざまな告知のチラシが張られておるのだが、いわく「とんかつ大魔神の熱いブルースナイト」、いわく「最後に残るのは俺たちだ−The Rock Suviver-」。ブルースにはちょっとどうかしているような名前であったり、あるいは「生存者」の綴りを間違えていたりするのではあったが、とにかくこれらの惹句からも、この場所の持つ機能は自ずと知れよう。あまつさえ、正面右の壁には「メンバー募集」と称してこれまたさまざまなチラシが貼付されている。
「キーボード募集。ポップでキャッチーなプログレ・バンドを目指しています」
 ポップでキャッチーなプログレというのは、如何なものかとは思うが、まあ折角目指しているのだから口出しはすまい。
「当方18歳のさわかやギャル(Vo)。B、G、Dr、KBを募集。Gはプリプリのカナちゃんみたく弾ける人がいいナ」
 さわやか、というのもちょっとどうかと思うが、ギャル、というのもこれでいいのだろうか。(Vo)というのは(笑)のようなものであるか。略語が多くて判らないのだが、どうやら医者やら何やらを求めているようだ。俗にいう「イシャはどこだ」という奴であろう。プリプリのカナちゃんというのも判然としないが、その人はGのコードを押さえるのがすごく上手かったりするのだろうか。謎めく。
 とにかくこれらの事象から導ける結論は、このスタジオは音楽それも特にロックやら何やらというビートミュージックのための場所だということである。
 確かに時おりジャズの人達がやってきて単純なコード進行しか知らないロックの人たちの羨望の視線を集めたり、ラテン系の人達が何に使うんだか判らない大量の打楽器を持ってやってくるためロビーが狭くってしょうがない、とかそういうこともないではない。しかし、彼らも音楽の人であるから、まあいいじゃないか。
 だが、入り口から入って来た彼女らを一瞥した我々の瞳はそのまま釘付けになってしまった。その三人はフラメンコの人だったのだ。
 どうして入ってくるなりフラメンコの人だと判ったかというと、それらの人びとがことごとくフラメンコの人の衣裳をまとっていたからである。何しろフラメンコの人の服装なのだ。黒っぽくひらひらした服であった。頭にも何やらよく判らないものを被っている。靴だってなかなかフラメンコであった。いかにもフラメンコでござい、という化粧をしている。化粧の下地であるところの顔だって、かなり日本人離れして彫りの深い顔である。まるで、フラメンコの人たるべく生まれてきたような顔である。体も三人が三人とも揃って結構大きい。私は心の中で彼女らに名前をつけた。カルメン一号、カルメン二号、カルメン三号である。
 カルメンたちは我々もよく利用する第三スタジオ通称3スタの前につかつかと近づくと鞄の中から何かをとり出して、扉に掛けた。見ると、西田某フラメンコ教室、とあった。その下にこうある。
「フラメンコはあなたの人生です」
 ものすごいことになっている。ここまですっぱり言い切られてしまうと反論の余地もない。私はこれまで過してきた三十年をつらつら回想した。そうか。私の人生はフラメンコであったのか。ということは、幼い頃蛙の肛門に爆竹を挿入して点火したことも、ラーメンを三杯食べてお腹が痛くなったことも、すべてフラメンコであったのか。フラメンコ侮りがたし。
 三人の会話に耳を傾ければ、どうやらカルメン一号とカルメン三号はカルメン二号に対して敬語を使っている。ということはカルメン二号がフラメンコ教室の長たる西田某なのであろう。要するに、自前の練習場所がないので、こうやってスタジオを借りて講習会のようなことをおこなっているのだろう。たしかに3スタは鏡張りであるからそういう用途にも使える。
 それから彼女らは、ロビーに居並ぶ我々ほかロックの人たちの視線を物ともせず、打ち合わせを始めるのであった。やがて、カルメン二号本名西田はすっくと立ち上がると剥き出しの千円札を握りしめてロビー内にある飲み物の自動販売機の前へと移動した。おもむろにセブン・アップのボタンを押す、その様子もどういうわけかフラメンコである。それから西田は何を思ったのか、一号三号のいるテーブルには戻らずに壁際でセブン・アップを飲みはじめた。やや壁に寄り掛かって腰に片手を当てる、そういうポーズでもってセブン・アップを飲み干すのであった。西田侮りがたし。
 と、そこへ入り口から今度は真紅の衣裳をまとった女子の人がやってきた。私にはひと目でそれがカルメン四号であると判った。
 カルメン四号は壁際の西田通称カルメン二号に気づくと、ぺこりと頭を下げて言った。
「あ。おはようございます」
 時計に眼をやると午後二時である。恐るべし。フラメンコの人の挨拶はまるで業界人である。
 世界は謎に包まれている。そしてフラメンコはあなたの人生なのです。


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1998/08/05
文責:keith中村
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