第137回 毛


 比喩について述べる。
 ご存知のように比喩の中で代表的なものに直喩と隠喩があるが、直喩というのは「動かざること山の如し」「猿のような人」など比喩であることを示す言葉を直截ともなうもので、隠喩は「鉄の心臓」「あの男は獣なのよ」といった具合に比喩であることを示す言葉を伴わぬものである。
 直喩に使われる語には「たとえば」「あたかも」「さながら」「ようだ」などがあり、近ごろ連体形で終止されることが多く、識者の眉をしかめさせている「みたいだ」もその仲間なのだが、もっとも、「みたいだ」は明治あたりまで「を見たようだ」と使っていたものの転訛である。
 さて、この二者のうち隠喩はあまりにも修辞法的文学的印象を与える言いまわしなので、日常会話では滅多に使われない。せいぜい不器用な男がここぞとばかりに「おお。あなたは僕の太陽です」「ああ。君の唇は薔薇の花びら」なんて気合いを込めて使い、かえって女子の人を気持ち悪がらせるのが関の山であろう。もっぱら日常的に用いられるのは直喩の方である。
 我々が会話で用いる比喩には二種類のものがある。ひとつは、その場に応じてもっとも似つかわしい喩えを自分の語彙の中から引っ張り出してくるもの、もうひとつは半ば紋切り型と化した言い回しをそのまま用いるものである。
 紋切り型の比喩は、「カモシカのような脚」「牛の涎のような話」「牛馬の如く働く」「牛乳壜の底のような眼鏡」「爪に火を点すような生活」など枚挙に暇がなく、それぞれがたしかに的確な比喩となっているがゆえ、さかんに使われるのも首肯できる。
 ところが、どうも納得がゆかぬ紋切り型も存在するのだ。
「毛が生えたようなもの」
 私はこの言い回しに出会うたびに奇妙な感覚に陥ってしまうのである。
 この比喩は、物や人を正当な評価より低く扱う時に用いられる。つまり一人称的なものには謙遜謙譲として、二人称乃至は三人称的なものには軽蔑罵倒として使用され、比較対象になっている物よりはほんの僅かだけましなものという意味をあらわす。
「おっ、なかなか立派な単車をお持ちですな」
「いやいや。自転車に毛が生えたようなものです」
 こういった会話を聞くと私はどうしようもなく困惑してしまう。
 自転車に毛が生えたようなもの。よく考えるとこれはちょっとどうかしている。自転車である。車輪がふたつあり、サドルに腰掛けてペダルを踏むという移動装置の、あの自転車である。自転車というのはたいていの部分が金属だの合成皮革だのゴムだので形成されておるもので、どちらかというと非常に無機的な物体なのだ。その自転車に毛が生えておるというのだ。かなりなことである。バックミラーなんかににょろにょろと細長い毛が何本か生えておるのだ。ハンドルのグリップには、びっしりと剛毛が生えていたりするのだ。ことによると、泥よけの裏側、普段目につかないあたりなんかにもひそかに毛が生えているのだ。どうすればいいのだ。
「あら。今日は自転車でやってきたでしょ」
「うん。だけど、よく判ったね」
「だって、ズボンのお尻のところに毛がいっぱい付着してるもの」
 ものすごいことである。
「ワークステーションを買ったんだってね。凄いなあ」
「いやいや。パソコンに毛が生えたようなものさ」
 これもものすごい。なにしろパソコンに毛が生えている。マウスなどにはもちろん鼠色の柔毛が生えているのだろう。メモリを増設しようと筐体を開けると、基板から均等な間隔で長さ三センチの毛が並んでいたりするのだ。キーボードの掃除でもしてやろうかとキートップを外すと、それぞれのキーの裏側に七本ずつ毛が生えているのである。106キーボードなら合計七百四十二本も生えていることになる。掃除どころではない。見なかったことにして、そうっとキーを嵌め直すしかないだろう。
「かねがね名刹だって聞いてたんで、行ってきたんだけどさ。とんでもない。そこいらの古寺に毛が生えたような程度だったよ」
 本当にとんでもない。お寺にまで毛を生やしてしまうのである。きっと木魚なんかにも生えているのだろう。困ったことである。風の強かった晩の翌朝なんか、境内に枯葉とともに毛が散乱しているはずだ。これでは、佐藤蛾次郎も大変である。
 気を付けなければならない。我々は、ともすると、無批判にさまざまなものに毛を生やしてしまうのだ。
「蛸に毛が生えたようなもの」
「民宿に毛が生えたようなもの」
「週刊誌に毛が生えたようなもの」
「カレーに毛が生えたようなもの」
 ことによると、
「資本論に毛が生えたようなもの」
「学芸会に毛が生えたようなもの」
「実存主義に毛がはえたようなもの」
「風邪に毛が生えたようなもの」
 などと、無形のものからも毛が生えるのだ。うかうかしていられない。
「あの女優の話題のヘアヌード写真集買ったんだけどね。これがぜんぜん評判どおりじゃなくってさ。あんなのただのエロ本に毛が生えたようなもんじゃねえか」
 これは、あながち間違ってはいない用法であろう。 


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1998/07/18
文責:keith中村
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